フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

紫蘇の実の保存料理

2010-09-30 19:30:05 | 料理
9月30日 木曜日 雨

今日は一日中冷たい雨が降っていました。
家から1歩も出ず、午後1時頃まで台所でウロウロしていました。

昨日母と弟が、紫蘇の実を沢山取ってきたのです。
畑で独り生えしている青紫蘇の立派な実が勿体なかったのでしょう。
紫蘇の実の花は全部落ちていましたから少し育ちすぎの感がありました。

実を外してしまえばわずかなのですが、それまでは大きなビニール袋2杯分あったのです。
綺麗に洗って水切りのために大きなザルに入れ、布巾をかけて眠りました。
それ以上、立ち仕事は出来ないと判断して、台所もゴチャゴチャのまま寝ることにしたのです。

今朝、紫蘇の実を全部しごきました。
手袋をしないで作業しましたので指先は灰汁で真っ黒です。これが嫌なのですが仕方が無いです。
毎年塩漬けにするのですが、今年は紫蘇の実の佃煮と漬物風の物の2種類を作ることにしました。

佃煮は醤油・砂糖・日本酒で煮ました。冷めてから瓶詰めにして冷蔵保存です。
温かいご飯やお茶漬けに最適です。

漬物にするのに、手抜きなのですが市販のそばつゆにつけ込んで見ました。
これは実験的に今年初めて大量の実で挑戦してみます。
ジプロックに紫蘇の実を入れ、其処へそばつゆを注ぎます。

空気を抜くためにジプロックの口の所を少し持ち上げるように持ち、空気を出します。
ぺたぺた袋の上から軽く叩きながら、空気を押し出すのです。
紫蘇の実にちょっとかぶる位のだし汁量を入れました。



そのまま冷蔵庫へ入れて平らに寝かして保存します。
数時間してから袋の上下をひっくり返してまたそのまま保存。
空気を入れなければきっと長持ちするはずです。どの位保存出来るのか楽しみです。
紫蘇の実についていました葉も試しに別袋に入れ漬けてみました。

青菜を茹でて、食べやすい大きさに切り、同じようにして煮浸しを作ります。
煮浸しは水分が多いためでしょうか、長持ちはしませんが手軽に作れますので重宝しています。



ジプロックという便利な物の出現で、ますます手抜き調理を試し、楽しんでいます。
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貴重な農作物

2010-09-29 22:40:33 | 日記
9月29日 水曜日 快晴

今日は久しぶりによいお天気でした。
家に居られれば少し部屋の片付けや衣類の整理をしたかったのですが、母の所へ行きました。
母が病院へ行く日なのです。

もっとも母と病院へ行くのは弟の車で二人だけで行くのですから、わたしは本来不用なのです。
ただ母の生活支援は弟には出来ません。わたしの担当はその生活支援です。
ヘルパーさんが来て下さっていますが、母がその方たちにお願いしないことをわたしがしてきます。

台所や部屋の片づけはお願いしていないようです。お掃除だけを頼んでいるようなのです。
食器乾燥機の入れ方なども、全て母の思い通りにして頂けないと不機嫌になってしまう母です。
ヘルパーさんにそれをお願いするのは申し訳ないですし気の毒です。

ゴミの分別からです。汚れが付いているプラは洗って乾燥させ、缶瓶もゆすいだり紙ゴミを区分けします。
以前は分別の必要が有りませんでしたし、数年前までは畑で燃やしてしまっていたようです。
母に説明するのですが、どうしても理解出来ないようです。

母の所で生活支援もかなり大変なのですが、持ち帰ってきました野菜等の整理がまた大仕事です。
今日は母が畑から紫蘇の実をかなりとってきました。
自然に芽が出て成長した青紫蘇がりっぱな実をつけていたのです。

母は自分の畑で取れた物を何一つ捨てたくないのです。今回は紫蘇の実とカボチャでした。
シルバーの方に草刈りをお願いしているのですが、その方たちがカボチャに傷を付けてしまったのです。
カボチャがあるのに電動草刈り器を使ったようで、カボチャに切り傷が入ってしまいました。

弟は「ゴミ」というのですが、母は食べられるところだけでもなんとか使って欲しいと云います。
みんなわたしの家に置いていきました。紫蘇の実もカボチャの整理も後で・・・は許されません。
母は地続きの畑へ弟の車に乗っていきます。歩けないのです。

お隣のかたから、生姜茶ように生姜を沢山戴いてきましたし、落花生も掘って下さいました。
それも洗って切ったり茹でたり、量が多いのでそれなりに大仕事になります。
玄関に泥付きの生姜や落花生が置いてあります。カボチャは明日に持ち越すしかないですね。

フォンテーヌのパンやサンドイッチが残った時、わたしも捨てられませんでした。
捨てられるパンが可愛そうで、それに戦後の物のない時代を経験していますから捨てられません。
母もそんな心境なのだと思います。それに何時も「今年が最後かも知れない」と思ったりします。

いつまでこの状態の生活を続けられるか・・・。
無理をしても疲れた身体にむち打っても頑張ってしまいます。
野菜の処理は時間が勝負ですから、結構大変な仕事になります。母の作品を大切にしたいです。
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パソコンが変。

2010-09-28 21:30:53 | 日記
9月28日 火曜日 雨のち曇り

パソコンチェックをし、メールへ返信をしようとしましたら、文字のいくつかが入力出来ません。
「や」が「yあ」と入力され、母音は出ても子音が所々出ません。
キーボードを弄っている内に、疲労困憊。途中で休憩タイム。

それでもキーボードのお掃除をしたり、あちこちのボタンを触ったり、電源を切ったり入れたり、
いろいろ試して、また一休憩。お茶をしながらパソコンと睨めっこ。
大分パソコンにじゃれついていました。

このようなエラーが出た時は、今まではそっと触らず、何方かに依頼して直して頂いたものです。
でも今回は駄目でもともと、とかなり太っ腹になっていました。
それにはちょっとした理由があるのです。

あるじのノートパソコンを、今はわたしが使っています。そのパソコンが目下調子が良くないのです。
良くないとは云いましてもわたしが一人で使っている時は正常に作動するのですが、
そのパソコン持参で教えを乞いに伺いますと、その都度パソコンが動いてくれないのです。

1回ならず2回もそのような状態が続きました。
あきらめて帰宅し、パソコンを立ち上げますと正常に動くのです。不思議な事が続いています。
ノートパソコンは6年、わたしのデスクトップは5年くらい使っています。

そろそろ問題が出始める頃かも知れませんが、人を見ているのか(笑い)環境が気に入らないのか・・・。
不思議な事が続いていますので、デスクトップが「や」を「yあ」と入力しても何も感じなかったです。
わたしのパソコンにも不思議現象が出てきてしまったけど、その内ひょいと正常に戻ると思ったのです。

そんな気がしたのです。2つのパソコンが、ちょっと変になってしまったのです。
どうしたのでしょうね。どちらにせよ、とても疲れました。
パソコンに遊ばれているような気がします。
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恩師

2010-09-27 21:54:11 | 日記
9月27日 月曜日 雨

朝から雨でした。
一昨日の三浦半島行きが疲れたのでしょうか。起きていられなくなりダウンして眠りました。
ところが背中が痛くなり、目覚めてしまったのです。

真夜中なのに、猫のポーズをしたり、腕回しをしたり、それなりに背中の痛みが治まる運動をしました。
お陰様で3時頃に寝付けたようです。5時半頃まで眠れました。
2時間も眠らないうちに目覚めては今日がまた辛くなってしまいますので、なんとか眠りたかったです。

アサヒカルチャーの徒然草は今日が最終講義でした。
わたしの大学生になった時の担任だった方です。ずっと先生の講座を聴いてきたような気がします。
これが最後かと思いますと、淋しいですね。今度は何時先生にお会い出来るのか、それを考えても淋しい。

最終講義だったからでしょうか。この所では一番活気のある講義でした。
夏休み前の講義とは比べものにならない良い講義でした。
徒然と枕草子と源氏物語の3つを比べてのお話しになりました。

講義を聴いていて、やっぱりこのような研究が出来れば良かったとふと頭に過ぎりました。
わたしが大学院に行かれる状態になったことと同時に、先生にわたしのテーマをお話ししました。
わたしのテーマに、先生から直ぐお許しをいただけました。
そのテーマの参考本は無いから資料を集めて下さるとおっしゃって下さったのです。

懐かしい想い出です。
その後間もなくわたしが入院し、結果あるじが何故かパン屋をすることになって
あっという間にわたしはパンやの女将さんになってしまったのです。

先生は1年だけお付き合いしない。でも1年したら、大学院を受験しなさい。と言って下さいました。
でも1年経っても2年経ってもわたしは店から出られませんでした。
結局20年一緒にパン屋を営業してしまったのです。

何か一つのことを調べて自分の意見をまとめることが出来るほど、勉強してみたかったですね。
わたしの年齢になって見ますと、痛切にそれを感じます。
目下これから何か勉強してみようかと思ったり、それよりも縫い物をしてみようか等々迷っています。

もう少し迷いながら、無理をせず、自然体で居られる何かを探したいと思っています。
そんなまだ迷いの中でうごめいているわたしです。先生が側に居られなくなると言うのは少し辛いです。
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人混みは疲労の種

2010-09-26 20:34:38 | 日記
9月26日 日曜日 晴のち曇り

昨日のウオーキングで少々疲れたようですが、町中を歩いた時の疲れとは全く違いました。
どうも人混みは性に合っていないようです。とても疲れます。

山のような数え切れないほど商品はずらっと並んでいます。
そして素敵に見えるように売り物には、強い光を当てています。
デパートの中は、人工的な空調器機で温度調整も完全にされています。

雑踏に疲れ沢山の商品に疲れ、強い光線に疲れ、人工的清浄された空気に疲れる、そんな気がします。
昨日は三浦半島で山の空気を吸い、海の潮風も吸う事が出来ました。
そして良く歩きました。雑踏をこんなに歩いたらきっと起きあがれないでしょう。

でも今朝自分でも驚くほど元気でした。久しぶりのウオーキングで元気を貰えたのかも知れません。
それに”独り”という事を意識して、このツアーにっ参加したのですが、良い人たちばかりでした。
「定年時代」と言うタブロイド判の新聞広告を見て、このツアーを知り申込みました。

富士山の裾野を12回コースで歩くツアーも一緒に出ていました。
わたしとしては、三浦半島でしたら往復に時間がかからない分、疲労が違うと判断しました。
それに三浦半島でしたら、独りでも歩けるところが見つかるかも知れません。

三浦一族の資料・史跡を調べ、ツアーに参加すればもっと得る事が有るかも知れない、そう思いました。
それに、独りでも楽しく参加出来れば2重3重の収穫が得られます。そうなりたい。
第1回めは12キロ歩いたのですが、雨上がりでしたのでかなり厳しいコースでした。
29665歩、歩きました。凄いです。

それでも若い時、多少山を歩いていますからその頃を思い出しながら、重心を意識して歩きました。
そのお陰でしょうか、足の筋肉痛も今のところは感じません。我が家の立地条件も影響しているのかも。
住めば都とはよく言ったものです。この辺りに住む人は多分皆さん健脚のはずです。

坂を登る時、意識して膝の後ろを伸ばすように、アキレス腱も伸ばすように歩きます。
下る時も重心を意識して歩くようにしています。駅まで往復しますと3000歩はあります。
図書館へ行ったり、郵便局に行ったりしますと、5000歩ぐらいはあっという間に歩いています。

体調の管理をしっかりして、11回のコースを歩き通したいと思っています。
子供頃の疎開や夏休み親戚の家で過ごした事が、わたしの見えない追慕心があるのかもしれません。
自然の中で、参加した人たちは同じお弁当を広げ、一緒に戴く時間も楽しかったです。
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お彼岸の結婚式

2010-09-25 21:15:14 | 日記
9月25日 土曜日 雨のち晴

久しぶりに鶴岡八幡宮へ行きました。
台風12号がやって来ると言うので、お天気が悪いと思っていましたらなんと上天気になりました。
八幡様の階段を上がった所から舞殿を撮してみました。舞殿の遙か彼方に若宮通りの鳥居が見えてます。



階段の下、左側に今年の強風で折れてしまった銀杏があります。
その銀杏がまた新芽が出てきています。何年ぐらいで元の形状近づくのでしょうね。
無事に、早く大きくなってきて欲しい物です。



舞殿前で結婚式の記念撮影をしていました。最近この舞殿でも結婚式を行うようにしたようです。
来賓の方の準備OKのようなのですが、花嫁さんの姿がありませんでした。ちょっと不思議でした。



何となく気になりながら舞殿を見ながら通り過ぎる時、舞殿の奥で花嫁さんが支度中でした。
通行人から見えるところで、仕度をするというのも何となく気になりました。



八幡様をお参りして国宝殿へ向かう途中、また綿帽子を被った別の花嫁さんが歩いてきました。
結婚式をするところがいくつもあるようです。



出口に近いところで、白無垢を着たモダンな髪形の花嫁さんが記念撮影をしていました。
階段に新郎と新婦が立ち、カメラマンが写真を撮っていました。
でもわたしの所から写真を撮りたかったのですが、他の人が遮って写せませんでした。
八幡様の方へ向かう所のスナップを写しました。



お彼岸だというのに結婚式がいくつも行われているのに驚きました。
この頃は仏滅もお彼岸も関係なく結婚式をするようになっていると聞きました。
そんなことを気にするのはやはりわたしが年をとった証拠なのでしょうね。
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大満足の一日。

2010-09-24 20:54:31 | 日記
9月24日 金曜日 雨のち曇り

朝は雨が降っていてびっくりするほど気温が低くなって居たのには驚きました。
昨夜、タオルケットのままで寝てしまいましたが、寒くて困るようなことは無かったです。
家の片付けや掃除機をかけたりしますと暑くなりますから、真夏のワンピースを着て動きました。

