フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

母の大島紬を対丈にして、着易くしてみました。

2020-04-30 23:47:37 | 日記

今日は木曜日、長女がやって来る日でしたが体力温存のためにやってきませんでした。5月2日に家族でやって来ると言っていましたから、今日は来ないのデハ?と思っていました。

昨日部屋のお掃除もしましたので、家事仕事はたいしてありませんでした。かるく朝食を食べてから、針仕事をするつもりでした。

ネクタイの再利用を辞めて、大分前に母の着物を対丈にしたのですが、仕付けのママで仕上げていなかったのです。次女は以前、和裁を習いに行っていましたので、彼女の言葉を聞いてから仕上げようと思っていました。

昨日久しぶりにやって来ましたので見て貰いました。これという意見もありませんでしたので、仕上げることにしました。

 

着物をわたしの身長に合わせて裾を20㎝、襟先は9㎝切りました。先に裾を切ったのですが、その時はさすがに緊張しました。
母が大分若いころ作った着物ですので、裾回しが派手です。最も母の頃は、裾ましは割に派手だったような気がします。

わたしならブルーがかったグレーにしていると思います。今、わたしが着て居る着物の裾回しも、縫い直しすれば表地の同系色を使うようにしていますが、母の時代は色物でわりに暖色が多いです。

切り取った裾と襟を記念撮影 

切り取った裾と襟です。この布も何かに再生できますので、目下思案中です。裾の部分は、ブックカバーにしても良いかもしれません。

文庫本や新書本ようのブックカバーにしても良いかもしれない、と考えていました。

ハンガーに掛けて有った畳んだ状態の対丈の着物です。出来たらもう一枚、同じように直しておけば安心なので近日中にトライしてみようと思っています。

対丈にしますと、腰ひもの本数が少なくて済みますし、切った分だけ着物が軽くなるのも嬉しいです。最も大島紬ですのでとても軽いのですが、切った方が着るのも楽です。それに、たくし上げの習慣はいつ頃からか調べてみたいと覆っています。

もう一枚、裾がボロボロの大島が有ります。それも同じように対丈にしたいと思っています。わたしが対丈の着物が欲しくなったのは、以前読んだ白洲正子さんの著書に合理性を第一に為さって、着物は対丈にして着ておられたと有ったからです。納得させられることばかりでした。

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郵便料金が短期間に続けての値上がりで、失敗が多くなってます。

2020-04-30 00:01:45 | 日記

27日、整形外科の帰りに郵便局に行き、1円切手と2円切手を買ってきました。

何故ワザワザ郵便局に行ったか、です。
先日封書を出すとき、80円切手を貼って投函しようとしたのですが、その時82円になっていたことに気が付き不足分の2円切手をポストの近くにあるお店で買おうとしたのですが、「切手はもう扱っていない」と言われ、愕きました。

今まで年賀状やハガキを買っていましたし、ポストの近くには必ず切手を扱うお店がありました。ポストの近くにはそのお店しかないのです。

仕方が無いので家に戻って、1円切手を2枚貼って投函しました。ところがその封書が料金不足で戻ってきたのです。封書が84円になることは知っていましたが、うっかり82円の切手を貼ってしまったのです。

 

この頃、郵便料金の値段が変わるので困っていました。冊子 ほのぼの編集していた頃、投稿して下さった方にハガキをお礼に数枚お送りしていましたが、まとめて買ったハガキが残っていたりしましと、不足分の切手を貼っていました。

60円が62円になった時、60円のハガキに2円切手を貼ってお送りさせていただきました。でも間もなく63円になり、60円のハガキに1円と2円の2枚の切手を貼ったものをお礼にお送りするわけには行きません。

最も今は ほのぼの編集 をしていませんから関係ないのですが、もしまだ編集していたら、大変だったと思います。

こんな失敗するのはわたしだけかも知れませんが・・・。

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久しぶりに次女と我が家で、イワシの塩焼きと筍ご飯と常備菜でランチを。

2020-04-29 19:35:39 | 日記

久しぶりに次女がやって来ることになっていました。
”何時にやって来るか”の連絡をしない娘なので、期待はしていませんでしたが、今日もそうでした。

2週間ほど前買ったイワシの鰓だけ外して、内臓を入れたまま塩焼きにしてから冷凍した物と、内臓を取り除き開いた状態で冷凍保存したイワシがあります。

次女は内臓の入ったイワシの方が良いと言っていましたが、開いたイワシも食べて貰おうと思っていました。
ただ、何時にやって来るか分からないので、冷凍庫から出して置けません。

