フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

母は富士宮の家に帰っていきました。今回の母の逗留は今までにないほど疲れてました・・・。

2009-02-28 22:27:10 | 日記
2月28日 土曜日 晴れ

久しぶりにお日様の顔を見ました。本当に気持ちの良い1日でした。
暖かくなると言うことでしたが風が冷たかったですね。
少し風が有ったお陰でお洗濯しましたシーツなども綺麗に乾きました。

今日母親は富士宮の家に戻っていきました。
やはり母としてはもう少し逗留していたかったようなのです。
畑に置いてきてしまいましたお野菜が気になって弟に送ってもらうことになったのです。

いつも「やっぱり独りが良い・・・」と言いながら帰るのですが、
今日の母はその言葉を言いませんでした。
何時も何時もその言葉を言いながら富士宮の家に戻るのですが今日は1度も言わないのです。

母もきっと独りの生活より一緒に住みたいのでは・・・、と思いました。
特別我が儘な母ですから、こちらから「是非こちらに来て下さい」なんて言いましたら、
その言葉尻を取って「来て欲しいと言うから来ている」と常に私たちを困らせる事でしょう。

そんな母ですから、「母が来たい」と言うまではこちらから言わないつもりです。
大森の自宅に帰ってくるようにとは何時も言っています。
大森と横浜のわたしの家を行ったり来たりすれば良いと常に言っているのですが・・・。

兄や弟は母を誰かが看る事は不可能と言います。
母は富士宮を引き上げましたら施設に入ってもらうとも言います。
我が儘で自分を押し通す母を置いて下さる施設が有るのか、その方がわたしは心配です。

母を見送ってからのわたしは気が緩んだのでしょうか、疲れて動けませんでした。
ヨガはお休みすることにして家の片づけとお洗濯をのろのろしていました。
何とも気分が良くありませんでした。

でも母が体調を崩しましたら、直ぐに我が家に来ることになるでしょうから、
何時もシーツや寝間着を洗ってその時のためにスタンバイしています。

お昼頃、長女から電話がありました。今日やって来ることになっていました。
わたしの体調が悪いようなら今日は遠慮すると言います。
わたしとしましては母からのお野菜もありますし孫息子にも会いたいし・・・。

長女からの電話でわたしから頼まれた品々を買ってしまっているのでやって来ると言いました。
わたしに負担がかからないようにお肉でもお弁当でも買ってくるようにお願いしました。
元気いっぱいの孫息子たちからエネルギーを貰えます。
彼らの食欲を眺めているだけでも元気エネルギーを貰えた気分になります。

夕食は鉄板焼きをしてわたしも少しお肉を戴きました。
食後にお持たせの「道明寺」でお茶をしました。
大勢で食事が出来たりお茶が出来たり・・・、今日も幸せでした。

元気が出てきました。明日はもっと元気になっているでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柚子ジャムも蕗みそも作りました。保存食で冷蔵庫は満杯です。

2009-02-27 23:19:17 | 日記
2月27日 金曜日 雨のち雪のち雨

今日は朝から冷たい雨が降っていました。
お昼前に雪が降ってきましたので母は喜んでいました。
92歳の母は相変わらず雪が好きなのです。雪だるまを作るのが大好きなのです。

一時で雪はやんでしまいましたらとってもガッカリしていました。
でも雪が降りましたら明日富士宮の家に帰れなくなってしまいますのに・・・。
本当はまだ帰りたくないのかも・・・、そんな気がしました。

今朝早めに起きて昨日のやり残して寝てしまった柚子ジャム作りです。
まだ柚子の皮をなるべく細いせん切りにしました。実の房袋も切りました。
昨日からずっと包丁が手の平にあたっていましたので水ぶくれが出来てしまっています。

わたしの手の皮膚のマメが破れたら痛いですから、気をつけて包丁を持ちました。
なんとか刻みが完了しましたのがなんと昼食の支度の一寸前でした。
母とゆっくり食事をしてからいよいよジャム作りを始めました。

大きな無水鍋に刻んだ柚子を入れてお砂糖を入れて水分が出るまでかき混ぜました。
直ぐに水分が出てきますが焦がさないように火加減を気にしながら付きっきりです。
大鍋で一回では無理でしたから、2回に分けて作りました。

柚子の絞りジュウスも入れて更に火を通して、最後にブランデーを少し入れて完成です。
殺菌しておきましたガラス瓶に詰めて保存。柚子ジャムファンに宅急便で送ります。
わたしはマフィンに挟んで戴くのが好きです。

