フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

長閑な1日でした。

2011-10-31 20:38:06 | 日記
10月31日 月曜日 曇りのち晴

昨夜の雨で向かいの家の屋根はびっしょりでしたが、大洗濯をしてしまいました。
今日は12時の鍼治療と3時からのヨガ教室へ行くだけ、健康管理の予定のみです。幸せな日です。

郵便局での用事がありましたので、少し早めに出掛けました。家を出てすぐのお宅の柿の木です。
富士宮の母の柿の木には葉が全くなかったのですが、横浜の柿の木にはまだ葉がかなり残っていました。



いつものわたしの好きな道を歩きたくて、狭い尾根道に向かいました。
途中近所の幼稚園の畑があります。園児たちがさつま芋掘りを楽しみにやって来るのでしょうね。
可愛い帽子を被った園児の賑やかな列がわたしの家の前を歩いていきます。



その畑の脇を通って行きますと猫ちゃんが道路の真ん中で気持ちよさそうに寝ころんでいました。
寝ころびながら目だけは写真を撮っているわたしを見ていますが、起きあがろうとしていません。
でも、携帯カメラをしまって猫ちゃんに近づいたら素速い動きで逃げ出しました。苛める気は無いのに・・・。



行くときは霞んでいましたので写真を撮らなかったのですが、すっかり霞がとれていました。
わたしの大好きなポジションです。夏などは写真を撮りながら涼むのに最適な処です。



山下公園側を撮して後ろを向いてもう一枚写真を撮りました。
無線塔とゴルフ練習所のネットが住宅地の端の方にあります。この景色も好きです。



まだ1時20分過ぎですのに、道路全面が日陰になっていました。
お日様が低くなってきているのでしょうね。真夏のこの時間では日陰などありませんでした。
帽子も日傘も持たずに出掛けましたのでこの日陰は嬉しかったです。



軽く昼食を済ませて、ゆっくりお茶タイムを楽しみました。
洗濯物も乾いていましたので、家の中に入れてヨガに出掛けました。気持の良い午後でした。
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今日は「日本橋百年祭」でした。

2011-10-30 21:07:39 | 日記
10月30日 日曜日 晴れのち曇りのち雨

わたしたちのミニコミ誌「ほのぼの」の表紙絵を描いて下さっている方と東京散策をしました。
江戸時代には此処に川が流れていたとか、芝居小屋だったとか、説明を聞きながらの歩きです。
「大門通り」と書いて「おおもんどおり」と読むそうです。

江戸時代、吉原の「大門」にあったところだそうです。その門に向かっての道だそうです。
昔、川があったところの岸辺の残骸を見つけたりしながらの歩きは楽しかったです。
でも、日曜日で静かな日本橋を想像していましたのに凄い人でした。

日本橋の100年祭だったのです。今日一日だけのお祭りとか。
その様子を携帯カメラで撮してきました。
高速道路に100年祭の文字が書かれていました。



高速道路下にある日本橋に沢山の人が川を見ていました。何かあるようです。



高速道路と高速道路の隙間が面白かったので撮してみました。
此処は何時も通過しているだけでこんなにじっくり見たことがありませんでした。
とても魅力的な景色です。驚きました。



大勢の人が除いていたのとは反対側の川の様子です。モーターボートが何隻も走っていました。
レースでもするのでしょうか。



道路ではっぴを着て座っている女性。カメラを持っています。
長いレンズを何本も置いて男子と準備中のようでした。望遠レンズなのでしょうか。



お昼過ぎに行列が出ると言っていましたがその準備中なのでしょうか。
写真の撮り方が悪く、暗くて見にくいのですが鎧兜を着身につけて旗を持った人たちが固まっていました。
高校時代の仮装行列を思い出しました。



着物を着た方が多かったので不思議に思っていましたら、着物を着た人は何か特別な得点があるとか・・・。
わたしも着てくれば良かったわね、と言ったので同行人お二人が苦笑。
今日はハイキングスタイルで、と言う伝達事項があったのですから。