ただただ、次女を待っているのは疲れるだけですので、食堂のテーブルをいつも通り作業場所にして、ネクタイにじゃれて居ました。

昼食なのか夕食なのか、独りで来るのか孫と一緒なのかも来てみないと分かりません。この性格は父親にそっくりです。

 

12時半ころ、次女から”1時ころ行くね”とメールがあり”ましたので、テーブルの上を片づけ、食事の準備に入りました。

主菜は2種類のイワシです。副菜はわたしの常備菜で間に合わせることにして、主食に筍ご飯を炊くことにしていました。万古焼の土鍋で炊くように準備を始めました。

内臓入りのイワシは、丸ごとですから火が入りにくいので、1時ころに焼けるように焼き始めたのですが、彼女がやって来たのは1時半ころでしたので、ロースターから出していましたので、少し冷めてしまってました。

彼女が、内臓入りのイワシを食べている間に、開いたイワシを焼き始めましたので、熱々のイワシを食べられました。良かったです。
”どちらが美味しかった?”と聞きましたら、”内臓が入っていた方が美味しかった”とのことでした。予想通りでした。

 

わたしは今朝5時に目覚めましたが、すぐ起き上がらず、ラジオを聴きながらベッド体操をして居ました。6時前には起き上がり朝陽に当てようと布団を竿に掛け、シーツやカバーを外して洗濯機へ。

8時ころ洗濯物を干しますので、それまではベッドパッドや羽毛布団を干すようにしています。その間に掃除機を掛けたり、ベッドメイキングする準備をします。好天気でしたから良かったです。

4時近くに帰って行きました。筍ご飯と先日作ったオレンジピールを持って帰りました。彼女が作った常備菜があると言い大根尽くしは持って行きませんでした。

久しぶりに、次女とゆっくり出来ましたが、彼女が抱えているストレスを取り払ってあげることは出来ません。
眼の周りに隈があり、げっそりしているのが気になっています。コロナの流行が原因の一つになっているようでした。

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満開になったばかりなのに、もう藤の花が散り始めました。

2020-04-28 21:40:47 | 日記

つい先日満開になったばかりの藤の花が散り始めました。
散った藤の花で庭の土が見えなくなるほど、積もった状態になります。
最も毎日箒で掃いていればよいのですが、掃いても掃いてもきりが無いので、
忙しい時は手抜きをしてしまうので積もってしまいます。

この数日、毎日強い風が吹いていましたが、咲き始めたばかりだったからでしょうか全く散っていませんでした。散り始めると弱い風でもヒラヒラ舞い落ちてきます。
その様子がとても風情があって素敵です。

 

藤の花が散るといよいよ夏に向かいますので、毎年その前に藤棚の手入れをお願いするようにしていますが、今年はどうなるのでしょうね。

 

今日は午前中から、ミシン仕事をしていましたが、何となくミシンの調子が良くないので参りました。
ただ、ミシンが悪いのか、縫っている布地が悪いのか、その判断が出来ません。結構手こずりました。

それでも一応、今日仕上げたいところまでは終えましたので、それで良しにして夕食の支度を始めました。
お隣さんから昨日また筍を頂いたので、あく抜きをしてから冷蔵庫で保存していますので、冷蔵庫が満杯状態です。

それで前回頂いた筍をメインにした炒めものを作り、夕食に頂きました。美味しかったです。

毎年、筍が旬のこの時期、亡くなった友人を想い出します。友人は知り合いが多いので、あちらこちらから堀立の筍を頂くのは嬉しいけれど、保存が出来ないので困ってしまう、と話しておられました。

ところがその翌年だったと思いますが、筍を冷凍保存する方法が分かったと言い、わたしに教えて下さったのです。それからは彼女の言葉通りに処理して、冷凍しています。

筍が入るだけで、煮物も炒め物もランクが上がりますから、とても重宝しております。そして、その都度友人を想い出し懐かしんでいます。今年も彼女の教え通りにして冷凍保存するつもりです。

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恩師からの手紙を読み返していました。

2020-04-27 22:15:02 | 日記

今日は、何もせず怠け者に徹していました。目の疲れが酷く、目を開いているだけでも疲れを感じてしまう、このような経験は初めてです。

 