昼食にお野菜を多めに入れたすいとんと大学芋を作りましたから、
大学芋は母が持ち帰るように菓子箱に入れてパッキングしました。

夕食は牡蠣フライが良いと言いますから、フライの準備です。
パン粉をつけてあとは油で揚げるだけで良い所まで支度しておきます。
キャベツを刻んであとは母が座ってから揚げるだけにしてスタンバイ。

今日の予定の最後の仕事、蕗みそ作りです。
蕗の薹をお花の部分と袴の部分に分けてきれいに洗って水切りザルに入れてました。
まずは水切りです。それから軸の硬い部分を外しながら細かく切りました。

食事の片づけをしてから味噌・砂糖・日本酒を使って炊き始めました。
火は小さくしてゆっくりお味噌を練ります。
キュウリに載せて戴くと美味しいですし、温かいご飯にもとっても合います。

お酒は殆ど飲まないのですがノンベーサンの好きそうな物ばかりがわたしの好物です。
あるじの影響なのでしょうか、あるじも蕗の薹の料理が大好きでした・・・。
何を料理していましても、あるじに結びついてしまいます。困ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

250個以上の柚子でジャムを作りにトライ、大仕事です。

2009-02-26 23:55:10 | 日記
2月26日 木曜日 曇り

昨日畑への忘れ物騒ぎで母はご機嫌が悪くなってしまい、途方に暮れてしまいました。
それでも夕食が終わる頃になりましたら、大森の自宅に行きたいと自分で言いました。
やっと少しご機嫌が良くなってきた証拠です。ホッとしました。

何故かと言えば何時も弟が迎えに来て大森の家まで母を送ります。
大森に行くと言うことは弟にそれを頼む気持ちになったと言うことなのです。
弟から夕方電話が有っても電話口に出ないと言い張って困らせていた母でしたから。
大森へ行って昔の友人に会って来たくなったようです。良かったです。

でもわたしは大失敗してしまったのです。
弟が7時に迎えに来る予定でしたのに、なんとわたしが目覚めたのが6時50分だったのです。
ビックリ思わず飛び起きました。

何時も目覚まし時計を使わなくても5時過ぎには起きていますのに選りに選って・・・です。
急いで母の寝ている部屋に行きましたら、母も丁度目覚めて起きあがったところでした。
母に謝って支度を急いで欲しいとお願いして、台所に駆け込みました。

昨夜寝しなにお風呂に入ってすぐ寝ましたからでしょう、髪が凄い形状でした。
でもそれを治す暇は有りません。
まず母の朝食の支度です。タイマーでご飯は炊けていましたので大急ぎでおにぎりを作りました。

海苔はパリパリの方が好きな母ですから、海苔だけをビニールの袋に入れました。
箸休めのおかずを少しとお新香、お茶とインスタントのおみそ汁を袋に入れて準備完了。
忘れしないように玄関の上がり口に置いて、これで一安心。
それから母のお友達へお持ちするお野菜やその他の物を紙袋に入れて玄関脇に。

弟を待たせてしまいましたが、なんとか10分遅れで出発出来ました。
母は顔も洗わず普段着を着ただけでしたが、それ程ご機嫌が悪くならずホッとです。

わたしと言えば困ったことに、弟と母を見送ってから気が抜けてしまったようで動けず、
ぼんやり食堂の椅子に暫く座っていました。

気を取り直して髪を整えてから部屋の片づけをしました。
玄関に柚子がたくさん置いて有ります。母の庭から弟が取ってきていました。
我が家の柚子も取って冷蔵庫に入っています。
傷まないうちに全部ジャムにするしかないと思いました。

柚子を洗って布巾で拭いてから皮を剥き、種を取り出したりジュウスを絞ったり下準備です。
250個以上有りましたから大仕事です。独りでラジオを聞きながらずっと準備です。

母が大森の家から帰ってきましてもまだ終わっていませんでした。
食事の片づけが終わってからもひたすら柚子ジャムの準備です。
結局11時まで台所で 頑張りましたが疲れたし明日に持ち越すことにしました。

身体が疲れ過ぎても困りますから不本意ですが、途中で休止することにしました。
明日は柚子ジャムは勿論、蕗みそも作るつもりですし、母が大学芋も作って欲しいと言っています。
それに明日の夕食は牡蠣フライが良いそうですから、明日も一日中台所に居るのでしょうね。

ともかく楽しく生活したいです。それが出来るだけでわたしは満足です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母が激怒!畑に大根や小松菜を忘れてきたとか・・・。

2009-02-25 23:03:54 | 日記
2月25日 水曜日 雨のち曇り

朝から雨が降っていました。
母を眼科に連れて行くことになっています。母は眼底出血しています。
定期的に検査に行っています。

予約で行きましても何時もかなり待つことが多いのですが、思ったより空いていました。
わたしは郵便局で振り込みの用事がありましたので、母の受付だけすまして郵便局へ。
戻ってきましたら母は瞳を開く点眼薬までの行程が終わっていました。