近々、今日歩いて面白かったところの写真をアップしてみたいです。
来年のことを言うと笑われますが、来年また歩いてみようと約束して小雨が降ってきましたので帰路に。
短い時間でしたが有意義な良い歩きでした。案内人に感謝です。
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自然が癒やしに。

2011-10-29 22:24:16 | 日記
10月29日 土曜日 晴れ

良いお天気でした。
苗場までドラゴンドラバスに乗って紅葉をみるバス旅行に参加してきました。友人からお誘いに感謝です。
とてもすばらしい景色でしたし、ツアーの添乗員さんがとても感じがよい人でした。

昼食は古民家のおそば屋さんでした。
いくつかの小鉢に手作りの煮物や酢物がありましたし、コンニャクの田楽もありました。
煮込みうどんの小鍋は味噌仕立てで、数種類の野菜を使っていて本当に美味しかったです。

わたしが子供の頃遊びに行っていた富士宮の大叔母の家に似ていました。
柱も戸棚も真っ黒でつやつやしていました。懐かしかったです。

苗場でスキーをしたことは無かったのですが、広大なゲレンデとそれを囲む山々の景色は最高でした。
ただ、土曜日で更にお天気が良かったからでしょうか、道路の渋滞は酷かったです。
予定より2時間遅れになってしまいましたが、それ程酷い疲労感を感じ無いのが不思議です。

もっとも明日か明後日に疲れがドット出て来るのかも知れませんが、今のところはとっても爽やかです。
頭や心にこびり付いていました、鬱陶しいことが少し剥がれてきているような気がしています。嬉しいです。

明日はほのぼのの表紙絵の題材になっているところを歩くことになっています。
体力を復活させるために早めに寝るのが特効薬、きっと今夜は熟睡出来ると思います。
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急に寒くなった事で・・・。

2011-10-28 18:14:44 | 日記
10月28日 金曜日 晴れ

お天気が良かったので午後から2階に上がって衣類の整理を始めました。
それというのも、急に寒くなってセーター類をタンスから出しに行ったのが原因なのです。
セーターを出して夏物をしまうつもりでした。

ところがタンスには今年一度も着なかったワンピースやシャツが何枚か入っていたのです。
よく見てみましたら、形も材質も今着るのは少々違和感有り、そんな感じの物ばかりでした。
それで思い切ってそれらを整理してしまおうと思い立ち、片付け仕事を始めてしまったのです。

午前11時からシルバー体操に参加、帰宅して休憩を兼ねてゆっくり昼食を戴きました。体力温存です。
先日のバス旅行での疲れから浮腫が酷かったのですが、手当に時間をかけたためでしょうか、
今朝はほぼ正常になっていました。治りかけが大切ですから、今日も無理せずゆっくりした動きです。

明日も出掛ける予定がありますので、片づけをしながら夕食用にいつもの和風シチューを作っています。
体調管理にはやはり食事と休憩しかないような気がしています。
ストレッチは乍ら族ですから、何かしながらでも欠かさず続けています。今のところ大成功の様です。

ただ、衣類を片づけていますとどうしても埃が出てきますので、わたしのアレルギーが再発しました。
ハウスダストのアレルギーがあります。クシャミと鼻水がだんだん酷くなって1時間強で断念する始末。
この続きをするときはマスクをして、防御をしっかりしてから始めます。迂闊でした。

つい最近のアレルギー検査では、ハウスダストとアニサキスの数値が高いようなのです。
青魚やお刺身類、魚の加工品の蒲鉾などは要注意との指示を受けました。
肉類より魚が好きなわたしですから、これには少々参っています。煮干しなども駄目なようです。

わたしの体力が極度に低下している状態の数値なので、良くなってきたら食べても良いとのことでした。
まずは体力をつけること、それに専念しないと・・・。
元気になれるようにと処方薬も戴いていますから、絶対飲み忘れないよう心がけています。
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夕方の弘明寺商店街で

2011-10-27 22:24:33 | 日記
10月27日 木曜日 晴れ

風もなく良いお天気でした。
昨日は洗濯もせずのんびり過ごしてしまいましたが、今日は家事万端ゆっくりでしたが頑張りました。
それに2時からほのぼの編集会がありました。48号の編集会でした。

