フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

幼な友達と一緒に

2011-12-31 23:59:25 | 日記
12月31日 土曜日 晴れ

今日もお天気が良かったです。お洗濯物を探して今年の洗い納めをしました。
前日にほとんど片づけ仕事は終わっていましたので、のんびりした一日になりました。
こんなにのんびり静かな大晦日を過ごすのは生まれて初めての経験でした。

カメコの水槽も洗いました。そのときカメコと少し遊んでしまいました。
遊ぶと言えば聞こえが良いですが、実はわたしがカメコを弄っただけですから、カメコとは迷惑だと思います。
カメコの体重も量ってあげました。30グラムもあったのです。もっと少ないと思っていました。



カメコはわたしの手の平に乗せていますと全く動きません。
でも両方の後ろ足はわたしの手のひらに触れているのですが、前足は引っ込めていました。
頭は少しだけ出してわたしを見ています。きっとこれから何をされるのかどきどきしていたのかもしれません。

水槽のお水がだいぶ温かくなってきましたので、人工岩の上にのせてあげましたが、
しばらくジッとして全く動きません。
余計なお節介ですが、親切の押し売りです。水の中に入れましたら少しだけ泳ぐような動きをしました。



1人でぼんやりお茶をしていましたら幼友達から電話がありました。
彼女も生まれて初めて1人で大晦日を過ごして居ると言います。
それならこれから我が家に来ませんかと誘うわたしに、もうお風呂にも入ったと言いました。

でも彼女はやって来ました。横浜駅から電話がありましたので最寄り駅までお迎えに行きました。
思いがけず楽しい大晦日になりました。
わたしの常備菜とカボス酒と柚子酒だけでしたが結構楽しめました。

これから毎年大晦日は我が家で過ごすことにしようと約束しました。嬉しいですね。
もうお正月の1人旅行を考えなくても良いのです。楽しみが出来ました。
今夜は2人で夜更かしです。今年最後の日は特別良い日になりました。感謝感謝です。

来年もまた良い日が続く事を念じながら緞帳が下りました。絶対、良い年にしたいです。
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お正月モードに

2011-12-30 17:44:21 | 日記
12月30日 金曜日 晴れ

今日も快晴。さすがに庭の水まきをしてあげないと可哀想な状態になっていました。
枯れ葉を箒で掃きまとめビニール袋に入れ、前の道路も掃きました。
よそのお宅の紅葉の葉が沢山飛んできていました。風がありましたので掃いてもすぐ舞ってきました。

今日が燃えるゴミの今年最後の収集日です。昨日片づけを終えていましたので全部出せました。
それから、一夜飾りは縁起が良くないと言われていますので、家の中を少しお正月モードにしました。
喪中ですが少しだけ気分転換です。何を飾ろうかしら・・・と思うだけでも楽しいです。

お花はお隣さんから2種類の千両を頂き、水仙と小菊は我が家の庭の物です。
榊もお庭に植えていますので、この時期はお花屋さんへの用事が少なくなりました。
玄関と洋間と食堂の3カ所をお正月モードにしました。

まず食堂から始めました。わたしの好きなムーミン家族がそう揃いです。
いつもおひな様の時に使っています畳の上に立たせました。
屏風の代わりに夏モードのようですがちょっと変わって居て良いような気がしました。

わたしの楽しんだ様子を、3カ所分撮しました。全景とアップの2種類を撮しました。。





洋間はお気に入りの絵本の前に紙の金屏風を置き、友人手作りの干支の竜を並べました。
布製です。ひげ等細かい作業が多くて作るのが大変だったそうです。
竜だけのアップ。かわいいです。





玄関が一番ささやかにお花だけのつもりでしたが、お正月にぴったりの花瓶に小菊を生けました。
ちょっとつまらないので小さな独楽がありましたのでそれを並べてみました。
独楽の脇に小さな狸さんも仲間入り。何時手に入れた物か忘れてしまっています。メモをするべきでした。





いくつになってもこんな物を並べて楽しむわたしにいつもあるじは好意的でしたね。
「可愛いじゃない」といいながら「楽しそうだね」とわたしによく言っていました。
あるじが亡くなって3年半くらいこのような遊びを忘れていました。

本棚や戸棚にこのような小さな子供が喜びそうな物がいろいろしまい込んでいます。
今年はどのようにしようかと、考えている時間が結構楽しいのです。
それを飾っている間は、お掃除をするとき一つ一つ拭いて、少し立ち位置を変えたりします。

今年もあと1日だけになりました。新年は目標に向かって進めるようにしたいです。
目下その目標の選択中。娘たちが子供の頃、真新しいカレンダーの裏に今年の目標を書かせて居ました。
そのカレンダーを処理するときに「反省」のような事を話した物です。