母の目の状況もたいした変化が無く、また6ヶ月後に診察に来るようにと言われました。
ホッとしました。
思ったより早く検査が終了し、テレビを見たい母の要望で急いで帰宅しました。

昨日母が畑から持ってきたつもりの大根や小松菜を畑に忘れてきたことに気が付いたのです。
それからが大変でした。
母は弟に電話をし、取りに行って来て欲しいと言うのです。

弟は仕事が有りますから断ったようです。
母はわたしの顔を見ています。わたしに取りに行って欲しいと思っているようです。
東名高速を走って取りに行って欲しいと思っているようでした。

この所のわたしの体調には一寸荷が重いのです。
それでもう東名は走らないつもりで軽自動車に買い換え、6日に納車と決まっています。
ここ数日はそれ程良いお天気の日は無いようですから、早めに母が帰れば大丈夫なのです。

ますます母のご機嫌が悪くなりました。わたしが「取りに行く」と思っていたようです。
不機嫌な母はタクシーで行って野菜を持って来ると言います。
東名高速の「富士」まで行きそれから西富士宮有料道路を走ります。

母はお金では無いと言っていましたが、少し気持ちが落ち着いたのでしょうか、
取りに行くことは諦めてくれたようです。

夕方弟から電話が入りました。やはり弟も気にしていたようです。
結果、28日の土曜日に帰ることにしたようです。弟が送っていくようです。
この所の天候ですから多分大丈夫でしょう。一件落着。ホッとしました・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「親の心、子知らず」ならぬ「子の心、親知らず」、母に振り回されました。

2009-02-24 17:36:40 | 日記
2月24日 火曜日 曇りのち雨

朝の内は雨も降って居らず、まずまずのお天気でした。
お通夜や告別式、そして徒然草の講座と毎日出かけることが続いて仕舞いました。

身内ではありませんからお通夜も告別式も着物を着ていくわけにはいきません。
それでこの3日間は冬ごもりスタイルを小休止、頑張って洋服を着ていました。
それで今日も洋服にしてみました。

いつもより早いのですが、いっそこの辺りで冬ごもりを中止出来ますか試したくなりました。
足下と背中がが寒くなりますから、ストッキングを3枚重ね履きしてみたり、
背中が寒くならないように部屋着にしていますジャンパースカートと毛糸の長い靴下を持参。

凄い出で立ちで一瓶窯に行ってきました。
毛糸のスカートとセーターのセットを着て仕事の時は、その上からジャンパースカートを着ました。
足下も背中も寒くは無かったです。

足下はハイソックスをはいただけで長い毛糸の靴下は不用でした。
ストーブで部屋が暖かかったです。
仕事で外出し、お部屋に入ったとたん眼鏡が曇ってきました。部屋中暖かい空気で一杯でした。

室温は解りませんが本当に暖かかい部屋でした。
膝掛けも持って行ったのですが使うことはありませんでした。

仕事を終えてリコーダー・アンサンブルの会に合流するために新桜ヶ丘に向かいました。
新桜が丘の通りは名前の通り桜が道路の両側に植えられ、満開の頃は桜のトンネルになります。
桜並木全体が少し変化が出ていました。春の息吹を感じさせられました。

練習会場のお宅の近くで携帯が鳴りました。母を迎えに行った弟からでした。
母が居ないと言います。二つの門が両方とも閉まっているし玄関も閉まっていると言います。
弟はすっかり異常事態と思ったようです。それから大騒ぎになりました。

足もとが悪くなっていますから、遠くに行くはずも無いですし弟が迎えに行くことも承知です。
気の毒に弟は心配でパニックになっていたようです。1時間以上探し続けていました。
その間、度々わたしの携帯にも連絡してきました。

リコーダーのメンバーの方々も巻き込んでしまい申し訳ない事になってしまいました。
結局、母は物置小屋にいたようなのです。雨が降ってきたので物置に入っていたと言うのです。
何とも呆れた結末になりましたが、まずは無事にいてくれてホッとしました。

さぞ弟は疲れたでしょうね・・・。とっても母思いの人ですから・・・。
「どこに行くわけでは無し、何でそんなに心配するの!」と母の一言。
92歳で独り住まいをしてます。それも別荘に建てた家にです。
まさに「親の心、子知らず」ならぬ「子の心、親知らず」です・・・。

その母は今日から我が家に1週間は逗留します。そのお迎えの役が弟だったのです。
我が家でも何時も通り我が儘を言ってわたしを振り回すのでしょうね。頑張らないと・・・。
自身の体調を考えながら、わたしは母親孝行に励む事になります。頑張らねば!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自家製「牡蠣のオイル漬け」を美味しいと言って下さいました。嬉しかったです。

