5月8日 金曜日 晴れ
今日は祖母の祥月命日だ。でもこの頃は祖母の祥月命日を忘れてしまうことがある。
わたしにとって、母の様な人だった…。つくづく、勝手さに自己嫌悪に。
この頃は、あるじの次に母、その次に父そして祖母。更に申し訳無いけれどあるじの母、そして父。
新しく亡くなった人が、どうしても中心になってしまう。
でも、子どもの頃から祖母に言われたことは、よく覚えている。
一番大きな影響を与えた言葉は「物は火災に遭えば燃えてしまうし、泥棒が持って行けば無くなる」。
「物にお金をかけず、自分の身にお金をかける事」が良策、火事にも泥棒にも持って行かれないと。
それともう一つ、「包丁は見えないところに片付ける事」、事故の元に成りかねないから。
その他にも色々あるけれど、この2つのことはずっと覚えているし、その言葉を守っている。
わたしには高価すぎるコンサートチケットと思っても、これが最後の来日と言われれば聴きに行った。
判断基準は祖母の言葉。小学校で学んだだけの明治生まれの祖母の哲学に驚かされている。
色々な言葉にかみ砕いて、わたしに教えてくれた。感謝!何時も感謝している。
あるじの上の姉から「もう少し欲をかいても良いのに」と言われたことがある。
少しだけでも欲をかくと、段々その欲は大きくなり際限がなくなるような気がして、介入はしない。
「お掃除でも台所仕事でも、楽しいと思って取り組めば楽しくなる。」と言うのは父の弁。
これは、10代の頃から父に言われていた。都城で育ったビックリするほど封建的な父の言葉。
良い事を教えてくれたけれど、「女の異議の申し立ては認めない」という父の言葉は認めたくない。
子どもの頃から、「yes」が当たり前で「no」は決して認められなかった。
目上の人や男性には、「自分の考えがあっても常に従うことが、父の持論だった。
あるじは、そんな風に育ったわたしが良かったのでしょうね。
それなのに、わたし1人残してサッサと逝ってしまった父とあるじ。もう少し、一緒にいて欲しかった。
今日は祖母の祥月命日だ。でもこの頃は祖母の祥月命日を忘れてしまうことがある。
わたしにとって、母の様な人だった…。つくづく、勝手さに自己嫌悪に。
この頃は、あるじの次に母、その次に父そして祖母。更に申し訳無いけれどあるじの母、そして父。
新しく亡くなった人が、どうしても中心になってしまう。
でも、子どもの頃から祖母に言われたことは、よく覚えている。
一番大きな影響を与えた言葉は「物は火災に遭えば燃えてしまうし、泥棒が持って行けば無くなる」。
「物にお金をかけず、自分の身にお金をかける事」が良策、火事にも泥棒にも持って行かれないと。
それともう一つ、「包丁は見えないところに片付ける事」、事故の元に成りかねないから。
その他にも色々あるけれど、この2つのことはずっと覚えているし、その言葉を守っている。
わたしには高価すぎるコンサートチケットと思っても、これが最後の来日と言われれば聴きに行った。
判断基準は祖母の言葉。小学校で学んだだけの明治生まれの祖母の哲学に驚かされている。
色々な言葉にかみ砕いて、わたしに教えてくれた。感謝!何時も感謝している。
あるじの上の姉から「もう少し欲をかいても良いのに」と言われたことがある。
少しだけでも欲をかくと、段々その欲は大きくなり際限がなくなるような気がして、介入はしない。
「お掃除でも台所仕事でも、楽しいと思って取り組めば楽しくなる。」と言うのは父の弁。
これは、10代の頃から父に言われていた。都城で育ったビックリするほど封建的な父の言葉。
良い事を教えてくれたけれど、「女の異議の申し立ては認めない」という父の言葉は認めたくない。
子どもの頃から、「yes」が当たり前で「no」は決して認められなかった。
目上の人や男性には、「自分の考えがあっても常に従うことが、父の持論だった。
あるじは、そんな風に育ったわたしが良かったのでしょうね。
それなのに、わたし1人残してサッサと逝ってしまった父とあるじ。もう少し、一緒にいて欲しかった。