まだ原稿は集まってきていませんから、その対策と細かい打ち合わせ、会計報告でお終いに。
次回は11月10日の木曜日です。それ頃には原稿も集まって来るでしょう。

編集会が終わってメンバーがお帰りになってから散歩かたがた写真のプリントを頼みに出掛けました。
先日草津へ行ったときの写真をプリントして来たかったのです。メンバーに早めに差し上げたい。

それに軽井沢の写真を葉書に仕立て、軽井沢に山荘を持っておられる先生に便りを書きたいのです。
現在は東京に居られるますから、軽井沢の景色をお見せしたいのです。

プリントする写真をチェックし枚数の指定をしてから、出来上がるまで商店街を散策することに。
5時半頃になっていましたので辺りは暗くなり、商店街は照明がつき綺麗でした。
忙しげに歩く人、買い物をしている人などで賑やかでした。



こんな時間に商店街へ出掛けることはありませんので、キョロキョロしながら楽しみました。
夕食ように仕度をしてありますから、食べ物を買う気はありませんので衣料品店に入ってみました。
無地のTシャツしか持っていませんので、柄のある物が欲しいと思っていました。

肌が弱いのですぐかぶれてしまいますから、肌にも良く柄の良いシャツを探すのは大変です。
2軒目のお店で縞柄のシャツを見つけました。
温かそうですし、材質も大丈夫と思うのですがこればかりは着て見ないと解りません。

駄目なときは娘に着て貰えば良いので気は楽です。
置き時計の電池を買ったり、クッキングホイルを買ったり、ラー油を買ったり・・・。
スーパーでは無いのでそれぞれ違う店ですからちょっと面倒でした。でも結構良い散歩になりました。
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日本酒が入っていた可愛いガラス瓶

2011-10-26 19:29:49 | 日記
10月26日 水曜日 晴れ

バス旅行の疲れで身体全体に浮腫が酷くなっています。特効薬は横になっていることなのですが、
残念なことにお昼寝は出来ませんでした・・・。
午後2時頃からトイレの工事の人がやって来ることになり、次女もそれまでに来ると言います。

一緒にお昼を食べたいと思ったのですが、食べてからと言います。仕方がないので一人で昼食に。
出掛けたときの衣類やら持ち物の片付けもゆっくりゆっくりでした。気怠くて動けない状態でした。

トイレのタンクだけを交換したかったのですがそれは出来ないと云われ全部取り替えました。
交換の原因はタンクが大きすぎ、続けてトイレを使う人たちに不都合がでていたのです。
以前はどのお宅も大きなタンクだったのでしょうが、この頃は節水型の小さなタンクになっています。

沢山の水を使うので下水処理の電気代も違う、と言われますと省エネ流行の昨今では使い難いです。
工事は割に早く終わりました。これでもうナンの心配もなくなりました。めでたしめでたしです。
この度は次女のお世話になりました。オンブに抱っこ、全くその通りです。有り難いですね。


夕方、一昨日の宴会の会場から日本酒の瓶を2本頂いてきました。この写真の瓶です。
容量は180ccですからかなり小さくて可愛いし、色が付いているのも気に入りました。
宴会場の仲居さんにきちんとお断りして頂いてきました。



この瓶にわたしが作っています柚子酒とカボス酒を入れるつもりです。
わたしの酒量では720ccの瓶をテーブルに置きたく無いと思っていました。
それで小さな瓶を探していました。わざわざ瓶を買うのは勿体ないし・・・です。

草津温泉から横浜まで空瓶を運ぶなんて、ちょっと変わっているのかも。
本当はもう1本欲しかったのですが、荷物を少しでも軽くしようと思い2本にしました。
梅酒ようの瓶も欲しかったです。3種類を並べて置いて、選ぶ楽しさ、あるじの真似です。

この可愛い瓶にお酒を入れて晩酌を楽しんでみたい!あるじの真似をしてみたい!そう思っています。
母の家にはカボスも柚子も沢山実がなっていました。今あるお酒を飲み終わってまた造りたいです。