ネクタイからポーチを作る作業では、針に糸を通すのが結構大変。
ずっと昔、母はわたしたちのきものや母の着物を仕立てていました。その時、針坊主に刺さっている針全部に糸を通しておいたことが有りました。

母が糸を通すのに時間が掛かっていたので、糸を通しておいたら喜んでくれました。母親に喜ばれること等、殆どありませんでしたから嬉しかったです。

その時の母を想い出します。わたし自身、そんな人が居てくれたらどんなに良いか、当時の母の気持ちが解りました。ミシンの針ロックミシンの針に糸を通すのはもっと大変です。

細い針金の糸通しを使って何とか作業が出来ています。今日は目が疲れていましたので、縫物に手を出さず、恩師からの筆文字の手紙を読んだり、整理をしながらゴソゴソしていました。

恩師の筆文字は好きです。大きな体の恩師でしたが、筆文字は優しい文字を書いておられました。ただ、変体仮名を使って居られるので、読めない文字があります。

変体仮名の崩し方は、人によってかなり違います。ハガキでもそうですが、恩師の手紙を完全に読み取るのにかなり時間が掛かってしまうことが多かったです。

懐かしい恩師の巻紙に書かれた手紙を読むことは大変です。でも楽しみながら、恩師の言葉を理解出来たら・・・、と思います。

亡くなられて、丸1年が過ぎました。 早いものです。

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医院巡りで疲れ、食堂で転寝をしてしまいました。

2020-04-27 18:39:45 | 日記

午後は雨が降る様な予報でした。今日も整形外科の予約は9時20分ですので、9時には家を出ないと、です。今日もフラフラが酷いし左の足首の痛みがあるので、時間に余裕を持って出かけました。

今まで治療して下さっている方が今月一杯で退職なさるとのこと。今までのお礼の挨拶をしてから、いつも通り治療をして頂きました。
昨年の9月に開院のはず、半年強で職場を変える、という事にわたし的には少し違和感。

 

整形の治療後、内科に向かいました。以前は歩いていたのですが、足首の痛みが有るのでバスを使うようにしています。
出掛けたついでに、内科の近くにある郵便局にも行ってきました。1円と2円切手を買ってきました。

その後、スーパーでフランスパンも買って来たかったのですが、報道で言われている通り、満員。長いレジ待ちの人たちの様子を見て、諦めて帰ってきました。

 

写真のアップが大変でしたが、少しずつ要領が良くなってきています。練習のために、帰り道の景色を写して来ました。アップしてみます。
わたしが好きな道です。鶯の声が響いていました。

何時も通過する公園です。今日は人の姿が少なかったです。

今日は、この人たちだけでした。

整形外科や内科に行ったり、用事を片づけてきましたが、思ったより早く帰宅出来ました。それでも、かなり疲れてしまったようです。昼食後、酷いお眠気に襲われ、気付かないうちに椅子に座ったまま眠ってしまい、電話も気づきませんでした。

今日は針仕事はせず、のんびり過ごそうと思っています。

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久しぶりにニラレバを夕食に頂きました。美味しかったです。

2020-04-26 22:55:58 | 日記

始めてわたしが育てたニラを使ってニラレバを作りました。
ニラレバを食べるのも久しぶりでしたし、ニラも思ったより柔らくて美味しかったです。ニラレバは亡くなったあるじの大好物でした。

自分で育てたニラでしたので、特別美味しかったのかもしれませんが。
昨日作った大根とコンニャクと里芋の味噌仕立てのシチューも一緒に食べたのですが、こちらも美味しかったです。

大根尽くしの料理を少しづつ大きめのお皿に盛り合わせて、試食をしているつもりで楽しく食べました。主食は昨日炊いた筍ご飯です。

 

次女がやって来るようなことを言っていましたので、待っていたのですが強風でベランダの仕切りが壊れてしまったとか。
管理人さんに連絡をしたので「連絡待ち」をして、修理をして頂いたけれど部屋が汚れてしまったので、お掃除をしないとダメだとか。

大ぶりのイワシの鰓だけ外して、冷凍して有ると言ったら「食べたい」といいましたので、待っていました。
近日中にやって来るそうです。まだそれほど日数が経っていませんが、早めに食べた方が美味しいはず、と伝えましたからやって来るでしょう。