2009-02-23 20:43:34 | 日記
2月23日 月曜日 雨のち曇り

朝から雨がかなり降っていました。
今日の予定はアサヒカルチャーで徒然草の講義だけですが、出かける前に来客予定がありました。
実印で捺印をして欲しいと9時15分までに御出になる由、連絡が有ったのです。

今朝8時頃に長女が、横浜のムービルで映画「禅」を上映していると言ってきました。
急遽映画「禅」を見に行くことにしました。

マイナーな体調ですが精神的には出かけて何か気を紛らわせた方が良いと判断してました。
楽しい映画が良いので、もう一度「マンマ・ミーア!」をみてみようかとも思っていましたが、
時間が変わっていましてカルチャーに間に合いません。それで「禅」を見ました。

良い映画でした。激しい映画では有りませんからゆったり見ていられました。
精神に響くものがありましたが、映画をもう一度見ようと言うより、
原作をじっくり読んでみたくなりました。そんな映画でした。

徒然草の講座の後、先生と友人たちでいつものようにお茶をしました。
昨年の暮れの先生と比べてみますと随分お元気になっておられるようです。
今日見せて戴きました色紙がとても素敵でしたので、いつ頃の時代の物かお尋ねしましたら、
江戸時代後期のものだそうです。

お洒落なデザインと色彩が気になっていました。
現在見てもモダンな感じの色紙でした。近衛流の文字も良かったです。
小さな家と白梅が描かれている短冊が一枚有りました。

その絵の雰囲気が昨日切り抜きしました中一弥さんの絵に似ていたのです。
じっと眺めていました。素朴な感じが好きでした。
いつ頃の時代の作品か知りたかったのですが伺えませんでした。一寸後悔です。

家の近くまで来た時、ヨガでご一緒して居ります友人にお会いしました。
立ち話をしているより我が家へお誘いしました。

軽井沢のコーヒーを「美味しい」とおっしゃって下さいましたし、
わたしが先日作りました「牡蠣のオイル漬け」も喜んで試食して下さいました。
美味しいとおっしゃって下さいましたので、小さな瓶に入れてお持ち戴きました。

「美味しい」とおっしゃって頂けると嬉しいものです。
独りで「美味しい、美味しい」と言いながら戴くのは空しいものです・・・。

今日の友人は若いしそれに美人さんです。
あるじが居ましたらきっとウキウキして大変だったでしょうね。(笑い)
今日も良い日になりました・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

98歳の挿絵画家、中一弥さんが朝日新聞の小説の挿絵画を描いておられる、驚きです。

2009-02-22 22:23:35 | 日記
2月22日 日曜日 晴れ

告別式に行ってきました。
最後の最後の「さよなら」を彼女としてきました。
ピンクのスイトピーを彼女のお顔の側に入れ、悲しいお別れでした。

昨夜のお通夜には電車で行ったのですがとても交通の便が悪かったのです。
それで今日は車で行くことにしました。
ただ友人が車を出すことになっていましたがご主人様が車を使われるとか、
急遽わたしが車を出す事にしました。

心理的にはあまり運転をしたくなかったのですが、昼間ですし大丈夫と判断。
確かに楽でしたね。30分もかからずに葬祭場に到着出来ましたから。


継いで参りはいけないと言われますが友人がお墓参りをしていきたいと言われ、
霊園に行きお参りをしてきました。
友人のお宅のお墓にご一緒してから、あるじのお墓にもお参りしてきました。

亡くなられたわたしの友人をあるじはとても可愛がっていましたので、
「彼女をよろしくね」と頼みました。

今日は夕方4時開演のオイリュトミーの公演が有ったのです。
ほのぼの編集長の舞台ですから行きたいと思っていましたが身体が動きません。

昨夜も#&♭のギタリストのライブに行く予定だだったのです。
時間的にも無理でしたがそれ以上にジャズを聴く気分にはなれませんでした。
フランス料理を戴いてからの演奏ですから楽しみにしていたのですが・・・。

疲れて炬燵に座り込んで動けませんでした。
この数日新聞も読んでいませんでしたので新聞を読んだり切り抜きをしました。

今日は朝刊の小説も切り抜いてみました。
小説も良いのですが中一弥さんの挿絵が良いのです。

この方の自叙伝を以前読んで、挿絵画家になるまでのいきさつや、
挿絵画家になってからの様子などの知識が有りましたから、受ける感情が違うのでしょうか。

中一弥さんは98歳。
その方が新聞の連載小説挿絵を描くというのですから凄いです。
今日お別れしてきました友人は41歳でした。

中一弥さんの半分にもならないのです。
何時までもお元気で素敵な挿絵を描いて戴きたいものです。
コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしのひとりごと (趣味のおたより 2月号)