焼酎に柚子やカボスを入れた瓶をハッチに並べて置きますと、とても綺麗で魅力的だったのです。
なにか夢を感じ、素敵なエネルギーを貰えるような錯覚をしたのを覚えています。
飲まないで作るだけでは淋し過ぎます。どうせ作るのなら飲まないと・・・。とっても良い香りです。
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視点の違いで景色の違いを再認識

2011-10-25 21:03:32 | 日記
10月25日 火曜日 晴れ

昨日の朝、ご近所の「カラオケの会」方たちと草津方面にバス旅行に行きました。
町内の主婦が月に一度町内会館に集まりお茶をしながら歌いたい人が歌うのんびりした会です。
カラオケが苦手なので手拍子を取りながら知っている曲を一緒に小声で歌う程度で充分楽しんでいます。

ただ、そのカラオケの会は午後1時からなのですが、わたしはその前にオカリナの練習会があります。
車で行けば少しの遅れで済みますがが、電車の時は時間的に全く無理。体力的にも無理になってます。
今回の旅行を最後に会を辞めさせて頂くことにしました。良い方ばかりですので淋しいですね。

写真は草津白根山のお釜です。昨日のお天気は嘘のように良いお天気でした。
お釜の処まで登るのが大変でした。迷惑をおかけしては申し訳ないので引き返そうと思いました。
でも上から降りてこられた方が「2分で頂上だから頑張りなさいよ」と声をかけて下さったのです。



なんとか登る事が出来て、この写真を撮ることが出来ました。雲の様子で水の色が変わる様を見ました。
頑張れるように声をかけて下さった見ず知らずの方に感謝です。

この写真は草津白根山から軽井沢の鬼押し出しに向かう途中の景色です。
紅葉が綺麗でした。
バスが車高のあるバスで、更に一番前の席に座っていましたのですばらしい景色を満喫出来ました。



鬼押し出しで見た浅間山です。
浅間山の空は灰色のように暗かったのですが、時々雲が切れ青い空が見えました。
浅間山が爆発したとき吹き出した溶岩なのですから、そのもの凄い量の岩と大きさに改めて驚嘆。



だいぶ前に読みました、立松和平著「浅間」はこの浅間山の噴火の事を題材にしていました。
その時も読みながら身が引き締まる思いをしたことを覚えています。
鬼押し出しを散策したのは多分中学3年生の時以来です。記憶ではこんなに整備はされていなかった?

鬼押し出しが最後の見学場所でしたので、2時過ぎに出発し6時には帰宅出来ました。
幸いなことに道路がとれも空いていました。
薄暗くなりかけた薄ピンク色の空に、新しい東京タワーが遙か彼方に見えました。

芝の東京タワーは今日の軽井沢の紅葉のような紅葉の色でライトアップされていました。
レインボウブリッジも高い目線で見られましたし、高速道路の下の道路や走る車まで見られました。
車好きの子供のように、視点の違いで見られる景色を満喫出来ました。でも、とっても疲れました。
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吹割の滝

2011-10-24 18:09:49 | 日記
こんなに水量が多い吹割の滝を見たことがありません。
少し紅葉も始まっていますからやはり人の出が多かったです。

町内の方たちとバス旅行です。
草津温泉に一泊です。
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素敵なインド料理店を見つけました。

2011-10-23 18:04:47 | 日記
10月23日 日曜日 曇りのち晴

午前の部と午後の部のお出かけ予定がありました。
午前は、関内で今日まで開かれている一瓶窯の作品展へ伺うことにしていました。
7月までわたしがお教室の計理をさせて頂いていましたから、作者が解りますので楽しめました。
会場が昨年より大分狭くなってしまいましたのでそれが何となく淋しかったですね。

会場前の大通り公園の写真です。雨模様でしたのでフリーマーケットもなく静かな公園でした。



午後のお出かけ予定は関内ホールへシニアチアフェスタを見に行くことでした。
長女の婿殿の叔母さまが舞台に出られると言うことでお招きを戴いていました。
チアの舞台を見るのは初めての経験でした。楽しかったです。