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再度、ネクタイの再生作業に集中出来る様になりました。楽しみます。

2020-04-26 20:21:20 | 日記

昨夜、遅くまで次女と電話で話してしまい、ブログの訂正をし忘れました。
風呂吹き大根、と書いていましたが、途中で変更していたことを忘れていたのです。

何となく風呂吹き大根としてより、コンニャクと里芋を加え、味噌仕立てのスープで食べたいと思いつき、変更した事を忘れていました。味噌はまだ入っていない時、写真を撮っていたのです。

独りですから、何日間も同じものを食べ続けると、なんとなく飽きてきます。そのような時、味噌仕立てですと、牛乳を加えるとまた違った味になります。その変化が楽しみで、この頃は味噌仕立てにするようになりました。

 

予報通り強い風が一日中吹いていました。昨日、大洗濯をしましたので今日は洗濯は無し。その代わり、15,6年間の年賀状を処分する作業をしていました。シュレッダーが有りませんから、全て手作業です。古い年賀状を一枚づつチェックしてから、住所と名前の部分をハサミで切り取っています。

素敵な絵や、家族の写真の年賀状で残しておきたいものは残しています。その他に気に入った干支の表現のハガキも残しています。整理をして残しておきたいです。

 

午後からミシンを使って、再度ネクタイの再生仕事を再開するつもりでした。その前にミシンが壊れた時、相談させていただいた方に報告を兼ねて、先日作ったオレンジピールをお届けして来ました。彼女はわたしのオレンジピールのファンです。

喜んでくださいました。ホッとしました。

直行直帰。帰宅後一休憩してからポーチの裏地を縫い始めました。ただ、修理の際に刺した油が少し糸に浸み、布にも小さなシミが出来てしまいました。ミシン油の事はすっかり忘れていました。失敗です。

 

昨日作った常備采が有りますから、今日は調理せずに食事が出来ました。味噌仕立ての豆腐とコンニャクと里芋のシチューは美味しかったです。
明日は整形外科に行き、その後またポーチ作りをするつもりです。

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1本の葉付き大根で、常備菜づくりを楽しみました。

2020-04-25 18:51:19 | 料理

昨夜珍しく次女から電話が有り、長電話になってしまいしまったのが原因なのですが、わたしより次女が心配でした。彼女は今日も午前中は仕事があるはずですから。

彼女は医院で受付とレセプトをしていますので、熱がある方がやって来られるので、とても不安なのだとか。更に、彼女の娘が看護師で、勤務している病院のワン・フロアーにコロナ患者を収容しているのだそうです。

新夜勤が去りますので、病院の近くに単身で住んで居ますので次女も気になり、かなりのストレスになっているようでした。

昨夜、決して泣き言を言わない次女が、わたしが応対に出た瞬間泣いていました。次女のそのような場面に遭遇したことのありませんでしたから、愕きました。

神経が疲れ切っているようでした。気持ちの高ぶりが治まってから、ポツポツ話しはじめました。わたしも次女と孫娘の事が何時も気になっていましたが、仕事で追われているのでしょうから、電話を控えていました。

数日前に我慢が出来なくなり電話をしましたら、繋がらず翌日の夜に次女から「電話に気がつかなくてごめんなさい」とメールが入っていました。たまたま電話の近くにいなかったので気が付きませんでした。

 

電話が言って来たら話が出来たのですが、用件にも触れていませんでしたので、再度わたしから電話は出来ませんでした。自分の事で一杯一杯なのでしょう、と判断し電話は掛けなかったのです。

わたしの家に行きたいけれど、「コロナが心配だから行かれない」、と言いましたが、「藤の花が満開なので見ながらいらっしゃい、と言い「2メートルを守るようにしましょう」と、説得しました。近日中にやって来ると思います。藤棚の下でお茶をしていても良いのですから。

 

今日は、葉付き大根1本で、5種類の常備菜を作って楽しみました。ナマスは定番です。大根の皮と人参を細く切り大根の葉で浅漬けにしました。調味料は塩と醤油少々、七味と柚子の皮を入れました。