2009-02-21 23:07:38 | 音楽サロン
なるべく毎日何らかの予定を入れるようにしています。
ほんの些細な「図書館に本の返却」と言うこともわたしにとっては外出する「予定」です。

外出予定は赤いボールペンでカレンダーや手帳に書き込みます。
友人がわたしの手帳を見て「忙しそうね、予定が一杯」と言われますが、
たいした予定では無いのです。
 
ただ日曜日は不思議とあまり予定が入りませんね。
月に2回パソコンケアくらぶの集まりが有りますが、固定的にはそれのみです。

この歳になりますと友人たちもわざわざ週末の混雑する時に動こうとはしませんし、
娘たちも土曜日に来る方が多いですね。
何も予定が無い時は不思議なのですが、電話も殆どかかって来ないのです。
 
それぞれの家庭での事が忙しいのでしょうね。
お孫さんを預かったり・・・。

夫婦で居る時はさほど感じませんでしたが、独り生活をしている者にとっては結構淋しいのです。
そう思うのはわたしだけなのかも知れませんが。
先日も朝から声を出す事もなく、ひたすらオカリナを吹いていましたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見どころ・聞きどころ・知りどころ(趣味のおたより2月号)

2009-02-21 23:02:32 | 雑記 「趣味のおたより」から
保土ヶ谷宿散策をしてきました。
薬歩の会の企画でしたが参加者が少なく、中止になるかも知れないと言うことでしたが、
スタッフの方が3人、参加者が4人、総勢7人の少人数で決行して下さったのです。
感謝でしたね。
 
何時も車で走ってしまい道路の脇に標柱や歴史説明板の存在も見過ごしていました。
お正月の大学駅伝で良く聞きます第一京浜の「権太坂」ではなく
旧東海道の権太坂を歩き境木立場跡、境木地蔵尊、武相国境モニュメントを見て来ました。
途中お天気が良かったら富士山が綺麗に見えるというスポットも教えて頂きました。
 
境木という地名が武蔵の国(保土ヶ谷宿)と相模の国(戸塚宿)の境で、
其処に木の杭が立てられていたので「境木」と地名になったというのです。
「目から鱗」と言いましたら大げさかも知れませんが事実そんな感じでした。

わたしにとって「境木」は交差点であり
「境木地蔵」の地蔵最中が美味しいことぐらいしか知識が無いのです。
 
それから萩原代官屋敷跡に行き、木や竹や木の実で作りました作品を見せて頂きました。
代官屋敷のお白州だったところは庭になっていました。
幕末の頃は道場を開いていたと有りました。

旅の途中死んでしまった人や牛や馬の死骸を投げ込んだという
投げ込み塚の碑の存在にもビックリしました。
まさか人と動物を同じ所に投げ込んだとは思いませんが、
その当事者の気持ちを思って感傷的になってしまいました。

児童公園でお弁当を戴き、帰路につきました。
これを機会に少し廻りを歩いて見ます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亡くなられた友人のお通夜に居てきました。若すぎますし綺麗すぎます。涙涙です。

2009-02-21 21:28:58 | パソコンケアくらぶ
2月21日 土曜日 晴れ

良いお天気でした。

今日は10時からパソコンケアくらぶの講習日です。
それまでに家事仕事を完全に終了、お昼休みに帰宅した時に洗濯物も取りこめましたし、
母が使うベットの準備もしました。来週やって来ますので。

パソコンケアくらぶの何でも相談には何方も御出になりませんでした。
ケアくらぶとしても今後の進め方のことで、講師の方々が相談なさっておられ自習になりました。
お昼休みも講師の方々はケアプラザの方と打ち合わせをなさって居られました。

午後、わたしは早退したのでその後どうなりましたか解りませんが、
パソコンケアくらぶのこれからが気になります。
わたしとしましては、少しエクセルを使えるようになりたいと思っていますし、
写真の整理をしたいと思っています。

パソコンを極める程の体力も気力も有りません。
わたしにとってはやはりパソコンは疲れますから、長時間パソコンを触っていられません。
家計簿や写真などわたしが日常使う技をマスター出来ればそれだけで良いと思っています。

パソコンの技を日常の生活に組み込んで有意義な生活をしていきたいと思っているのです。
それだけなのです。難しいことを勉強してもそれを日常の生活に利用しませんと、
どんなに勉強しましても直ぐ忘れて仕舞っているのです。
日常、利用出来る範囲の事をまずはマスターしたいです。

午後のケアくらぶは3時前に早退させて頂きました。
今日はほのぼのの友人のお通夜が有ります。
ほのぼのの編集をする手ほどきをして下さった方もご一緒して下さると言われます。
お通夜の前にあるじの御霊に挨拶をしたいとおっしゃって下さいました。