最高齢の方が73才という事でしたが、短いスカートをはきボンボンを持って踊ります。
音楽も懐かしい曲ばかりでした。客席からも手拍子が出て和やかな良い雰囲気でした。
チアをして居られる方には、腰痛も肩こりなどを訴える人は無いのでは・・・と思いました。

本当に楽しそうに皆さんが踊っておられるのです。楽しみながら健康になり、おまけにスリムになれる、
良いことづくめです。
娘も「やってみようかしら」言いますから「始めるなら少しでも早いほうが良いわよ」とアドバイス。

婿殿はわたしにも勧めて下さいますが、わたしの剥離骨折した足では少々無理でしょうね。
もう少し若くて足の異常が無ければわたしには最適かも。欝症状もあっという間に消えるでしょうね。
あまり普段は思わないのですが、こんな時には「若かったら良いのに」と思ったりしますね。

チアの会場へ行く前に、スパイスバー「MOSHULA」と言う店で長女夫婦と食事をしました。
馬車道で食事処を探していて偶然入ったのですが、美味しかったです。インド料理店です。
お薦め料理を伺ったら「カレーうどん」と言うことでした。素直な(?)わたしはお薦め品を注文。



おうどんがシコシコして美味しかったです。
長女はAランチだったと思います。チキンカレーと野菜カレーとナンです。婿殿はチキンカレーでした。
ナンもモッチトして美味しかったです。しっかり味見をさせて頂きました。



娘と婿殿にはデザートにライスプリンがセットになっていましたがカレーうどんはセット無しでした。
でもお店の方が、おまけして下さいました。始めて頂く食感で美味しかったです。
それにカレーうどんも「うどんを食べ切ってからご飯を少し入れて食べると美味しい」と言います。



美味しいそう、と思いました。小さなお皿にご飯を少し載せて持ってきて下さったのです。感激です。
カレーもクリーミーでいわゆるおそば屋さんのカレーうどんとは全く違いました。
もっとすばらしいかったのは、おうどんが跳ねて洋服を汚さないように紙のエプロンがあったのです。



お店は3人のインドの男性だけで仕切っているようですがとても感じの良い方ばかりでした。
綺麗な日本語を話しますし、日本人の好みもすっかり理解しているようです。
すっかり気に入ってしまいました。来年3月にはみなとみらいに引っ越すとか、追っかけ人になります。
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おからのお焼きと韓国の駄菓子

2011-10-22 17:41:09 | 日記
10月22日 土曜日 雨のち曇り

おからを買ってきていましたので,お焼きを作りました。
長ネギ、ニラ、大根の葉、大根やキノコ類など冷蔵庫の野菜入れの整理のつもりです。
肉類やカツオ節やイワシ節など手当たり次第入れます。

調味料はまったく味付けしないものと、お醤油だけ入れたものの2種類を作ってみました。
食べる時の気分で試してみようと思います。
おから自体にも栄養素はかなりある所へ野菜など、いろいろ入れますからトーストより良いと思っていました。

でも食べながら、どうもお醤油を使いすぎているような気がしていました。
むくみの出やすい体なのですから、少し塩分を少なくしているつもりがとんでもない事です。
それで餃子のタレのように醤油+酢+ラー油で試してみましたらこれが結構おいしかったのです。

一人用の可愛い鉄板つきお鍋で焼き直して食べていますから、手間いらずで良いです。
一金60円也のおから1袋で13枚出来ました。小降りに仕上げませんと可愛いお鍋に入りませんので。
このところ、このお焼きに凝っています。飽きたらお好み焼きを作ってみようと思っています。

今日は友人が東京から訪ねて下さることになっていましたが、その前に一仕事、おからのお焼きを作りました。
試食をしていませんから差し上げるわけにはいきませんが、おからが痛んでは困りますので加工しただけです。
この数日は出掛ける用事が続いています。時間があるところで上手に作らないと痛んでしまいそうなのです。

友人とはなんとなく心地よいおしゃべりが出来、わたし的には良い時間を過ごせました。
彼女はわたし以上に気持ちの疲れを感じておられると思いますから、難しいお話は無しの方が良いと思いました。