更に大根と人参を笹掻きにして、豚肉と一緒に炒め味噌味にしました。彩りに大根の葉も一緒に炒め仕上げに七味唐辛子を少し入れてみました。これで3種類です。

もう2種類。大根の葉を小口切にして、油揚げと乾いたシラスと一緒にごま油で炒め、仕上げに炒りゴマをいれました。最後は、定番の大根とコンニャクをじっくり炊き、ネギ味噌で美味しいです。
大根1本で5種類の常備菜が出来ましたので、記念撮影。次女が来たら喜びそう・・・。

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食事をしているうちに眠気に襲われ、一休憩。目覚めて独り言で更新です。

2020-04-24 17:20:51 | 日記

朝からお日様が眩しかったです。洗濯物が無いので竿が空いていましたから、布団を干すことに。以前は木綿綿でしたので干すのがたいへんでしたけれど、今は羽毛ですから軽くて楽です。

藤棚の柱に竿を取り付けていますので、藤の花房の下に干すことになります。ほぼ満開ですので、今は大丈夫ですが多分、それも今日が最後に。

もう少しすると花が散りはじめ、干した布団に花びらが落ちてそれを払うのが結構面倒になりますし、花が散ってしまうと葉が茂って、布団を干しても陽は殆ど当たらなくなるからです。

 

押し入れの下から引っ張り出した沢山の紙類を広げたままでしたので、まずそれらを洗面所に置いているスペアの脱衣かごに入れ、ひとまず片づけることにしたのです。広げたままではお掃除も出来ません。掃除機を掛けたかったのです。

脱衣かごに全部納まりました。少しずつ整理していきます。

全て順調に回っていたのですが、掃除機が薄い紙のようなものを吸い込んでしまったので、掃除機を分解して取り出すことにしたのが失敗でした。分解してゴミを元の形状に戻そうと頑張ったのですが、戻せなかったのです。

始めて分解した訳では無いのに、何故か戻せない。
「認知」の二文字が脳裏に。大分頑張ったのですが諦めることにして、別の掃除機を使い仕事を終えましたが、ショックでした。

今朝は、フラフラが酷く体調が悪かったので、片付けを優先にしてその後休憩タイムにするつもりでした。それなのに、掃除機のトラブルで大分時間を使ってしまい、正午を過ぎていましたので、まずはエネルギーを入れ水分補給をしながら休憩することに。

昨日も食べていた味噌仕立てのシチューに、春キャベツと牛乳を加えて主菜にして、ゆで卵と生野菜、冷凍のミニパンとヨーグルトを頂きました。
食べているうちに、眠気に襲われ微睡んでしまいました。

休憩しながらの独り言てを文字にして更新しました。

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形見のミシンが動くようになりました。修理をして下さった方に感謝。

2020-04-23 22:51:17 | 日記

昨日、ミシンが動かなくなってしまい、修理をお願いしたところ「混んでいるので2,3日に内に」という事でした。がっかりでした。

数日前からネクタイでポーチを再度作り始めていました。試しづくりですのでですので最初は1つだけでしたが、2度目は3つ同時に作ってみようとトライ。

でも、これは失敗でした。と言うのは同じ色調のネクタイを選べばよかったのですが、アトランダムに選んでしまったのです。

そのために、糸を取り替えるのが大変でした。同じ糸を使える物を選ぶべきだったのです。針に糸を通すのが大変で、結構時間が掛かります。

3度目の正直、同じ糸で縫えるネクタイを6本選び、同時進行で作業を進めていました。表地は6つ分全部完了し裏地にかかっていました。裏地に小さなポケットを付けてから縫い合わせれば、出来上がりです。

もう一息なので内心「今回は成功」と思っていました。
ところが、ミシンがまったく動かなくなってしまったのです。素人目に見ても、ボビンとカマの間に糸くずが挟まってしまったのでは?と思いました。

以前、同じようなことがあったのです。その時、ミシン屋さんに電話をした時、女主人のような方が処置方を教えて下さり、「出張修理は出来るけれど、自分でやって直ればその方が余計なお金を使わないで済むよ」と言われたのです。

その方の教えて頂いたようにしたところ、動くようになりお店にお礼の電話をしましたら、「そうかい、良かったね。わざわざ電話してくれてありがとうね」と言って下さったのです。

その時の電話の方に感謝し、ミシンの事はこのお店にお願いしようと思ったのです。

今日、突然4時ころ電話が有り、「此れからなら出かけられるけれど、都合は?」と言われました。嬉しかったです。1時間後にやって来られ、30分位で作業は終了。ミシンは動きました。