久しぶりにお会い出来わたしも少々興奮気味でした。
この方もわたし同様自立神経を病んで居られたのです。
大分回復なさったようで今日も友人のお通夜にご一緒して下さると言われました。

亡くなった彼女も心配していましたので、どんなに喜んだことかとか・・・。
彼女がいらしたら久しぶりに素敵な集まりになりましたのに、
彼女の居ないことが悔やまれてなりませんでした。
お通夜の彼女の写真を見ていましても涙です。あまりに若すぎますし綺麗すぎます。

あるじと彼女に、命の儚さと同時にどのような運命が待ちかまえているか全く解らない、
それをとことん教えられました・・・。辛いですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書会のメンバーの方と2人で夕食(?)。わたしは食べる人、彼女は飲む人です。

2009-02-20 22:00:10 | 日記
2月20日 金曜日 雨のち晴れ

朝から雨が降っていました。それにとっても寒かったです。
今日は幼馴染みの友人と大津絵を見に行く約束をしていました。

久しぶりに目まいとだるさが酷く、出かけられるかしら・・・と心配しながらも、
この雨では洋服を着て行くしかないと判断し、それなりに出かける支度をしました。
ダウンを着てブーツを履いていけば大丈夫と思いましたから。

支度をしている内に何ともだるさが酷くなりおまけにお腹の調子も良くないのです。
トイレに数回通って仕舞いました。ドタキャンは嫌でも仕方がないと思いお断りしました。

お一人で行って下さいとお願いしたのですが、後日ご一緒しましょうと言って下さり、
来月に入ってからご一緒させて頂くことを約束をしました。
これで今日の予定は全くなくなりました。さてどうしましよう・・・。

ベットに入って寝るのも一案でしたが、何となく部屋が雑然としています。
少し片づけようと思いフラフラしながら細々した片づけ仕事をしていました。
流しの下も時々大あわてで捜し物をしたりしてゴチャゴチャになっていましたし、
片づけ始めるますと切りが無いのです。

それでも居住範囲は片づけ完了。気持ちが良くなりました。
ふと鏡を見てびっくり。わたしの顔が酷いやつれようなのです。
なんでこんな凄い顔をしているのかわたし自身理解が出来ないのです。
カナダの絵本作家のターニャみたい・・・。(ターニャさんごめんなさい)

何でこんなに疲れた顔になるのか解りません。
結果一日中のんびりゆっくり片づけたり掃除機を掛けたりしていました。
例の和風味のシチュウーもどきを作りました。

お昼には小さな土鍋にシチュウを取り、カレー味のシチュウにしてみました。
この所カレーを食べていませんし少し刺激があった方が食事が進みます。
カレー味のシチュウ、美味しかったです。身体が温まりました。

読書会のメンバーの方から、ご主人の食事を済ませたてから来られる旨の、お電話を戴きました。
急いで片づけ仕事を終了して銀杏を割ったりウルメイワシなど、酒の肴の心配をしました。
牡蠣のオイル漬けも出すようにすれば何にもせずとも大丈夫ですと思いました。

ただ彼女はくさやがお好きだったことを思い出し、冷凍庫から到来物のくさやを出して、
ロースターで焼きました。これで酒の肴は準備完了。

ゆっくり楽しいお食事になりました。最も客人は殆ど飲むだけです。
ぎんなんやエイヒレは焼きながら美味しそうに食べておいででした。
わたしも彼女位飲めれば楽しいでしょうにね。ちょっと残念・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビデオの録画予約のセットが独りで出来ました。ヤッターマンです!

2009-02-19 22:10:59 | 日記
2月19日 木曜日 晴れのち曇り

寒い日でした。
今日は2時に梶が谷で初めての方とお会いすることになっていました。
何とも背中が痛いのです。右側の肩甲骨から下の方が痛いのです。
昨日も一昨日もです。それで出かけること自体から迷いました。ドタキャン・・・?