その格好のまま家の前の道路を掃きに出ましたら、寒さにびっくりでした。
黄色い夏のワンピースを着ているわたしが恥ずかしい感じになりました。
道路のお掃除はその格好ですませ、家に入るなり直ぐに着替えました。久しぶりの長袖です。

着替えてから玄関前の彼岸花が綺麗に咲いていましたので、カメラに収めました。
このピンクの彼岸花は引っ越しされたお隣さんから戴いた物です。その時は白いお花でした。
でもこの頃はだんだん色が濃くなってきているような気がします。今年はわたしが大好きな色です。

お花が落ちる頃に葉が出てきます。
お彼岸の頃、多摩川の土手に、真っ赤な彼岸花が毎年密生して咲いていました。
今年は少し遅いような報道がありましたが、もう咲き始めているのでしょうか。

 

階段を上がって玄関の脇奥に、シュウカイドウも咲いていました。
あるじがシュウカイドウが好きで、あちこちに植えていました。
多年草で良く増えますし、茎もピンク色をしていて、とても可憐なお花でわたしも好きです。



プランターの青紫蘇に紫蘇の実が出来はじめ、少し白い花が咲き始めていました。
ハーブの一種です。もう少し、実がしっかりしたところでお豆腐の薬味にしたいですね。
このプランターの紫蘇が一番成長が早いようで、他はまだ2㎝ほどしか実が出てきていません。



この紫色のお花は名前を知りませんが、やはりハーブなのです。葉からとても強い香りを出します。
以前、名前を調べたのですが直ぐ忘れます。忘れることの天才と自負しています。(笑い)



お昼になっても気温が上がらず、とても涼しかったので冷蔵庫の整理をしました。
以前から気になっていたのですが、今年の夏の暑さは異常でしたからとても整理は無理でした。
今日はゆっくり片付けられました。

春、母の庭で取れた竹の子をお水につけてありました。
冷蔵庫内を片付け終わってから、竹の子を全部とりだし、線切りしました。
ピーマンもせん切りして、烏賊げそと一緒に炒めました。

わたしは牛肉をあまり戴きません。牛肉のニオイが体調の善し悪しのバラメーターになります。
時には全く受け付けない事もありますし、美味しく戴けることもあるのです。
体調は、何時どう変化するか分かりませんから、牛肉は強いて使わないようにしてしています。

烏賊げそでも美味しかったです。
冷蔵庫の中は綺麗になりましたし、火を入れなくては心配の物にはしっかり火を入れました。
今日は涼しかったし、本当にのんびり良い休養日になりました。満足満足、大満足です。
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素晴らしいバイオリンの演奏会

2010-09-23 21:02:39 | 日記
9月23日 木曜日 雨

朝から雨振りでした。
午後からみなとみらい小ホールでのコンサートに行くことになっていました。

コンサートが1時という事でしたので10時半頃には出掛け、有隣堂で地図を探すつもりでした。
ただ雨が降っていましたし、あきらめて真っ直ぐ桜木町へ行き紀伊国屋で地図を探してみました。
残念なことに、軽くて見やすい地図を探しましたが手頃な物が見つかりませんでした。

桜木町の駅の手前からランドマークは雲の中に入っているようでした。霞んでいます。



コンサートは横浜バロック室内合奏団のコンサートマスター小笠原伸子さんのバイオリンでした。
バッハの無伴奏バイオリンの為のソナタ3曲とパルティータ3曲でした。
最初の曲目はソナタ第1番ト短調でした。素晴らしい演奏でした。

わたしはオーケストラかピアノの演奏会へは行きましたが、バイオリンの演奏会は久しぶりでした。
ピアノで少しだけバッハを練習したことがありますが、とにかく難しかったです。
1人で3人分のパートを担当するような弾き方をするのですが、気がおかしくなるほどの緊張でしたね。

それなのに、バイオリンが音色を分けて演奏しているのです。凄いです。良い音色でした。
バイオリン一つで伴奏のパート、メロディーのパートの両方を演奏しているのです。
目をつぶって聞いていますと伴奏の楽器がいくつもあるような錯覚をしてしまうのです。

この音はベースかもしれないし、この音はもしかしたらフルートが担当するのかも知れない・・・。
そんなことを想像しながら、バイオリンの音色に吸い込まれていました。気持ちが良かったです。
来年もまたバッハの無伴奏のバイオリンの演奏会をするそうです。楽しみにが増えました。

横浜バロックのコンサートの後、ロビーでワインとお茶が用意され、演奏者の方も出てこられます。
今日は演奏者や来賓の方のコメントが有りました。



みなとみらい小ホールのロビーからエスカレーターで、1階分下に降りたところからの外の景色です。
国際展示場の建物の上の空です。灰色の空に灰色の雲の様子に何か物語りを感じました。
もう少し暗い灰色ですとブロンテの嵐が丘の挿絵を思い出します。



動く歩道から撮した写真です。
コンサートの後、ワインを少し飲みながらロビーで演奏者や来賓の方のコメントを聴き、
友人とおしゃべりしながらお茶をして、一緒に桜木町駅に向かう途中の景色です。

  

時間は5時6分になっています。結構ゆっくりしていたようですね。
わたしは地下鉄で、友人はJRですから、そこでお別れして帰宅しました。
バッハのバイオリン演奏のCDを買って聞きたくなっています。探してみます。
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秋の運動会

2010-09-22 21:49:44 | 日記
9月22日 水曜日 晴れ

今日も真夏のような暑さで少々疲れ気味です。
それでも朝起きて、ガラス戸を開けますとひんやりと気持ちの良い風が入ってきます。
まだ太陽の熱で空気が暑くなっていないのでしょうね。

その涼しい空気の内に、お掃除やらなにやら家の仕事を片付けるようにしています。
それでつい朝食が遅くなり、時々ブランチになってしまいます。
空腹感を全く感じないので、どうしても朝食を取り忘れてしま居ます。

9時からコミニティーへ行きました。小学校のグランドの脇を歩いた突き当たりにあります。
グランドでは体育の時間なのでしょう、はちまきや赤白帽を被って運動会の練習のようでした。
この真夏のような暑さなのに、子供たちは大丈夫なのかと心配しながら歩きました。

コミニティーは建物の3階にあります。
わたしはロビーのテーブルのところで、エラーを起こしてしまったパソコンを持てあましていました。
グランドではまだ運動会の練習をしていました。

 

この暑さの中、長時間の外での体育は先生にも子供たちにもさぞ負担になっているのでしょうね。
上から暫く眺めていましたが、ぼんやり立っているような子供は一人も居ませんでした。
一生懸命に徒競走の練習をしたり、バトンの渡す練習をしたり、全員よく頑張っていました。

わたしの孫たちの運動会はもう終わっています。
中学生は運動会前の1週間は体操着を着て登校して、授業は全くせず運動会の練習だけだと云います。
学業と一緒にしては効率が悪いと思っているのでしょうね。
それも一日中、運動会の練習も辛いと思います。この暑さですから・・・。

上から見下ろしながら、子供の頃の事を想い出して見ました。
確かに暑い時期、練習をしたのを覚えています。
わたしは運動会の練習は大嫌いでした。行進の練習を良くしていたのを思い出します。
それとダンスの練習が多かったです。どうかするとみんなの前で踊らされたりしてそれも嫌でしたね。

徒競走は低学年の頃は群を抜いて遅かったようです。よく両親が云っていました。
あんまり離れて一番ビリを走っているので、大きな声で名前を呼んで応援したそうです。
その応援の声に気がついて、走りながら手を振り「おかぁさん~」と返事をしたとか・・・。
何時までも笑い話の種になっていました。子供の頃から競い合う意識が薄かったようです。

じっとグランドを見下ろしていましたら、グランドが昔は土だったことを思い出しました。
暑くても照り返しが無かったような気がします。
冬は霜柱が立ち、歩くとシャリシャリ、霜柱がわれる音を聞きながら校庭を歩いたものです。

この所霜柱は偶に庭の土の軟らかいところで見ますが、霜柱を踏んで歩くような経験はありませんね。
土の道路やグランドが少なくなっています。その分だけ反射熱があるのでしょうね。
教師も生徒も私たちの頃よりずっと大変な練習をしているのでしょうね。

お昼前には帰宅しましたが、暑かったので食堂のクーラーを付け、冷蔵庫の野菜ケース整理をしました。
キャベツを茹でたり、大根と出汁昆布でお新香を作ったり、ジャガイモでマッシュポテトも作りました。

何となく所在ない時に、野菜の処理をしておきますと、結構楽しめますし食事の準備が楽でになります。
昨夜もでしたが、「食客来たり」で昼時処理をしましたお野菜に少し手を加えて、楽しい食事になりました。
野菜が出来ていましたし、メインはカレーシチュウでした。
今日は紹興酒をお猪口に1杯ずつ飲みました。樽出しなのでまろやかで美味しかったです。


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上外郷橋近辺

2010-09-21 23:15:54 | 日記
9月21日 火曜日 晴れ

何時ものんびりしていますが、特に3連休は全く予定も無く、夏バテ解消には好都合でした。
もっとも連休の中日に告別式というハプニングがあり、これは流石に疲れました。
それでも帰宅してからはベットで微睡む事も出来ましたし、昨日もウダウダ、丸一日休養日にしました。
一刻も早く夏バテにさよならしたいです。

火曜日は一瓶窯の日です。月末の支払いをする日ですから、少し早めに家を出かけました。
朝晩は秋の気配になっていますが、今日の日中はまさに夏の陽射しでした。暑かったです。