ミシンの糸巻きのの調子が悪かったので、そこも見て頂き、ロックミシンもチェックして頂きました。

帰りがけ、「大事に扱ってくださいよ」と何度も何度も念を推されました。
友人の形見のミシンです。いつも大事に使っています。
ミシンを使っていると、手芸やミシン仕事が大好きだった友人を思います。

「体調が悪くなる少し前に買ったのよ」と、とても残念そうでした。
元気に針仕事をいつまでもしていたかったのだと思います。

満開の藤棚を西側から写してみました。

 

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ミシンが突然動かなくなり途方に暮れ、ぼんやり昔々の事を思い出していました。

2020-04-22 20:52:09 | 想い出

暖かい日 という事でしたが、陽ざしが無くなんとなく寒かったです。午前中はいつも通り台所仕事をしたり片付け仕事をしていました。10時半ころになって、長兼昼食を食べる支度をしてやっと一休憩。

昨夜作って食べたみそ仕立てのシチューと、何時もの常備菜と生野菜で食事に。藤棚に下がっている花房が、風でゆらゆら揺れているのを眺めながらラジオを聞きながら食事をするのが常。

あるじが”流行らない食堂みたい”と言っていたわたしの実家の食事は、一番初めに住み込みの若い男性たちが食事をして、その次に私たち子供たちが食事をします。最後に両親と祖母の”大人”の朝食になりました。

 

昼食は、子供たちは学校に行きますので住み込みの男性たちで、その次に大人と家に残っている子供が居れば一緒に食べました。ただ、日曜日でも住み込みの人たちの食事が有りましたから、食事タイム常に3部制でした。

当然夕食もです。特に父は毎日晩酌をしていましたから、大人の食事時間は長かったです。

そんな家でしたから、あるじが亡くなるまで一人で食事をしたことは無かったのです。玄関のドアも深夜以外はカギを掛けることはなかったはずです。

 

日曜のお昼は、弟たちのお友達が遊びに来ていましたので、”ご飯ですよ”と声を掛ければ、彼らが真っ先に食堂に来て席に着くのですから、ビックリ。

父は時々、”今日もいるのか?迷い犬みたいだな”とからかったりしましたが、当人たちは全く気にせず楽しそうに食べていました。そんな家でした。

 

わたしが学生の頃、母に”弟と妹の勉強を見て欲しい”と言われ、月水金は弟と弟の友人3人、火木土は妹とその友人3人の勉強を見ることになりましたから。毎晩7時から9時までは、お姉さん先生でした。

夏休みは日中、お勉強タイムにしたのですが、部活の後の時など”お腹が空いて勉教出来ない”などと言う子が居ました。そんな時は、御櫃にいつもご飯が多少残っていましたから、お握りを作りました。
お腹が空いた一人分では無く当然4人分でです。

懐かしい良い想い出になっています。妹の友人たちは、今でも訪ねてきてくださり、わたしを”先生”と呼びますので照れます。

 

午後から、ミシンを踏んでいたのですが、突然動かなくなってしまい、ミシン屋さんも”コロナ”の影響でいつ来てくださるか不明とか。ちょっと残念!それで気落ちしてしまい、外を眺めながらぼんやり昔々の事を懐かしんでいました・・・。

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片付け仕事は後回しにして、ネクタイでポーチを作っていました。

2020-04-21 21:39:53 | 日記

午前中は、家事仕事に全力投球。ラジオを聴きながらバタバタしていました。
押し入れの下段に収納していました諸々を、引っ張り出したまま片付けは終わっていません。

あるじの急逝で、2階の寝室をそのままにして1階の部屋で寝泊まりするようになりました。1階はリビングと台所と食堂と和室しかありませんから、それまでは客間にしていた和室をわたしの部屋にしました。

和室を使えば、お風呂も台所も近いので何かにつけて便利でした。大学時代の仲間が東京出張と言うと、殆どの人が我が家にやってきましたし、それだけでは無く「出張で東京に行くから、○○の家に集合して欲しい」と、連絡をしてからやってきたものです。

社宅に住んでいた頃、6畳2間とダイニングキッチンだけの部屋に、6,7人泊ったことが有りました。6畳2間の襖を外して、布団を敷いて雑魚寝をしました。

今の家に住むようになっても、泊り客が多く増築して10畳にしました。おかげで押し入れの物を引っ張り出し、2,3日そのままでもわたしが我慢すれば文句を言う人はいません。