迷っていましたら長女から電話がありました。
彼女にビデオの録画の方法を教えてもらうことになっていました。
先日彼女がセットしたのですが、昨日読書会の前にブレーカーを落としてしまったのです。
ビデオのセットがオフになってしまいました・・・。

何度かチャレンジしたのですが何時も失敗していましたので諦めていたのです。
でもこれからは何事も人に頼らずに生きていかなければ・・・と、肝に命じています。
独りで生活すると言うことはそう言うことなのだと思ってます。

それが出来そうもないので「早く施設に入ろうか」と思ったりしたのです。
でも5年間だけまずこの家で独りで生活してみる事にしたのです。
この春で2年になります。

ビデオの説明書を見ながら予約録画にチャレンジしました。
電話で長女が説明をしても同じ物が彼女の所にあるわけでは無し頑張りました。

何度も失敗したつもりでしたが成功している物もあったようで、
「録画予約」をチェックしましたらなんと同じタイムで同じチャンネルで6つ入れていました。
それを訂正してこれで成功していれば拍手喝采です。

朝食は簡単に戴きましたが昼食は全く欲しくありませんので、出かける支度をしました。
ドタキャンして家にいても絶対落ち着かず何も出来ないと思ったのです。
電車の時間を検索してそれより少し早めに家を出ました。
急ぐともっと身体にきますから・・・。

初めての所へ行くのは不安ですから、キョロキョロしたり駅員さんに聞いたり、
まるで子どもの一人旅体験の感じになってしましました。
乗り換えを3回もするのですから、本を読んでいて気づかずうっかり乗り過ごしそうになったり。

喫茶店でお茶しながらお話しをしました。
とても人間的でホッとさせられる方でした。お話しの仕方もとっても人間ポイのです。
大ぶりのクッキーとココアをオーダーして、アフタヌーンティー(?)を楽しみました。

あるじのことわたしの祖母のこといろいろお話し出来、またお話しを聞くことが出来て、
心が軽くなりました。帰りの車中、何となく嬉しい想いに包まれていました。
友人を思っては独りで泣いてばかりいましたが、少し気が紛れたようです。

今日を良い日になりました。
眠れない日ばかりで少々お疲れ気味、もう寝ないと・・・ですね。
明日も良い日にしたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意識不明の友人が亡くなられました。読書会の前に連絡が入りました・・・。

2009-02-18 21:16:34 | 読書会
2月18日 水曜日 晴れ

今日はとっても悲しい日になってしまいました。
ほのぼの編集会の友人が亡くなりました。
今朝一番でお母様から電話を戴きました。昨夜亡くなったそうです。

思わず悲鳴のような声を出してしまったような気がします。言葉が出ませんでした。
お母様に申し訳なかったのですが、涙が流れるだけでした。
その間、お母様が最後の様子をお話しして下さっていました。

彼女は司法解剖されていると言うことでした。
倒れてそのまま意識不明で亡くなったのですから・・・。
葬儀など具体的なことはご遺体が帰ってきてから・・・、と言われました。

「決まったらお電話をしても良いですか?」と言われましたので、
「是非・・・」とお願いしました。

涙が流れ、どうしたらよいのか判断出来ませんでした。
まずはほのぼののメンバーに連絡しないといけないことに気が付き連絡をしました。
亡くなった事を伝えました・・・。電話の向こうの友人たちも泣いておられました。

今日は10時から読書会でした。
ほのぼの編集会のメンバーのお一人が読書会でもご一緒しています。
亡くなったことをお知らせして、読書会ではこの事に触れないようにしましょうと約束しました。
彼女の死を直接関係ない方たちの話の種にされるのも嫌でした・・・。

読書会のメンバーが集まって来られる前に悲しみを心の奥深いところへしまい込まないと、
そう思いながらカーペットをオンにして、コーヒーを入れたりお茶菓子の準備をしました。
喫煙者が居られるので灰皿も出して準備完了させてホッと一息ついたと時チャイムが鳴りました。

河合雅雄著「少年動物誌」を読みました。
著者の子ども時代の体験を書かれた物です。
自然の中で仲の良い弟や友だちと連れだって遊ぶ様子が細かい描写で描かれています。

いろいろな動物との絡みがたくさん書かれています。
ヒルがお尻から離れなかったりとか・・・、
天井で蛇がネズミを襲って飲み込んでいる様子の描写は流石にぞっとしたようです。

でも読書会はご自分の動物との係わりの話の方に集中して仕舞いました。
時々テーマ本に話を戻そうと頑張りましたがあまり効果はありませんでした。(笑い)
それでもそれぞれが楽しく読まれたことは確かですから、それも良いと思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病床の友人のこともですがそれ以上に友人の御両親の事が気になっています。

2009-02-17 19:27:23 | 日記
2月17日 火曜日 晴れ

この所暖かい日が続いていたからでしょうか、今日はとっても寒かったです。
迷うことなく冬ごもりスタイル、着物を着ていました。
着物でいても何の不都合も無いのですが、車の運転の時一寸不便を実感しています。

草履での運転が違反だそうですから、運転中はあるじの革靴を履いています。
履き替えているのです。これだけは面倒ですね。
うっかりあるじの靴のまま降りてしまうことがあります。