成人してからの娘たちから、「とても嫌な事だった」と言われてしまいました・・・。
でも、やっぱり目標を持って過ごすのと、目標無しで過ごすのは違うと思います。
あるじの急逝以来、「目標」と言える物を考えられませんでしたが、今年は思案中です。

目標と結果には大きな差が出るのでしょう。それはそれで良し!です。まずは1歩前進です。
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年末の片づけ仕事最終日

2011-12-29 23:57:41 | 日記
12月29日 木曜日 快晴

今日も快晴の良いお天気だったと思うのですが、早朝前の道路を掃きゴミを捨てただけ。
どうしても2階の部屋を片づけたかったので、ずっと家の中でした。
和服を着るときは和箪笥が置いてありますのでいつも2階を部屋を使っています。

その部屋をこの数日ごちゃごちゃにしてしまったのです。
ピアノの移動があったとき、ピアノの脇のクロークに、不要品をいろいろ詰め込んでいました。
それを全部2階のその部屋に放り込んで、そのまま放置していました。

変な性分で和服を着るときは、いつも整理整頓もですが綺麗にお掃除した部屋で無ければ嫌なのです。
明日の30日にお正月の準備を完了したいので、どうしても今日片づけをしたかったのです。
食後の休憩を取らないと体調が悪くなりますから、朝食前に取りかかることにしました。

それほど時間をかけるつもりは無かったのです。
2階の片づけを済ませたら、1階も2階も掃除機をかけたいと思っていましたのでその準備もしました。
パソコンの机のところでまた一仕事を見つけてしまったのです。コードの整理をしてしまったのです。

コンセントを差し替えるだけなのですが、そのために机の上や棚の上の物を動かしたりしました。
そうしますとコードの埃が気になってたり、机の上や棚の上の物が気になってしまったのです。
この辺りはわたしの悪い癖なのでしょうね。始めてしまうときりがないのです。

気がついたらもう1時すぎていました。
仕事を始める前に少し残っていました去年の餅米を洗っておきました。使ってしまいたかったのです。
銀杏は焼いて皮をむき冷凍保存してありますから、久しぶりに銀杏おこわを炊きたかったのです。

お銀杏おこわを炊きながらテーブルのセットをしました。
なるべく冷蔵庫の中の物を処理できるようにしたいと思っていますので、新しく何かを作る気はありません。
常備菜が何かしらあります。煮物も酢物もありましたし、冷凍庫からシュウマイを出して蒸しました。

お茶しているうちに身体がとてもけだるくなり重たくなってきました。限界だったのでしょうね。
仕方なく5時頃までベットに入って寝てしました。しっかり休憩をしました。
目覚めは悪かったですね。身体はまだとても重かったです。

身体はきつかったのですが、わたしとしては満足感一杯でした。
明日、わたしのベット周りのお洗濯をして、その後ベットを作るです。おせちは作りません。
後はお花を生けて喪中の新年を迎える支度はお仕舞いです。31日は予定なしです。嬉しいです。
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今年最後のお出かけに大失敗

2011-12-28 20:39:53 | 日記
12月28日 水曜日 快晴

友人のお誘いで浅草の「布文化と浮世絵の美術館」へ行ってきました。浅草は本当に久しぶりでした。
今回の展示は民俗学者・田中忠三郎氏が半世紀かけて集めた古い衣類の展示でした。

美術館は浅草寺のすぐ隣でしたので、仲見世通りをきょろきょろしながら向かいました。
わたしの右足がまだ痛みがあることを友人に伝えて居ましたので安心でした。

「針と糸が織りなす世界」と言うテーマの展示でした。
つぎはぎだらけの凄い衣類です。現在の子供たちには想像できないぼろぼろの衣類の展示です。
「ぼろ」と言っても穴があいているわけではなく、しっかり繕ってあるのです。

元々の布がどれなのか分からないほどツギがしてあります。ツギの上にツギがしてあります。
ツギに使う小さな布が無いことで、とても困ったことがあったと老女のコメントが書いてありました。
今でも大事に大事に小さな布を持って居るのだそうです。それを息子も孫も捨てろ、と言うのだそうです。

現在はツギを当てた洋服を着て居る人など居ませんし、穴が開くまで洋服を着ることは無いでしょう。
わたしもあまり捨てられない人間ですので、娘たちにいい加減に処理したら?と言われることがあります。
でもまだ破れていないから、と言って着続けています。娘たちがあきれています。

でも今日の展示の衣類はすさまじかったです。この展示を見たら娘たちはどんなに驚くか・・・。
自由に触っても良いし、写真を撮っても良いと掲示してありますし珍しい展示会でしたね。
着物で普段着のくつろぎ着を作りたいと思っていますので、ツギツギの衣類の写真を写してきました。

友人ともんじゃとお好み焼きを食べ、帰り際にお汁粉も食べました。
下町の景色や雰囲気を存分に楽しみましたし、浅草寺界隈の写真も撮ってきました。



浅草寺からスカイツリーが見えていました。



布文化と浮世絵の美術館の屋上から、浅草寺境内の景色です。



お天気も良く風もなく、とても良い散策日よりでした。
もう少し散策したかったのですが、わたしの足のこともありますので3時過ぎには帰途に。
今年最後のお出かけと言うのに、最後の最後にまた大失敗を。居眠りして乗り過ごしてしまいました。

黒沢監督の「夢」という映画の衣装に田中忠三郎氏は携わったと書かれていました。
DVDを探して見てみたいです。乗り越しの失敗はしましたが今日も良い日になりました。
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家が壊される事

2011-12-27 19:01:33 | 
12月27日 火曜日 快晴

今日もすばらしいお天気でした。
予報では最高気温が7℃で寒いと言うことでしたが、陽差しがあって暖かったです。
新年早々、葉が落ちているのは嫌ですからノウゼンカズラの枯れ葉を箒で払い落としていました。

前の道路に落ち葉が舞い落ちて、汚すのを最小限にしたいと思っています。
藤棚の葉はほとんど残っていませんが、花房の蔓とインゲンのような実の皮がデッキに落ちてました。
外仕事をしていましても陽差しが暖かく気持ちが良かったです。お洗濯も気持ちよく乾きました。

朝食の前に一仕事、と思ったのが失敗でした。
夢中になって片づけをしてしたようで、気がついたら12時をすぎていました。
朝のうち痛かった足もだいぶ楽になっていましたので、頑張れたのでしょうね。

ただ起きてからカップ1杯のお水しか口にしていなかったのです。
空腹感も全く感じませんでした。でもこれは危険なことです。反省です。
わたしの部屋に刺繍をするための道具一式をこの部屋に置きたいと思っての片づけでした。

来年は刺繍を少し楽しみたいと思い始めています。たぶんピアノを弾き始めたからなのでしょうね。
お店を始めるまで、わたしにとって刺繍とピアノはセットでした。
音を出してしまうピアノは午後9時まで、9時過ぎは刺繍をしていました。

会社員の頃のあるじの帰宅は夜中がほとんどでしたから、刺繍をする時間がありました。
帰宅したあるじはわたしの作品を見て「綺麗だね」とか「ダイブできたね」と言ってくれたものです。
刺繍の材料や針道具で、部屋をごちゃごちゃさせたくないと思っての片づけでした。

まずまず一段落。何とか刺繍道具の場所を確保しました。めでたしめでたし。
ゆっくりブランチを楽しみました。珍しくケチャップを使って炒めご飯を作りました。


昨日、鍼治療に行く途中の家の写真です。シャベルカーで壊していました。



1週間前はその兆しもありませんでしたのに。壊される家を見るのは辛いです。寂しいです。
家を建てる時の音は元気をいただけますが壊す音は本当にえぐられるような痛みを感じてしまいます。
立て替えのためなら良いのですが、たいていは売り家や売り地になってしまいます。

今、壊している家のお隣さんも紫陽花の頃、家を壊してまだそのまま放置されています。



此処までわたしが寂しく思うようになったのには、理由があります。
我が家と同じ日に建前をした斜め前のお宅のご主人が、脳梗塞の奥様を残して亡くなられ、
まもなく奥様は施設に入り家は売りに出され、すぐに家は壊されました。

あるじが亡くなって間もない頃のことでした。シャベルカーがガリガリ家を壊していきました。
雨が降る中、家具も寝具も機械がつまみ上げトラックの荷台に積んでいたのです。
少し前まで使って居たはずのお布団が雨に濡れながら空中に放り出されていたのです。

涙が止まりませんでした。窓を閉めテレビの音量を上げ、外の音が聞こえないようにしました。
あの状況は近い将来、わたしの家も同じようになるわけです。痛切に感じとても辛かったです。
お庭を掃きながらあと何年間、この家に居られるかしら?と思いながら箒を動かしていました。
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昼食の鍋と夕食の鍋

2011-12-26 23:34:37 | 日記
12月26日 月曜日 晴れ

鍼・灸の治療を9時に予約していました。
朝起きたとき、身体に違和感がありました。身体が重たいし古傷も痛みました。
ゆっくり動いて体調調節だけをして、生ゴミも出さず前の道路のお掃除もせずに出かけました。

先週よりは調子が上向いていると言うことでした。
確かに先週は剥離骨折した足も痛んでいましたし、背中も痛く身体を持てあましていました。
今日はそれほどのつらさは無くなっていました。

治療の後、郵便局と銀行に立ち寄って年末の準備をしてきました。
仏様用のマッチとローソクも買ってきました。
お参りの時、ローソクに火を付けるのはマッチを使っています。チャッカマンを使いたくないのです。

今年はおせちも飾り付けもしませんから、これですべて終了です。
何か、とんでもなく手抜きをした年末を過ごそうとして居るような気がしていました。
帰り道、お隣の奥様から2時頃に「お団子のお鍋」を一緒に食べましょうとお誘いを頂きました。

彼女も今日はお一人で夕食と言うことでした。でも「お団子の鍋」がどんな物か分かりませんでした。
彼女のお団子というのは、豚挽きとエビを細かく切った物を練り合わせた物だったのです。
お肉の匂いをエビが消していて、とても美味しいお団子でした。わたしの朝・昼食でした。

夕方次女から電話があり、夕食をわたしの家で一緒にしましょうと言ってきました。
お夕飯に何を準備すれば良いのかを聞きましたら、ご飯を炊くだけで良いと言います。
お言葉に甘えてぎりぎりまで本棚の片づけをしていました。

なんと次女も鍋の支度をしてお鍋ごと持ってきてくれたのです。
昨日買ったというローストチキンも持ってきていました。わたしもほんの少し頂きました。
お持たせの鍋はきりたんぽ鍋でした。孫息子が好きなのだそうです。

美味しく頂きました。きりたんぽはわたしも好きです。
今日は2種類のお鍋を頂きました。それもどちらもが好意のお鍋です。感謝ですね。
嬉しかったです。孫息子と孫娘と次女。それにワンちゃんも一緒にやって来ました。

ローストチキンを見ても、アイスを見てもワンちゃんがジッと見つめるのです。
可哀想でついあげたくなります。でも勝手にいろいろ食べさせてはいけないとのこと。
ワンちゃんへの過保護振りにも驚きましたが幸せな日になりました。嬉しかったです。感謝です。
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思い出とこれからと

2011-12-25 19:57:54 | 日記
12月25日 日曜日 晴れ

お天気の良いクリスマスになりました。
フォンテーヌを営業しているときはクリスマスケーキを作っていましたから、お天気を気にしたね。
晴れとか雨という事ではなく、気温が一番問題だったのです。冷蔵庫に収納しきれないのです。

気温が高いと柔らかくなりますから、生クリームのケーキを冷蔵庫に収納します。
予約のケーキは前日の夜中に作りはじめ、当日のお客用にも準備します。収納し切れませんでした。
クリスマスイブが一番忙しかったですね。200台300台は当たり前に作って居ましたね。

当日のお客が多すぎて当日デコ台(ケーキ用のカステラ)を焼いたこともありました。
急いで冷ましてカットして生を入れたりイチゴをサンドにしたり、裏方は大忙しでしたね。
今になってみますと大変でしたが良い思い出になっています。懐かしいです。


昨日漬けました赤カブです。



朝食の時に味見をしてみました。
まだもう少し漬けた方が良いかしら?と思いながらパクパクお代わりをしてしまいました。
味見どころではありません。美味しくてサラダ代わりに食べてしまいました。

添加物無しの赤カブ漬けですから安心です。
きれいな赤い汁が出ていますから、もう少し我慢して漬けておけばもっと赤く染まるのでしょうに、
困ったことにわたしには待ちきれない・・・。明日またスーパーへ行って買って来たいですね。

普通の白いカブで同じ漬け方をしたらどうなるのでしょうね。それも試してみようかしら・・・。
年末年始は冷蔵庫・冷凍庫の整理をしながらいろいろ料理を楽しむつもりでいます。
お正月も普通に過ごすつもりです。1人ですからその方が良いような気がしています。

おせち料理の支度をしても1人では、かえって寂しくなるだけのような気がするのです。
孫たちは元旦から婚家の新年会ですから、我が家にくる頃にはおせちに飽きてしまってます。
わたし1人ではかまぼこも伊達巻きも多すぎますかっら、創作料理を作って楽しみます。
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イブの夕食はオハギに。

2011-12-24 21:08:12 | 料理
12月24日 土曜日 快晴

とっても良いお天気のクリスマス・イブでした。
例年ですと母がやって来ているか、さもなければイブの夕方には我が家にやって来ていました。
94歳になってもクリスマスは母にとって大切なお祭りだったようです。

父が元気な頃は両親2人で七面鳥をクリスマスには頼んでいたようです。
その思い出でクリスマスが母にとって大切な日になっていたのだと思います。
でも母のそのような思いに気がつかないふりをしていました。言っても認めなかったでしょうね。

そんな母も3月6日に急死し、あの大地震の日が母の通夜でした。
東北の地震の後、母が住んでいました富士宮にも震度6強の地震がありました。
母はあの強い地震に遭わずに亡くなっていたのです。

母の死は悲しいのですが、大地震を体験せずに逝ったことはある意味幸せだったのかもしれません。
そう思うようになってきました。怖い思いをせずに逝かれてよかった・・・。
心臓が悪かった母でしたからショック死になったかもしれません。

生まれて初めて時間を気にしないクリスマス・イブになりました。
午前中は内科とと皮膚科に薬を頂に行き、帰りがけスーパーでフランスパンを買ってきました。
クリスマスイブの食事のつもりでしたが、おはぎを頂きイブの夕食はおはぎになりました。

赤カブが売っていましたので買ってきました。赤カブを漬けてみようと思ったのです。
先日友人が漬けた赤かぶを頂きとても美味しかったのです。
レシピを教えて頂きましたので漬けてみました。美味しく出くると良いのですが。





カブは洗って適当の大きさに切り、付け汁(砂糖・塩・酢)を入れて良く混ぜ合わせるだけとか。
カブ1キログラムに対して砂糖大さじ8から12杯、塩は大さじ1杯、酢が大さじ6~7杯が付け汁。
漬け物用の陶器に入るかどうか調べてから大きなボールに移して付け汁とあえました。

良く混ぜ合わせてからビニールに入れて漬け物を漬ける容器に入れ重しをしました。
途中で何度か混ぜ合わせなくてはいけませんから、大きめのビニールに入れた方が良いのです。
ビニールの外側から混ぜ合わせが出来ますから、楽です。

この漬け物容器は、わたしが新婚の頃、兄が益子から買って来たと言うプレゼント品です。
ずっとずっと昔の話です。赤カブの漬け物が美味しくできると嬉しいですね。
赤カブの漬け物は亡くなった母が大好きでした。

これからはクリスマスもお正月を意識せず、普段と変わら無い生活をするつもりです。
その方が寂しさを感じなくてすむと思いますね。1人で過ごすのが普通なのですから・・・。
特別の日と思うから寂しくなるのでしょう。特別と思わなければ寂しくもない。
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癒しの源泉

2011-12-23 21:37:50 | 日記
12月23日 金曜日 曇り時々晴れ

寒い日でした。
今日はいつもリコーダー・アンサンブルの練習をしていますケア・プラザに行きました。
木管の演奏会があったのです。ボランティア演奏でした。

良い演奏会でした。私たちのアンサンブルもあんな風に演奏できれば、どんなに良いか・・・。
技術的にすばらしかったです。それにすべてに慣れていました。
音楽を聴かせるだけではなく、それ以外の雰囲気がすばらしかったです。

音楽ってこの何とも言えない柔らかく優しい雰囲気がある物だと思っていました。
でもこのごろのわたしにはそのような雰囲気は無いような気がします。
上手に弾けなくても格好の良いアレンジが出来なくても、焦ったこともじれたこともありません。

残念ですがリコーダーを吹いていてそのような気持ちになったことがありません。
何とかメンバーについて行くことだけに一生懸命だからでしょうか。
音楽をもっと楽しみたいです。

ピアノを習っている頃のわたしには、ピアノを弾いているその時間が最高の時間でした。
あるじが「わたしの保護者」と言って発表会のお手伝いもしてくれていました。
アレンジが出来たり、曲がきちんと弾けるようになった時は歌ってくれました。

ラブミー・テンダーを弾けるようになったので唄ってもらった時を思い出しては苦笑してます。
元気よくバンバン弾いて居るわたしに「この曲はどんな歌か知っている?」とあるじ。
そして「愛を告白する唄なのだよ。もう少し雰囲気を出してくれない?」もあるじ。

「そうか・・・」とわたし。
張り切りすぎて居たことは確かですが、ムードを解さないのはわたしらしい所なのかも?
本当にそんな情けない弾き手でした。

それからはイエスタデイ等、ビートルズの曲も弾き、その都度あるじは歌ってくれました。
良い思い出です。家族がみんな音楽好きでした。良い雰囲気でした。
今日のコンサートを聴きながら、そんなことを思い出していました。

音楽は癒しの源泉だと思っています。これからは1人ででも源泉作りをしたいです。
今日もずっとずっと昔の楽譜を探し出して、冷たい鍵盤を少しだけ触っていました。
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わたしとピアノ

2011-12-22 18:28:20 | 日記
12月22日 木曜日 曇り

とても寒い一日でした。
予定では次女と富士宮の母の家に行き、そこからお墓参りに向かうことになっていました。
ところがこのところのわたしの体調を心配した娘たちから「来年にしたら?」と言われ中止。

確かにこんなに寒い日に母が居ない家に行くのは、寂しいし辛いかもしれません。
暮れですから娘も忙しいでしょうから、双方にとって中止にするのが良かったのだと思いました。
足の痛みは今朝はほとんど感じませんでした。ほっとしました。

新しく入ったピアノを弾いてみました。
新しいと言っても、元々わたしの家に以前、ちょっとの間置いてあったピアノなのです。
でも年ぐらい触っていませんから、すっかりタッチも音色も忘れていました。

ピアノの調律は来年になってしまうようです。この暮れに来てからは無理でした。
でも思ったほど音は狂っていませんでした。久しぶりに練習曲を弾きました。
指がもつれますが何度か弾いているうちに、少しずつほぐれてくるような気がします。

子供の頃のわたしの楽譜と娘たちがそれぞれ使っていました楽譜が戸棚に沢山入っていました。
チェルニー30番などは4冊ありました。わたしが2冊使いました。
子どもの頃の先生と結婚してからの先生の奏法が全く違ったのです。当然注意書きも違います。

先生の注意書きの前に、すでに注意書きがあるのは申し訳ないと思い新しい物にしました。
先生のメモの文字が懐かしいです。先日喪中葉書で母のことを知りお電話を頂きました。
86歳になられたとか・・・。それでもまだ生徒さんを持っておられるとか。凄いです。

ご自宅ではクラシックの教本を教えて頂き、ポピュラーピアノはお教室でご指導を受けていました。
その割にはピアノの上達は全く無し、上達出来なかったわたしでした。恥ずかしいです。
でも生意気ですが「音楽に対する心」と言うか、演奏する人の何かに触れられるような気がします。

バイオリンはあるじが好きでしたがわたしにはよく分かりませんでした。
でも今はバイオリンもチェロもベースもコンサートの度に目が離せません。
弦の持ち方、その動き、すべてが音につながって居ると思うと興味津々です。

「僕は娘3人のピアノの月謝のために働いて居るんだよ」とあるじがふざけていって居ましたし、
「僕はあなたの保護者だから・・・」と言って、お教室を決めるときも同伴していました。
わたしの拙いアレンジが出来たときはわたしのピアノに合わせて歌ってくれました。
懐かしい楽しい思い出です。これからはこのサイレント・ピアノで楽しみます。
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買い物嫌いの原因?

2011-12-21 18:09:09 | 日記
12月21日 水曜日 曇りのち晴れ

一日中雲が多い日という予報でしたが、結構お日様が出てお洗濯物が気持ちよく乾きました。
今日はピアノの交換をお願いしていました。10時から12時の間にやって来る事になっていました。
昨夜からピアノの辺りを片づけ足り、洋間のテーブルや椅子を脇に寄せたり一仕事でした。

ピアノカバーやテーブルクロスもはずしてお洗濯したいと思っていました。
昨夜のうちに外してテーブルクロス等は漂白液にしばらくつけてから洗い畳んでおきました。
朝一番でピアノカバーやピアノの裏側のカーテンも外して洗いました。

今我が家に置いていますピアノを運び出してから、消音ピアノを入れることになっていました。
そのわずかな時間に掃除機をかけたり拭いたり大忙しでした。
ピアノの交換作業が終わってからは家具を元の位置に戻す仕事が控えています。

ただ元に戻す前に、大掃除をかねてミシン周りや収納スペースもお掃除をしてしまったのです。
次女が応援に来てくれましたので、このときとばかりに頑張ってしまいました。疲れました。
孫娘が学校から帰ると言う連絡をしてきましたので、迎え方々孫の意向でマックを買ってきて昼食に。

朝食も食べずに動いていましたし、マックもハンバーグでは無い物でしたから完食出来ました。
空腹もあって、孫たちと一緒でしたかっら勢いで食べましたが、薬を飲んだ方が良いと娘から一言。
美味しく食べては後で辛くなる事がよくあるので心配をしているようでした。

編集会のメンバーと入れ違いに娘たちは帰っていきました。
何をするのにも誰かの助けを借りないと、日常の事も出来なくなってきそうで怖いです。
あるじが亡くなってから、年末は何かと娘家族のお世話になってしまいます。

それと恥ずかしいのですが、買い物も彼女たちのお世話になります。
今までパソコンや冷蔵庫やストーブなど、すべてお伴付きで買い物に行っています。
1人で買い物をしたことがない、自分で決めたことがない、買い物嫌いはそれが原因かも・・・。
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家に居て1人で遊ぶ方法

2011-12-20 21:23:25 | 日記
12月20日 火曜日 快晴

今年最後のリコーダーとオカリナのボランティア演奏に行ってきました。
いつものように童謡や懐メロの曲を演奏しましたが、最後はクリスマスの曲でしめました。
歌詞カードが無くても懐メロなどは2番までしっかり唄って下さいますから嬉しいですね。

今日の予定はこのボランティアに行くことだけでした。
ナンの予定もなく、何かをするにはあまりにも体長が悪かったのでぼんやりしていました。
そのうち不思議なのですが、何となくソプラノ・リコーダーを吹いて見たくなったのです。

ソプラノ・リコーダーはいつもわたしが吹いていますアルト・リコーダーと指の動きが違いますし、
音が高いのであまり好きでは無かったのです。
もしかしたら、このごろアルト・リコーダーを重たく感じることがありますのでその所為かも。

今日演奏しました「スキー」のソプラノ・パートを吹いてみました。
一音一音考えながら吹くのですからナンの曲を吹いているのか分からないほどでした。
でも何度か繰り返し吹いているうちにだんだん手が動いてくれるようになり、なんとか吹けました。

ただソプラノ・リコーダーはメロディーを演奏することが多いので、わたしにはとても無理です。
ソプラノ・リコーダーとテナー・リコーダーは指の動きは同じですから、テナーが良いのです。
ただし、アルトよりずっとテナー・リコーダーの方が重たい・・・、それで困っています。

今日は昨日以上に足と背中の痛みがあります。少し足を引きずるように歩きます。
この歩きが原因で腰や背中が痛くなってしまうのが怖いです。
一昨年、今回のように腰や背中の痛みが酷かったとき、剥離骨折が原因ではありませんでした。

その時は剥離骨折後が痛かったこともありましたが、それ以上に親指のイボでした。
ウオノメと思っていましたらイボだったのですが、それも痛みはあったのです。
痛くならないように歩きますから不自然な歩きをしたのでしょうね。それが原因でした。

そろそろあまり出歩かずに家で楽しむ何かを探すようにしないと駄目になってきたようです。
2.3候補を見つけてリサーチ中。1人では続けられないと思ったら友人も誘うのも可です。
電話やパソコンで情報交換すれば家で楽しめます。最近はスカイプと言う手段もあります。
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出来る範囲で・・・

2011-12-19 20:06:54 | 日記
12月19日 月曜日 快晴

今日も良いお天気でした。
けだるくて背中も痛く体調不良に足の古傷が痛むので急遽針とお灸の治療を受けに行ってきました。
あまり出歩かないようにしてください、と帰り際にご注意を受けてしまいました。

足は今もまだ痛いですし気怠さも残っています。
明日、リコーダーとオカリナのボランティア演奏がありますから今日は早めに寝るようにすることに。
エネルギーの補充が大切です。

午後からヨガに行ってきました。
いつものわたしの好きな公園の前を通ったとき、写真を撮ってみました。
この夏の公園の工事の後、様変わりしてしまいちょっと残念です。以前の雰囲気の方が好きでした。

枯れ葉が落ちる頃のこの辺りの雰囲気が好きなのですが、落ち葉が片づけられていましたし、
さっぱりしすぎ、そんな感じが」ちょっと寂しかったです。



公園の隅のログハウスも様変わりして、モダンな雰囲気になっていました。
樹木の間に写っているのがかつてはログハウスだったのです。



東屋の感じも以前の方が雰囲気がありました。
1人の老人が座っておられましたが、寒いからでしょうか人の姿は少なかったです。



足と右腕が痛いのでヨガも満足には出来ませんが、今年最後のレッスンですから頑張りました。
ヨガは「出来る範囲で」と言ってくださるので、お言葉に甘えています。
右足首が痛いのですから片足ではとても立つことは出来ません。出来る範囲で頑張りました。

わたしの年齢ですと「すべて出来る範囲で」を、モットーにしていくのが一番良いと思っています。
都合の良い口実です。クラス会や同期会では言えませんね。まだ頑張っている人がおられますから。
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年末に思うこと

2011-12-18 20:05:17 | 日記
12月18日 日曜日 晴れ

今年最後になります「あるいてじょらん会」という同窓会の鎌倉支部のイベントがありました。
今回は江戸散策と言うことで東京下町を歩くと言うので参加したかったのです。
ところが気怠さあり身体全体が重くなっていますし、足の痛みも出てきています。

そんなわけで今日は東京歩きを諦め、家にいることにしました。
机の周りを片づけたり、パソコンを少し弄ったりリコーダーの練習をしたりしていました。
何をしていても根気が続きません。すぐ疲れを感じてしまうのです。

元々飽きっぽい質では無いはずなのに、集中できないのです。
背中が痛くなったり目が疲れてあいているのも辛くなったりで、結局ベットで寝ることが最良と判断。
浅い眠りで気分は良くないのですが、起きあがる気力もなく暗くなるまで横になっていました。

昨夜の鮭を裁いたときに腕を使いすぎたのでしょうか、腕を動かしても痛みがあります。
年末ということもありますし、あちこちお掃除をしますから腕を使ってしまいます。
お風呂場のガラスの汚れがなかなか落ちません。クエン酸や重曹を使ってもまだ駄目です。

家をきちんと片づけてお掃除をして、気持ちよく過ごせるようにするのが大変になってきています。
カーテンの取り外しや取り付けも1人では出来ません。
年末になりますと家を持てあますようになり、気分的に重たくなります。

来年は2階の荷物を少なくする事を第一の目標にします。
まずは30冊以上ありますアルバムと洋服ダンスにある洋服の整理でしょうか。
それが出来ればだいぶスペースが空きます。洋服ダンスやタンスの中身を空にしたいです。
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今日は特大鮭1尾に格闘。

2011-12-17 20:22:48 | 料理
12月17日 土曜日 快晴

今朝9時からいつもの会場でリコーダーアンサンブルの練習がありました。
今月20日にクリスマス週間のイベントで演奏をすることになっているのですが、
このところメンバーの人が代わる代わる用事が出来、全員練習が出来ていませんでした。

それで急遽臨時練習の時間を作ることにしたのです。最後の練習と思いますから充実していました。
12時少し前までびっちり練習が出来ました。
20日の演奏が終わりますと次の練習は年明けになります。

昼食は昨日作っていました大根づくし料理の残った物で十分でした。主食は頂きましたお蕎麦。
先日ご主人が趣味で手打ちそばをなさっておられる方から頂きました。
美味しかったです。それにそば湯が美味しかったです。お茶をほしいとは思いませんでした。

残ったそば湯はボトル型の容器に入れて冷蔵庫で保存。
みそ汁に使っても美味しいですし暖めて飲んだりもします。

食事の後、友人へのお礼にポケットティッシュのカバーを作り始めました。
友人が好きそうな柄を探し、結局バラの花に決めました。作る物にあわせて図柄を描きました。
次に友人の好きそうな色で且つわたしも好きな色で花の色、葉の色を決めました。

それでやっと刺繍を始められるのです。
刺繍をするのは久しぶりです。楽しくてついつい夢中になってしまいました。
このところ疲れが抜けずに困っていますから、あまり夢中になるのは禁物です。

明日はまるまる一日家にいます。高校の同窓会のウオーキングの参加をあきらめました。
早めの夕食を済ませ休憩タイムを取ろうと思ったとき鮭がユーパックで届きました。
びっくりするほど立派な鮭です。体長は76センチありました。大きいのです。



天袋にしまってありました厚いまな板を出し、出刃包丁を出して水洗いしました。
テーブルにビニールのクロスを敷き、まな板を乗せていよいよ作業開始。
こんな大きな魚を裁くのは久しぶりです。右手が痛いので出刃包丁を使えるか心配でした。

でも頼れる人が居ないのですから頑張るしかありません。あるじがいても彼にはとても無理な仕事です。
鱗を取ってお腹に入っていました塩を洗い流してから作業を開始。
骨のある方の身を切るときが苦労でした。右腕に痛みがありますから鮭の骨を切るのが大変でした。

でも何とか厚めに切りましたが何とか処理できました。以前ヒラメでは苦労したことがあります。



切り身をラップで包み4切れを一袋にして冷凍庫へ入れました。
それからまな板や包丁、ビニールのクロスなど、道具の後かたづけです。
ずっと以前会席料理を習っていた頃、「魚を裁いた後の始末にはお湯を使わない」を思い出しました。

お湯を使うとタンパク質がまな板の上で固まり、洗い流せずまな板に残ってしまうと言うことでした。
冷たいお水は辛かったですが、水で処理をしました。
懐かしいいろいろのことを思い出しながら出刃包丁やまな板を洗いました。

お正月、娘家族がやって来たとき鮭を使ってお鍋にするのも良いかも・・・。
昨日も友人が鮭をぶつ切りにして冷凍していた物を1尾分持ってきて下さったのですが、
昨日全部焼いて熱いうちに身をほぐし日本酒であえ、白の炒り胡麻を最後に入れて処理しました。

わたしも頂きましたが友人にお持ち帰りして頂きました。今日食べてみましたら美味しかったです。
あの鮭を冷凍庫に入れてありましたら、今日の鮭の入る余地は無かったでしょうね。
まずまず、良い方向へ向かっていると言うことでしょうか。どちらにしても満足、大満足です。
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