昨年来不安定な中国の経済と株式市場。今後について著名投資家は揃って容赦ないほどに弱気である。人民元については、さらに輪をかけて悲観的だ。しかし彼らは、たとえ自分たちが最高に優れたファンダメンタル分析を手にした投資家であっても、売買のタイミングを間違えれば破産しかねないということも承知している。結果がすべての命がけの勝負です。今後、中国の政治体制やタイミングを読み違え破たんする欧米ファンドが急増するかもしれませし、それをきっかけにキャピタルフライトが加速し中国経済が破たんするかもしれません。皮肉にも、破たんを煽られている中国は全人代で20年までに、国内総生産(GDP)と国民の所得を10年比で倍増させ、「小康(いくらかゆとりのある)社会」を実現させることを目標にしそれに向けた青写真を発表、第13次5カ年計画だ。さらに21年は、中共にとって大切な区切り中国共産党創設100周年の節目にあたる。今回、全人代での13次5カ年計画の審議を通じて目標達成への道筋を付けることが、習近平国家主席の威信にひいては共産党存続に直結する。しかし、驚くのは20年までに5000万人もの地方の貧困世帯をゼロにするその目標達成速度と経済計画に対して反対意見が出てこないことだ。日本では安倍首相が名目GDP600兆円を2020年頃に達成することを目標に掲げていますが、日本のマスコミは『荒唐無稽』とバッシング。しかし、彼らの論理からすればさらに達成不可能な中国経済にはスルーです。
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日本では、ここしばらく中国経済崩壊論を唱える論者が少なくない。だが、中国経済はいまだに崩壊していない。
中国政府は自国の経済システムを「社会主義市場経済」と定義している。社会主義と市場経済はいわば水と油の関係にある。そのなかで中国経済は成長を続けてきた。2010年までの30年間で中国経済は年平均10%も成長し、2010年にその経済規模は日本を追い抜いて世界第2位となった。
「中国経済は言われているほど順調に発展していない」と言う論者もいる。中国のマクロ経済統計が信用できないというのだ。しかし時系列でみた場合、中国経済が発展していることは確かだ。もし中国経済が発展していなければ、主要国に対して中国経済の減速はここまで影響を及ぼさないはずである。
国際社会が注意しなければならないのは、中国はその全体の規模が大きいため、周辺諸国に及ぼす影響はその実力以上に大きいということである。今、国際社会は中国の台頭を脅威と受け止めているが、中国の経済発展が挫折した場合の影響も大きい。中国経済と世界経済の相互依存関係は、国際貿易と国際投資を通じて予想以上に強化されている。中国経済の減速は世界経済の発展を押し下げていく可能性が大きい。
■ 中国経済はなぜ崩壊しないのか
ただし、中国は経済大国になったものの経済の強国ではない。中国は「世界の工場」の役割を果たしているが、「メイドインチャイナ」は決してブランドにはなっていない。中国発のオリジナルの科学技術はほとんどないし、中国本土でノーベル賞を受賞した科学者は1人のみである(薬学)。
では、なぜ中国は脅威とみなされるのか。一党独裁の政治においては、政府はあらゆる資源を動員する強い権限を持っている。したがって、国中の資源を動員して、例えば宇宙開発やミサイル開発に注ぎ込むことができる。その一分野のみ考えれば脅威とみなされても不思議ではない。
だが、一国の国力をみる際は、ある一分野の実力ではなく、その国の総合的国力を測るべきである。今、中国国内では「総合的国力」に関する議論が盛んになっている。中国の総合的国力をみると、ぎりぎり“中進国”といえる程度であろう。
中国経済の不合理性と非効率性は明白である。だが、なぜ中国経済は崩壊しないのだろうか。
実は今の中国経済はいわば「メタボリックシンドローム」の状態にある。安い人件費と割安の為替レートを頼りにキャッチアップしてきた中国経済は、政府の財政出動によりその規模が年々拡大している。
また、中国でもっとも盛んな製造業は「外包」と呼ばれるアウトソーシングだ。最近の製造業はモジュール化し、企画・開発・設計を手掛ける企業は自ら製造工場を構える必要がない。例えばアップルはiPhoneを設計するが、製造のほとんどはアウトソーシングしている。キーコンポーネントと呼ばれるハイテク部品は日本企業に製造を委託し、組み立ては中国の企業に行わせる。アップルはパテントなどの知財権を握り、売上の68%を得ると言われている。それに対して、中国企業は1台のiPhoneを製造して売上の6%しかもらえない。
結局のところ、中国はいまだに低付加価値製造業の規模をどんどん拡大させているということだ。こうした構造が一旦できてしまうとストップさせるのは難しい。なぜならば、低付加価値の製造業ほど多くの労働者を雇用しているからだ。これらの工場を閉鎖すると、失業が深刻化し、社会不安が高まる。だから政府は工場や企業の閉鎖について慎重な姿勢を崩さない。逆の見方をすれば、こうしたゾンビ企業は政府を虜にしているのである。
■ 口先だけで行われない「改革」
ここ十数年来、中国政府はほとんどの改革を先送りしてきた。毎年の政府活動報告では、「穏やかな成長を続けている」という陳腐な表現が繰り返されている。今までの経済成長はかなりの部分において朱鎔基元首相が進めた改革の結果と言えるが、その恩恵はすでになくなりつつある。李克強首相は就任当初、「人口ボーナスこそなくなるだろうが、これからは“改革ボーナス”が経済成長を牽引する」と豪語した。しかし、改革らしい改革はいまだになされていない。
政府、企業、家計のバランスシートをみると支出のほうが多く、新たに蓄積される富が急減している。地方政府はこれまで中央政府が進めた経済政策に呼応するために、巨額の債務を借り入れた。これらの有利子負債の返済は延滞しており、国有銀行の不良債権となっている。しかし、国有銀行は地方政府の債務を取り立てることができない。これはいわば政策的不良債権である。
地方政府が破綻処理されることは考えにくいが、最終的に国有銀行は不良債権を処理することになる。結局、そのコストを払うのは納税者か預金者のいずれかである。
中国が民主主義の国であれば、おそらくとっくに経済危機に突入しているだろう。民主主義の国において政策運営の失敗は、まずその責任が追及されてから問題の処理に着手する。一方、社会主義の国においては、責任を追及する前に問題を処理してしまう。題処理の際は往々にして一部の者の利益を犠牲にする。大部分の人にとっては、自分とは関係ないので無関心である。結果的に経済危機が起きにくい体質ができてしまっている。
■ まず社会の根本的な価値観を明らかに
中国政治においてもっとも重要とされる言葉は「国益」である。それを分かりやすく示す言葉として、よく使われるのが「大河没水、小河干」(大河に水がなければ、支流の小河は乾いてしまう)だ。
本当はこの表現は自然に反している。自然界においては、支流の小河から大河に水が流れ込む。したがって、大河よりも小河のほうが重要である。なのに、中国では国益の重要性を強調するために、自然の摂理に反する表現が作られてしまっている。
中国では、国益に反する者は売国奴と罵られる。これはもっとも恐ろしい罪と言えるかもしれない。国益のために犠牲になった子どもは「光栄なことだ」とも教えられる。だが子どもの幸福を犠牲にする国に国益など存在するまい。
中国は、社会主義を建設するか市場経済を構築するかという議論の前に、まず社会の根本的な価値観を明らかにし、国民の間で共有できるようにすべきであろう。
柯 隆