わたしも母の家のすごい状況を見て、母がいなくなった痛みがまた戻ってきています。
かなり気持ち的に沈んでしまっています。
あるじの急逝からもう少しで丸5年になるというのになんとなく精神的に重たいです。


友人から韓国語が書いてありますお菓子をいただきました。
辛いわよ、と言われて恐る恐るひとついただきましたが、
青唐辛子味噌で鍛えられたわたしですから、なんのそのまったく平気でした。

今度、大久保近辺にあるという韓国横丁?に連れて行っていただくことにしました。
長女も行きたがっていたので誘って一緒に行くのも良いかも知れません。
食事処も韓国に行ったかのようにあるそうですが、土日は避けたほうが良いとか・・・。楽しみが出来ました。

気が付いたのですがわたし愛用の可愛いお鍋の写真は23年6月4日にアップしているようです。
寒くなってきましたら、毎日お鍋で夕食になりそうです。
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灰色の空にそびえる同色の建物

2011-10-21 22:23:14 | 日記
10月21日 金曜日 曇りのち雨

朝からバタバタした1日になりました。
9時半に皮膚科の予約が入っていましたし、12時半からウクレレ愛好会の練習の日でした。
更に、夜はみなとみらいホールへ行くことになっていました。横浜バロックの定期演奏会でした。

何時もご一緒する友人との連絡が取れません。
昨日から気になって何度か連絡していますが、全く連絡が取れないのです。体調が悪いのか・・・。
何かわたしがしてしまったのか・・・。傷つける気がなくても無意識に傷をつけることがあります。

もしもそうだとしたらどうすればよいのか。
そんなことを考えながら久しぶりに歩く歩道からホールへ向かいました。
その途中のスナップです。灰色の空の中に灰色の建物、観覧車の灯りが綺麗です。





歩く歩道から下の車道も撮しました。
外の風を楽しみながら外を歩いてホールに向かうのが常でしたから久しぶりの動く歩道でした。



今日の空模様と同じように今日のコンサート行きは、ウキウキした気持にはなれませんでした。
気分をしゃっきりさせたくて今シーズン初めて和服を着ていきました。あるじの母の形見の着物です。
雨が降りそうでしたので、傘と雨ようコートも持ちましたし、草履の代わりに下駄を履きました。

予想は的中。コンサートの途中から雨が降り出しフル装備をして帰宅しました。
きちんと準備して来て良かったです。
それに疲れましたが今日のコンサートは特別すばらしかった様な気がして大満足です。
頑張ってなんとか全ての予定を無事に消化出来ましたし、まずは良い一日と思う事にします。
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富士宮の台風被害

2011-10-20 19:27:16 | 日記
10月20日 木曜日 曇り

小さな一眼レフで撮した写真をなかなかブログに入れられませんでした。
台風の被害の様子を写してきていましたので今日は頑張ってトライし、なんとか成功しました。

曇っていましたのが富士山は姿を見せていたのです。
両親のお墓の処からの富士山です。お昼頃でしたが富士山の姿はシルエットみたいでした。
曇っていれば富士山は隠れて見えませんから、このような富士山を見たのは初めてでした。



お墓参りの帰り道の写真です。
下枝の手入れを折角綺麗にしていますのに、木が何本も倒れていました。痛ましい姿でした。
このような箇所があちこちに見られました。



いつもは昼食は母の家で戴くのですが、流石に昨日はその気になれませんでした。
母が好きで度々行っていました中華やさんに行って食事をしてきました。
お店の方が母の亡くなったことを知らなかったようで「おばぁちゃんは?」と聞かれました。
何時も一緒でしたから、不思議に思ったのでしょうね。

住まいの地続きなのですが家からは見えませんので、家に戻って畑を見に行ってみました。
シルバーの方に草刈りをお願いしていますが一面雑草が生い茂ってるのも、淋しかったです。
それよりキューイの棚が壊れていました。実が沢山付いていました。



本当に凄い台風だったのですね。母の家のすぐ奥に住まわれる家の畑は川のようになってしまったとか。
葉もの等、全部流されてしまったようです。でも畑の廻りに植えています菊は綺麗に咲いていました。
丸くこんもりした形で一列に並んでいる様子は和めましたね。菊のお花が香っていました。

母の家はやはり修理をするように手配したとのこと。天井も畳みも全部取り替えれば綺麗になります。
これを機に泊まりたい人が気楽に泊まれるようにして片付けたいですね。
母の一年祭の時、この家にみんなで集まりたいです。
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畳みにキノコが生えていました・・・。

2011-10-19 22:15:30 | 日記
10月19日 水曜日 曇りのち晴れ

晴天と言う予報でしたが、何となく曇った1日でした。
次女と富士宮の家に行ってきました。母が3月に急逝してからは住人のいない家になっています。
人が住んでいない家は何とも淋しいく、わたし的にはどんどん居心地が悪くなってきています。

我が家も窓の隙間から雨が吹き込みましたので、先日の台風の被害が気になっていました。
それで、今日次女と父のお墓参りを兼ねて母のいない淋しい家に行ったのです。
外回りはほとんど大きな被害は見えませんでしたので、まずはホットしました。

ところが家に入ろうと、玄関の鍵を開けようとしたのですが開きません。
裏口に回りました。裏口の鍵はすぐ開けられました。
台所から掘りごたつのある部屋に入って、瞬間、息が停まりそうになりました。

8畳の畳みには白いカビがびっしり生えていましたし、隣の6畳間との間の敷居付近は真っ黒なのです。
そしてその黒い処にエノキのような形をしたキノコが生えているのです。10㎝位になっていました。
雨水が部屋に入って居たのです。

天井も一面カビがびっしりです。鴨居の上に父が移した写真を額にして部屋中にかけてあります。
父の自信作ばかりです。毎日父は自分の撮した写真に囲まれて晩酌をしていたのです。
その写真にも水が入っているようでした。写真が波打っていました。

9月の敬老の日に大阪の姪家族がお墓参り方々お掃除をしてくれたと言っていました。
その時廊下の籐の椅子を6畳間に入れて帰ったようです。その椅子の下にも黒いカビがびっしりでした。
タンスの界隈の畳みも・・・。

この状態ではお掃除をしても仕方がないので、弟に電話をして現状を報告しました。
このまま放って置きましたら畳の下の板まで腐ってしまいます。
すぐに修理をする業者に見て頂くよう手配をしたようです。弟もやってくると言います。良かったです。

この酷い雨漏りの原因は2階のベランダでした。
台風の強い風で大量の落ち葉がベランダの排水口をふさいでしまったのが原因でした。
まだ5㎝くらい水が貯まっていましたので、靴下を脱いで落ち葉を取り除きました。

その酷い天井の様子です。



エヤコンの前の畳みです。もっと黒いところがありましたが拭き取ってしまいましたので。
白い紐みたいの物はキノコです。



3月11日の大地震の4日後の15日に富士宮も震度6強の地震がありました。
でも母は6日に急逝していました。恐ろしい地震を体験しなくて良かったと思っていました。
そしてこの台風です。母が一人住んでいましたらどんなに恐ろしかったか・・・。

母が亡くなって悲しいし、淋しいのですが母の為には良かったと思いましたね。
この畳みや天井もですが、それ以上に驚いたのは玄関の天井が落ちていました。
天井裏の配管が丸見えでした。残念なことにその写真は上手に写せませんでした。

畳の黒くなっている処を雑巾でゴシゴシ擦って少しだけ綺麗にはしましたが、
結局お掃除も出来ず、両親のお墓参りをしてきただけです。でもとっても疲れました。
東名高速は集中工事期間でしたから尚のことです。次女には感謝です。有り難かったです。
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ミシンが包帯をしています。

2011-10-18 17:51:11 | 日記
10月18日 火曜日 曇りのち晴れ

どうしても糸の調子が良くならないので、ミシンの修理をお願いしました。
どんなミシンでも直せると豪語しておられる方です。
いまどき、修理をお願いしましてもたいてい「買ったほうが良い」という方が多いのに奇特な方です。

わたしのミシンは縫物がお好きだった友人の形見ですから、おいそれと手放すわけにはいきません。
見ていただいた結果、大きな原因は驚くことに糸だったのです。糸の縒りが強すぎたのです。
縒りが強すぎて針孔に来る前に糸がよじれてしまったということでした。

その対処法がすごいのです。豪語するだけのことはありました。
なんとミシンに包帯を巻いて糸の縒りを戻すようにしたのです。
まず接着する包帯をミシンに巻きつけその上から普通の包帯を巻きます。

その2種類の包帯の間に糸を通すようにしたのです。白い包帯はざっくり巻いていましたが。
おかげで糸は切れなくなりました。でも専門家の目には糸目はまだ正常ではなかったようです。
ボビンケースをチェックしましたら、布の埃が溜まっていました。

さらに針の孔とミシンの布を推し進めるぎざぎざの調節もしていました。3点調節、と言うそうです。
全て調整が出来たところで、ボタンホールをする部品を取り付けためし縫いをしましたら、
これでまたエラーが出てしまいました。糸が切れます。

再度ミシンの下糸のところをチェックしていましたが、わたしには良く判らない作業をでした。
いろいろ試した結果、何とかボタンホールが出来ました。
ついでと言っては申し訳なかったのですが、ロックミシンの調節をお願いしました。これで完璧です。

ミシンもロックもスタンバイ出来たのですから、ゆっくりまた好きなものを作ってみます。
まずは大きなものをいろいろ作って、布の山を減らしたいですね。
少し楽しみが増えました。嬉しいです。
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映画「ツレが欝になりまして」を見て

2011-10-17 17:35:27 | 日記
10月17日 月曜日 晴れ

「ツレが欝になりまして」を見てきました。
わたし自身客観的に見られるか心配でしたが、まさに「そう、そうだった・・・」と言うことが度々。
映画のストーリーの中にわたし自身が入っていってしまいそうな所がいくつもありました。

電車に乗ろうと列を作って待っていながら、その電車には乗らず一人ホームに残って立っているのです。
わたしも何度か同じ経験をしたことがあります。
1時間ほどぼんやりホームに立っていた事もあります。行かなくては、と思いながら身体は動かない。

こんな事は経験した者でなくては解らないのでしょうね。
外観的に普通に見えていても、欝状態の当事者には言葉で説明出来無い苦しみや痛みがあります。
映画を見ながら本人も辛いし奥さんもどんなにか辛いか、手に取るように解ってしまいます。

辛くても映画を見て良かったと思います。同じような事で苦しんでいる人の映像を初めて見ました。
医師と患者の問診しているような映像や、患者が辛いと言う言葉の映像はテレビでも見ていますが、
これほどリアルに欝の人の生活状況を映像で見たことはありませんでした。

わたしは30代後半から40代にかけて苦しみました。
その時はあるじと娘たちが救ってくれました。そしてあるじが急逝して再び欝に落ちかかってました。
今度は一人っきりです。それで今回は「また、欝になりそう」と自分からその言葉を口にしていました。

まわりの人へ言うのではなく、自分に「欝になるな!」との警告です。
他人がどのように受け止めても良いのです。自分に言い聞かせる、それしかないと経験が言わせました。
欝にどっぷり入り込まないよう、自分自身に警報を今でも鳴らし続けています。

頑張って元気そうにいろいろ手を出してみたり、出掛けたりしてまず自分を上手に遊ばせる、
それがあるじが亡くなってからのわたしでした。
元気そうにすることは慣れていますが、その後の落ち込みは辛いです。生きる気力は無くなりそうです。

今日の映画は、まだ欝は全快していない状態で終わりましたが快方に向かっているのです。
欝になったお陰で、平常以上の夫婦愛が生まれていました。夫婦がそれぞれ相手を認めあえたのです。

あるじも「気にしない方が良いよ」よか「なんとかなるから大丈夫だよ」と支えてくれていました。
わたし自身、欝になったからこそ芽生えた「感性」があるような気がしています。
辛いけど欝もマイナス面だけでは無いのかも・・・。そう考えられるようになりました。感謝です。

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