「ハイカラさん」は袴スタイルでブーツを履いていましたが、
わたしはぶかぶかのあるじの革靴です。何とも様になりませんね。

入院中の「ほのぼののメンバー」の事を考えていたからでしょうか、殆ど眠れませんでした。
彼女の自身のこともですが、ご両親の事をどうしても考えてしまいます。
次女の娘婿が心臓手術の時、人工心臓を使いましたがそれも正味24時間強だと思うのです。

彼女は今日で11日間使っているわけですから・・・。
意識がこれだけ戻らないと多少麻痺のようなことが出てしまうのでは・・・、などを考え、
眠れない辛い一晩になって仕舞いました。

2年前あるじが亡くなって家に独り残された時、娘たちに嫉妬を感じた事がありました。
彼女たちは自分の家に帰れば何時も通りの生活に戻れますのに、
わたしはずっと独りの生活を続け無くてはならない・・・、嫉妬を感じました。

倒れた友人の御両親は言葉で言い尽くせない程、悲しい思いをしておらる・・・。
ご両親の気持ちを思いますと昨夜は本当に眠れませんでしたね。
一度ベットに入っても眠れず朝までうつらうつらしただけでした。

そんな風に友人やご両親の事を想っていましても、
夜が明ければわたしの日常生活に戻って行動しているわたしです。

何時も通り午前中一瓶窯に行き午後はリコーダーアンサンブルに参加して・・・。
時々頭をよぎって仕舞い瞬間駄目ですが直ぐに気を取り直して、
自分の生活スタイルをしななくては駄目なのですね。

あるじの時、一瞬でも娘たちに嫉妬を感じたこと自体大間違いだったのです。
娘たちもそうしないと生きて行かれないのですから・・・。
心の中でどんなに思っていても現実、それを脇に置かないと駄目なのでしょうね。

何をしていても彼女と彼女の御両親の事が離れませんが、
それでも何気ない風を装い普通に今日一日を消化していました。
娘たちもきっとそうだったのでしょうね。申し訳ない事をしました。反省です。

一瓶窯に向かう途中寒空に、雪で覆われた真っ白い富士山がくっきり見えていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ほのぼの」編集員で一番若い彼女が10日間も意識不明、人工心臓で呼吸をしていたとは・・・。

2009-02-16 21:01:39 | 日記
2月16日 月曜日 晴れ時々曇り

今朝9時半から「ほのぼの」編集会でした。
明日は朝から出かけることになっていますのでお洗濯をしたりお風呂を洗ったりしました。

早めに庭の水まきをしたり雑草を少し取ったり心身共にリラックスしていました。
今日の「ほのぼの」の編集会は編集者全員で座談会的に話し合うことになっていました。
ほのぼの発行の翌年に神奈川新聞に掲載されましたし、
10年目を迎えると言うことで朝日アドバンス3月号に掲載される事になっています。

編集会としても「ほのぼの」を4ページ増やし、特別号的に扱ってみようと思い立ったのです。
失敗したこと、困ったこと、良かったこと、収支決算のこと、抱負等々・・・、
それらを話し合い、座談会形式に取り上げてみることにしていました。

編集者が5人なのですが1人、連絡が全く無くおいでにならないのです。
集合時間になっても何の連絡もありませんので携帯メールをしました。
何の応答もなく結局編集会終了し、散会しました。忘れたのかも・・・と思っていました。

お洗濯物を取り込み、畳みながら何となく虚脱状態、ぼんやりしていました。
その時電話があったのです。
なんと今日欠席しましたほのぼの編集員のお母様からでした。
彼女が2月7日に関内駅で倒れ、救急車で搬送されいまだに意識不明というのです。

更に驚いたことに人工心臓を使っているというのです。
倒れて救急車で行った時、すでに心臓は止まっていたのだそうです。
今日が16日ですから、10日間その状態なのです。

メンバーは自営で仕事をしているか、自営でなくとも働いている人ばかりなので、
用事がが無ければ編集会以外殆ど連絡を取ることはありません。

発行日にお弁当を取って我が家で一緒にお昼を戴く位です。
一緒に温泉に行きたいわね、とか何処かで美味しい物を食べに行きたいとか、
発行日、紙を重ねたりホチキスで止めたりしながら言い合ってました・・・。

以前パートさんが辞めて困った時、わたしの店を手伝って下さったのです。
その頃彼女はエステティシャンとしてサロンを経営していたのでが、
ご自分の仕事の前に数時間応援に来て下さったのです。

気配りが出来る方でとっても魅力的な女性なのです。
彼女はメンバーの中で一番若く、長女と1歳違いでまるでわたしの娘のようでした。

電話で様子をお聞きしながら涙が流れてきて困りました。
お母様の気持ちを思うと尚の事、辛かったです・・・。
編集のメンバーに連絡、明後日3時に病院でお母様にお会いすることにしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする