フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

母方の 祖母の命日 忘れがちに

2015-05-08 22:42:37 | 日記
5月8日 金曜日 晴れ

今日は祖母の祥月命日だ。でもこの頃は祖母の祥月命日を忘れてしまうことがある。
わたしにとって、母の様な人だった…。つくづく、勝手さに自己嫌悪に。
この頃は、あるじの次に母、その次に父そして祖母。更に申し訳無いけれどあるじの母、そして父。

新しく亡くなった人が、どうしても中心になってしまう。
でも、子どもの頃から祖母に言われたことは、よく覚えている。
一番大きな影響を与えた言葉は「物は火災に遭えば燃えてしまうし、泥棒が持って行けば無くなる」。
「物にお金をかけず、自分の身にお金をかける事」が良策、火事にも泥棒にも持って行かれないと。

それともう一つ、「包丁は見えないところに片付ける事」、事故の元に成りかねないから。
その他にも色々あるけれど、この2つのことはずっと覚えているし、その言葉を守っている。
わたしには高価すぎるコンサートチケットと思っても、これが最後の来日と言われれば聴きに行った。
判断基準は祖母の言葉。小学校で学んだだけの明治生まれの祖母の哲学に驚かされている。
色々な言葉にかみ砕いて、わたしに教えてくれた。感謝!何時も感謝している。

あるじの上の姉から「もう少し欲をかいても良いのに」と言われたことがある。
少しだけでも欲をかくと、段々その欲は大きくなり際限がなくなるような気がして、介入はしない。

「お掃除でも台所仕事でも、楽しいと思って取り組めば楽しくなる。」と言うのは父の弁。
これは、10代の頃から父に言われていた。都城で育ったビックリするほど封建的な父の言葉。
良い事を教えてくれたけれど、「女の異議の申し立ては認めない」という父の言葉は認めたくない。

子どもの頃から、「yes」が当たり前で「no」は決して認められなかった。
目上の人や男性には、「自分の考えがあっても常に従うことが、父の持論だった。
あるじは、そんな風に育ったわたしが良かったのでしょうね。

それなのに、わたし1人残してサッサと逝ってしまった父とあるじ。もう少し、一緒にいて欲しかった。
コメント
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