帳簿の仕事を片付けてから、支払いに出掛けました折、黄花コスモスが満開でした。



芙蓉も去年より一回り大きくなったようです。



川沿いのこの路を何時か歩いてみたいと思っています。何処まで続いているのでしょうか。



この川を渡るたびに、何処かハイキングに行ったような気分になります。好きな景色です。



何度撮しても直ぐこの橋の名前を忘れてしまいます。認知症になりかかっているのかしら、と心配します。



お教室の生徒さんがお教室宛に葡萄を送って下さったのです。
冷蔵庫に入れて少し冷えたとかで皆さんと頂くとか、わたしもお仲間に入れて頂きました。
びっくりするほど新鮮で、美味しかったです。

それに葡萄の色がとても綺麗でした。絵心がある人でしたらスケッチして描きたくなるのでしょうね。
2本のゴーヤは、生徒さんの畑で取れたものだそうです。並べてカメラに収めてみました。
前にも戴きましたがサラダでとても美味しかったです。



帰宅して昼食後、また起きているのが辛くなりベットで横になる事にしました。
なんとか、この怠さが抜けて欲しい物です。もう少し涼しくなれば違うのでしょうね。
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介護短歌

2010-09-20 22:46:40 | 日記
9月20日 月曜日 晴れ

午前中、テレビで介護短歌の事の放映を見ました。
介護をする人たちの苦労は言葉に出来ないことが沢山あると言うことは知っています。
その方たちが短歌を作る事で、苦しい辛い気持ちを整理出来ると云っていました。

短歌を作ること時は「そのこと」を見つめて言葉を探します。
31文字に思いを封じ込める為には、客観的に冷静に言葉を選びます。
優先が介護している側だったのが、和歌を作るようになって介護される者の気持ちに気がついたとか。

40歳代の頃、わたしが欝っぽくなり、体も心もどうにもならなかったことがありました。
抗うつ剤やら、痛み止めやら訳が分からないほど沢山薬を飲んでいました。
それでも一向に良くならなかったのです。

そんな時、斎藤茂吉の歌集を何となく買って読んだのです。
茂吉の母親が倒れたという知らせで山縣に帰り、母親を看取ります。
その時茂吉が詠んだ歌を目にして、何となくわたしも短歌を作りたくなったのです。
図々しい事に、わたしにも作れるかも・・・と思ったのです。

近代短歌より、古今集とか新古今集の短歌ばかり見ていましたから、茂吉の短歌は新鮮だったのです。
それから数年間、毎月5首、作り同人誌へ投稿しました。
あるじはロマンティックな良い短歌を作る人でしたので、一緒に送っていました。

和歌を作ることで混沌としたわたしの気持ちが少しずつ整理されていきました。
自分の気持ちが見えず、悩み続けていたのですが和歌を作り始めて少しずつ廻りが見えてきました。
周りが見えてきますと、そこから抜け出すのにそれ程時間がかかりませんでした。
短歌に助けられたのです。

今日テレビを見ながら、わたしが辛かった頃を思い出しました。
短歌を作っていた頃の事を想い出しました。でも今のわたしには和歌を作る気力が無いみたいです。
このブログにダラダラなんと言うこともない、日常の事を書くことで紛らわしています。

逝ってしまったあるじに今日の出来事を話している、そんな気持ちで毎日書いています。
もう少し落ちつて来ましたら、また和歌に挑戦してみても良いのでしょうね。
短冊に下手な筆文字で下手な自作の歌を書いて、悦に入っている自分を想像してぎょっとしますが・・・。

もう暫くブログの更新で、心の整理をすることにします。
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少年野球と告別式

2010-09-19 22:13:44 | 日記
9月19日 日曜日 晴れ

敬老の日があって3連休の中日でした。良いお天気で、まさに行楽日和には最適の天候でした。
わたしは新高円寺まで告別式に行ってきました。
当の幼友達は昨年秋他界してしまったのですが、残された彼のお母様が心筋梗塞で亡くなられたとの事。

亡くなった友人は長男でした。世間に良くある嫁姑問題で彼は離婚をし、母親と2人で住んでいました。
彼が亡くなってからは施設に入って居たのです。
明るくていかにも”肝っ玉母さん”というイメージで、綺麗な素敵なおばさんでした。

沢山のお花で飾られた祭壇の中央に、昔と変わらないおばさんの遺影は素敵でした。93才でした。
昨夜母が「良いわね、迎えが来てくれて。わたしも早く来ないかしら」と、しみじみした声で言いました。
告別式のお経を聴きながら、その母の言葉がわたしから離れませんでした。母は94才です。