 

片付け仕事は好きですから、楽しみながら片づけたいです。誰もいない家ですから気が楽です。
今日も、1本のネクタイでポーチを作る作業に興じていました。少しずつ手順が良くなってきているような気がしています。明日、仕上げられると良いのですがどうなりますか。

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午前中の庭の景色を写し、アップする練習にチャレンジ。

2020-04-21 11:12:50 | 日記

今回は、ネクタイ6本分を同時進行で作業することにしてます。6本のネクタイを解いて、裁断、アイロンをしてから縫い合わせます。そこまでの行程を終え、接着芯をアイロンで張り付けて表布の準備完了。

ネクタイの巾は流行がある様で、広い物と狭い物の差がかなりあるのに驚いています。幅が広ければ大きめになり、狭ければ小さくなるのですが、当然ですがネクタイの長さはほぼ変化は無いので袋のです。形状に迷います。

 

作業を始めると食事も忘れて仕舞う事がある位、集中してしまうので、作業開始前に藤棚とモッコウバラと柚子の蕾を写して、アップすることに。

今朝、前の道路を掃いている時、通りかかった方が”綺麗ですね”と声を掛けて下さった藤棚の景色です。 

ノウセンカズラとモッコウバラを絡ませています。モッコウバラが満開状態になっています。

1昨年前まで5,600個は実をつけていましたが、昨年30個弱でした。

柚子の甘酢漬けを調味料として使っておられた恩師がお亡くなりになられ、沢山実が付かなくても大丈夫になりました。今年は如何かしら?と柚子の木を下からのぞき込んでみてましたら、蕾が出来ていました。嬉しかったです。

柚子の蕾を写してみました。

ホッとしました。緑の葉の中に黄色い柚子の実が見える、その景色が好きです。

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今のうちに、不要な物、置いておいても価値が有る物の区分けを・・・。

2020-04-20 23:50:44 | 日記

昨日、オレンジピール作りで結構疲れてしまい、押し入れの下段に収納していた物を引っ張り出したままでした。色々貯めこんだ新聞の切り抜きも、処分しないと・・・、と思ってのことなのですが・・・。

これが”歳”という事なのだとおもいます。
ただ、わたしの母はわたしが中学生の頃から”片付けが苦手の人”で、父が亡くなっても全く整理をする気配が有りませんでした。わたしも店を営業していましたので、体力的に一杯一杯でしたので、富士宮の家の片付けまではととても無理でした・・・。

店を閉めてからあるじと2人で富士宮の家に通い、母が2階に上がってから1階の押し入れの片付けをしたり、玄関わきの応接間の片づけをしました。
母の寝室を2階から1階に移動できるように行くたびに片付けていました。

 

母は「わたしが死んでから片づければ良いでしょう」と不満げでしたが…。
わたしとしては、介護をお願いするには、ある程度1階の片づけをしなくては、お願いできないと思っていました。

母が寝ている夜中に片付け仕事をしていました。あるじは母と同じで片付けは苦手な人でしたから、独りで黙々と片付けていました。
弟と富士宮の家に行った時、1階の父の神道壇の隣に母の両親の仏壇を2階からおろして置いてもらいました。

それまで、仏壇が有るから下には移動できない、と言っていましたので仏壇を降ろして貰ったのです。この仕事は、わたしの体力では無理でしたし、あるじには頼めない仕事です。

洋間にはその前にベッドを入れてありましたので、母の枕やその他諸々を下に運べは引っ越しは終了です。その日もとっても疲れたことを覚えています。母は下で居住しないと危険な年齢になっていましたし、富士宮に住む条件に介護の人をお願いする事は了承していたことなのです。

 

あの頃の事を時々思い出します。そして、母のような状態にしてはいけない、と常に自分に言い聞かせています。内臓的に問題がある上に、この頃は整形外科に通う身になり、多少足をひく様になっています。
動けるうちに片づけないと・・・、です。

広すぎて面倒と言い、わたしの死後の住み手は無さそう。売却するしかありません。娘たちが仕事をしながらの片付け大変です。せめて出来る限り処分しやすいように、不要の物、少し価値の有る物、の分類位はして置こうと思っています。

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