1月31日 月曜日 快晴
月末の月曜日、やはり車は多かったです。
6時半頃弟の車で母の家、富士宮に向かいました。母のお隣さんの告別式なのです。
参列は出来ない物とあきらめていましたが、弟が行くと言いますので同乗させて貰いました。
珍しく丹沢山塊の後ろに真っ白に雪をかぶった富士山がくっきりそびえていました。
この地点での富士山を見るのは久しぶりでした。でも此処では写真を撮る気になれませんでした。
おばさんの事もですが、一人残される小父さんの寂しさが解るだけに気が重かったのです。
葬儀が終わって、お客も娘たちもみんな帰ってしまった後の寂しさは言葉になりませんでした。
涙が流れ、涙を拭く気にもなれず、ただ白い布で覆われた骨壺を触って居ましたね。
物音一つしない家は、何をしたらよいのか見当もつかずぼんやりしていました。
あの日のどうにもならない寂しさを忘れることは無いでしょうね。
この世にたった独り・・・そんな感じでした。
息子さんたちが今日は泊まっていると思いますが・・・。
あまりに富士山が綺麗でしたので、大井松田の先、二つに道が分かれる手前の富士山を撮しました。
このスポットでは、富士山の裾野まで見えます。雪が随分積もって居ました。
足柄のサービスエリアからの富士山です。走る車の中からの写真とは違っています。
どっしりした感じを受けます。
母の庭からの富士山です。形が違いますし足柄からの富士山と比べますと雪の量が少ないです。
頂上の形状も違います。真ん中が一番高くなっています。
何時も母の家とお隣さんの間に有ります銀杏畑で富士山を撮しますが、今日は庭からの富士山です。
来週もまた母の所へ行きます。おばさんにお線香を上げに行ってこようと思っています。
小父さんにもお会いしてきたいです。
わたしはまだ独りでの生活に慣れず、寂しさを誤魔化すためにバタバタ忙しくしています。
長らえて生きている間、ずっとバタバタし続けるのかしら・・・とふと思ったりします。
「生まれる時も死ぬ時も独り」と言う理屈は解っていますが、駄目ですね・・・。
月末の月曜日、やはり車は多かったです。
6時半頃弟の車で母の家、富士宮に向かいました。母のお隣さんの告別式なのです。
参列は出来ない物とあきらめていましたが、弟が行くと言いますので同乗させて貰いました。
珍しく丹沢山塊の後ろに真っ白に雪をかぶった富士山がくっきりそびえていました。
この地点での富士山を見るのは久しぶりでした。でも此処では写真を撮る気になれませんでした。
おばさんの事もですが、一人残される小父さんの寂しさが解るだけに気が重かったのです。
葬儀が終わって、お客も娘たちもみんな帰ってしまった後の寂しさは言葉になりませんでした。
涙が流れ、涙を拭く気にもなれず、ただ白い布で覆われた骨壺を触って居ましたね。
物音一つしない家は、何をしたらよいのか見当もつかずぼんやりしていました。
あの日のどうにもならない寂しさを忘れることは無いでしょうね。
この世にたった独り・・・そんな感じでした。
息子さんたちが今日は泊まっていると思いますが・・・。
あまりに富士山が綺麗でしたので、大井松田の先、二つに道が分かれる手前の富士山を撮しました。
このスポットでは、富士山の裾野まで見えます。雪が随分積もって居ました。
足柄のサービスエリアからの富士山です。走る車の中からの写真とは違っています。
どっしりした感じを受けます。
母の庭からの富士山です。形が違いますし足柄からの富士山と比べますと雪の量が少ないです。
頂上の形状も違います。真ん中が一番高くなっています。
何時も母の家とお隣さんの間に有ります銀杏畑で富士山を撮しますが、今日は庭からの富士山です。
来週もまた母の所へ行きます。おばさんにお線香を上げに行ってこようと思っています。
小父さんにもお会いしてきたいです。
わたしはまだ独りでの生活に慣れず、寂しさを誤魔化すためにバタバタ忙しくしています。
長らえて生きている間、ずっとバタバタし続けるのかしら・・・とふと思ったりします。
「生まれる時も死ぬ時も独り」と言う理屈は解っていますが、駄目ですね・・・。