昨日のお通夜にも皆さん来られたようですが、今日の告別式にも、同級生がやって来ていましたね。
野球部の時のお仲間や、大森の住人がほとんどで、横浜からは2人だけでした。
ネットで検索して行きましたが、初めての路線でしたし結構疲れました。
帰宅して3時間、ベットで熟睡しました。食欲も無く、夕食はあたたかい緑茶を飲んでお終いにしました。

駅からタクシーを使って帰宅するつもりでしたが、友人がよく使うというのでバスにしました。
歩くよりはバスの方が楽ですが、バス停からは少し距離があるのですが・・・。
バスを降りて、いつもの公園の横を通りましたら、大勢の人声がします。少年野球の試合のようでした。

     

疲れていましたが公園に入って、公園の様子を撮しました。
試合待ちの少年野球選手たちの姿、監督やコーチらしい大人の人たち、選手の母親たちで一杯でした。
オートバイも沢山止まって居ますし、敷物を敷いて、その上にずらりと並べられた鞄の几帳面さ。

大きな声の声援が飛び交い、とても良い雰囲気で、気持ちが癒やされました。
何時も人気のないこの広いグランドが、活き活きしていてわたしまでも元気を貰えそうでした。

野球部のエースだった友人もこんな風に、野球の試合をしていたのでしょうね。
そしておばさんは応援しに行っていたのでしょうね。
タクシーで帰ってきましたら、この光景は見られなかった。バスにして良かったと思いました。
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孫息子の葉書。

2010-09-18 19:30:18 | 日記
9月18日 土曜日 晴れ

今日も良いお天気でした。
起きた時から、気怠さがありパタパタ動きにもなれず、ぼんやりしていましたら
幼友達のお母様が亡くなられたという知らせが入りました。今日お通夜で、明日が告別式と言います。

幼友達本人は昨年亡くなっていますから、どうした物かと友人と電話で話たりしてました。
そんなことであっという間に正午になってしまいました。
結局、昨日尋ねてきて下さった友人とわたしは告別式だけに出させて頂くことにしました。
斎場が杉並の方ですから、お通夜に出ますと帰りが遅くなるので失礼することにしたのです。

そんな電話の最中、チャイムが鳴って町内の役員の方が敬老のお祝いに御出になりました。
本人的にはまだそんな年とは思っていないのですが、確かに体力の衰えは日々感じています。
お祝いにカステラを戴きました。あるじの写真の前に供えました。
本来は彼の方が戴くはずのカステラですし、あるじはカステラが好物でした。

気怠さで食欲が無いので懐かしいお焼きでも遊びながら作って見ようと冷蔵庫から残り物を探しました。
玉葱少々、キノコやオクラ等、野菜をきざみ、冷凍庫から豚肉を出して水溶き小麦粉と合わせました。

鉄板でホットケーキのサイズに焼きました。
いつもは薄味に塩とお醤油少々で焼くのですが、今日は味噌味にしてみました。
なかなか美味しかったです。口に入れた時、お味噌の香りがして食欲を誘いました。

トッピングに焼き海苔やら桜エビやら鰹の削り節と、いろいろ試してみました。
どれも美味しかったです。残ったお焼きは容器に入れて、また温めて頂けるように冷蔵庫保存です。
いろいろ入っていますから、トーストパンより栄養価もありますし、わたしは気に入っています。
戦後の「代用食」ですね。でも材料が豊富で小麦粉も上質ですからとっても美味しいです。

夕方ポストを覗いてみましたら、わたしの一番小さい孫から葉書が来ていました。
多分「敬老の日」を意識してのプレゼントなのでしょうね。
スキャンをしたのですが、白に白ですから葉書が見えない・・・。
葉書をカラーの台紙に載せれば良かったのですがちょっと失敗。あっくんに謝らないといけませんね。

       

彼らしい葉書はとても嬉しかったです。直ぐに返事を書くことにしました。
わたしもわたしらしい葉書にしたくて、ちょっとだけ墨をすって悪戯書きをしました。

描きながら、以前は良くこんな悪戯書きをしていたことを思い出しました。
この頃はずっと何も描いていませんし、墨をすって字を書くことも忘れていました。
気持ちが沈んでいて毎日を流されながら、何となく過ごしていました。反省です。

この夏の暑さも影響しているのかも知れませんが、気持ちが沈みっぱなしでした。
元気そうに明るく振る舞うように努力していましたし、駄目な時は時間つぶしに家でわたし流の癒やしです。
何か張り合いを見つけることが先決と自覚しています。
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声帯癌

2010-09-17 21:32:05 | 日記
9月17日 金曜日 晴れ

今日もこれという予定は入っていませんでした。
ただわたしの小学時代からの友人が、あるじを訪ねてきて下さいました。
彼女は美味しい御菓子を作ってあるじ持ってきて下さったのです。嬉しかったです。

ご主人がもう何年も前に胃ガンの手術をしていましたので、「お変わりない?」と尋ねましたら、
「大変だったのよ」と、ご主人の事を話して下さいました。
声帯癌が見つかり大手術をしたのだそうです。あまり症例が無い声帯癌だったようなのです。
何も徴候を感じていなくて、単に胃カメラの定期検診に行き見つかったとか。

初めて医師の説明を聞いた時、これからどうなるかとても不安だったと云います。
そして手術後の大変だったこともお聞きして、その時の彼女の辛労が伝わってきました。

今はなんとか少し好きなことが出来るようになりホットしたと言います。
でも手術後、寝たきりになっても生きていて欲しい、と祈り続けたと言います。
両方の御両親のお墓参りを何度もして、「連れていかないで、迎えに来ないで」と頼んだそうです。

彼女のご主人は徴候無く、定期検診で病院を紹介され再検査の結果で判明。青天の霹靂だったと言います。
わたしのあるじが急逝した時のわたしの気持ちが解ったと言います。
本当にあの時のわたしは何をどうしていたのかを、きちんと覚えていません。
2人の娘夫婦が本当に良く動いてくれました。全部彼女たちが仕切ってくれたのです。

わたしの作ったコーヒーゼリーを2人で食べながら、そんな辛かった時の話をしていました。
話している内に胸が一杯になって来ました。幼友達って本当に良いですね。
小学生の頃からお互いの家を行ったり来たりして遊んだ仲です。もう何十年もの付き合いです。

言葉を無くしてしまったご主人のお昼に間に合うようにと、急いで帰って行かれました。
ご主人は声帯の手術はかなり大変だったようで、腸の方にも影響が出ているとか、食事はお粥だそうです。

弘前の蕗の薹で作った蕗味噌を、ご主人のお粥の箸休めにお持ち頂きました。好物なのです。
彼女には、大急ぎで今朝仕上げましたタオルのエプロンをプレゼントしました。
わたしのささやかな御礼のつもりです。彼女のご主人の少しでも良くなる事を願って居ます。

彼女はお墓参りに行き、御両親に「連れていかないで、迎えに来ないで」と頼んだそうですが、
わたしはあるじの両親の位牌に、「息子を連れていって、何でわたしを迎えに来てくれないの」と云い、
あるじには「早く迎えに来て欲しい、何時迎えに来てくれるの?」と手を合わせ、毎日祈っています。
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お酒も「良し」かも?

2010-09-16 18:23:43 | 日記
9月16日 木曜日 雨

久しぶりに雨音がするほど、強い雨が降っていた。
母が滞在中から、熟睡出来なくなっていました。そして体力低下になり食欲不振になっていましたが、
昨日、次女と昼食したり、友人と夕食をしたりしてほとんど平常に戻ってきていました。

中華料理店へ町内の奥様たち15人、昼食に行くことになっていました。
酷い雨も小雨になっていました。
台湾料理でしたので、それ程油っぽくなく、美味しく戴きました。

ただお腹一杯、食べ過ぎましたね。
この所、量的には食べられずにいたのですからわたしの胃袋は驚いたようです。
帰宅して消化剤を飲んでベットで横になって居ました。何となく胃が重たい・・・。

結局時間を空けて3回も消化剤を飲んでしまいました。食いしん坊の証拠です。
でも食事中はそれ程感じませんでしたし、樽出しの紹興酒も美味しかったです。
このグループは昼間でもお酒を飲む方がほとんどで、このところわたしも多少は飲めるようになりました。

一人で楽しく生きていく術を考え悩んでいます。少量のお酒は良いかも・・・。
飲み過ぎなければ、食事も楽しくできます。ゆっくり食事を楽しめます。
今のところ2,3日夕食の時アルコールを飲みますと、それから数日は飲みたく無くなります。

無理して飲むこともないので成り行き任せで、楽しむことにします。
以前のボイラー室には、10年以上前の梅酒が7本もありましたし、
あるじが大事にしていましたブルーラベルのジョニーウオーカーも残っています。

戴いた上等のブランデーなどを婿殿と飲むのを楽しみにしまっていましたが、
残念なことに婿殿はアルコールが飲めないのであるじはちょっと可愛そうでしたね。
わたしも毎夜、晩酌の時まずはビールで乾杯、そして日本酒をお猪口で1杯は飲んでいました。

あるじ曰く、「あんまり強くなられては僕の飲み分が減るからなぁ~」と云って笑っていました。
それでも一人で飲むのはつまらなかったのでしょうね。
缶ビール1本と1合5勺ぐらいの日本酒で、2時間から3時間食堂で楽しんでいましたね。
わたし一人ではアルコールを飲んでも1時間がせいぜいです。
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