ドルは直近、利上げ観測が憶測を呼び、ドル高に移行しています。しかし、110円台の壁は厚い。為替は大方の人々が予想している反対方向に移行することが多々あります。今回も3カ月連続の黒字となった貿易統計など実需や米国の保護主義化への移行で筆者は円高に振れると予想します。円高により輸出が悪化し、外国人訪問者や買い物に影響が出てくれば、通常日本経済は悪化し、再び円安に戻るというのが一般的ですが、今回はどうでしょう。東京オリンピック特需、中国の不動産関連への過剰融資問題、世界経済低迷の煽りで円高が長引くかもしれません。
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先週末のドル円相場は一時、4月28日以来の110円台後半までドル高・円安が進んだ。いくつかの米経済指標が予想を上回り、18日に公表された米連邦公開市場委員会(FOMC)議事要旨が6月の追加利上げの可能性を高めたこともあって、ドルが上昇したためである。
ドル円相場は年初の120円台から4カ月間で105円台半ばまで12%程度下落した後、5月に入ってからは反発基調にある。4月末までのドル円下落は円高とドル安の双方によって引き起こされた。この4カ月間の主要通貨の騰落率を見ると、円が最強通貨となっている一方、ドルは英ポンドに次いで2番目に弱い通貨となっている。
一方、5月に入ってからのドル円の反発は主にドル高によるものだ。5月以降の主要通貨のパフォーマンスを見ると、ドルが最強通貨となる中、円は中位程度に位置している。
米利上げに関して、市場は7月27日のFOMCでの利上げさえ完全に織り込んでおらず、来年末までで見ても、合計2回の利上げを織り込むのがやっとといった状態になっている。今後市場が米国の利上げをさらに織り込んでいく中で、短期的にドルが上昇する余地はまだあるかもしれない。
しかし一方で、年後半にはドルにとって、かなり大きなリスク要因が待ち構えていることを忘れてはならないだろう。それは米大統領選挙である。
<中国発のドル売り・円買い誘発も>
今のところ共和党の大統領候補はドナルド・トランプ氏で固まり、民主党の候補もヒラリー・クリントン氏に決まりそうな情勢である。この両候補は、ドルの先行きにとってかなり深刻な影響を与えそうな共通の政策目標を重要項目として掲げている。それは通商政策である。
トランプ氏の選挙キャンペーン用ウェブサイトを見ると、7つの重要政策が掲げられており、「メキシコに壁建設の代金を払わせる」「ヘルスケア改革」「税制改革」などと並んで、「米中貿易の改革」がある。トランプ氏はその中で、「即座に中国を為替操作国と認定する」としている。
一方、クリントン氏のウェブサイトには、31項目の政策が掲げられている。その中に「製造業」という項目があり、大統領直属の首席貿易検察官(Chief Trade Prosecutor)というポジションを新設し、貿易取締官の数を3倍にし、「米国の労働者を傷つける中国に立ち向かい、為替操作に対して断固たる措置を取る」と記している。
両者とも、今のところ中国に主な焦点を当てているように見える。確かに、米国の貿易赤字の半分は中国に対する赤字であり、日本との貿易赤字は、対中赤字の5分の1程度しかない。したがって、巨額の円売り介入でも行わない限り、日本は標的にはならないだろう。
しかし、米中間の貿易摩擦の激化は、円相場には影響を及ぼすかもしれない。仮に、米国が対人民元でのドル安を促すような行動に出た場合、中国は外貨準備で保有するドルの為替リスクをヘッジするか、場合によってはドル建て資産を売却して、他の国の資産を外貨準備として保有するインセンティブを強めるかもしれない。
この時、それだけの大規模な資本移動を吸収できるのは、日本かユーロ圏しかないだろう。つまり、米国と中国の貿易摩擦激化は、中国によるドル売り・円買いの流れを誘発するリスクをはらんでいるのである。
<保護主義強まればドル安圧力に>
もう少し大きくマクロ経済的に考えても、米国が保護主義的な政策を強めたら、ドル安になることは想像に難くない。
米国は世界最大の経常赤字国で、世界最大の純債務国である。毎日のように世界の輸出業者は米国の輸入業者からドルを受け取り、それを自国通貨に換えようとしている。つまり、貿易取引に絡む為替フローだけを考えると、世界の為替市場はドル売りで溢れている。
このように毎日繰り返される世界の輸出業者によるドル売りは、米国に投資をしようと考える投資家によるドル買いで支えられている。そして、そうして積み上がったドル資産を世界の投資家は大量に保有している。
こうした状態で、米国が保護主義的な姿勢を強めていった場合、米国に投資をしようとする投資家のドル買いが細ったり、米国に投資を積み上げている人が投資を引き揚げようとすることになる。市場には貿易赤字から発生するドル売り需要が大量にあるのだから、世界の投資家がドル買いの手を緩めるだけでもドル安圧力は増す。
1993年から1995年半ばまでの日米貿易摩擦、2002年から2003年までの鉄鋼輸入をめぐる貿易摩擦の際もドルは大きく売られている。ちなみに、現在の米経常赤字の対国内総生産(GDP)比は2.8%程度と、1990年代半ばの1.5%程度よりはるかに大きい。
大統領選まではまだ半年もあり、市場参加者は依然としてマーケットに与える影響を本格的には考慮していない。しかし、7月になり、トランプ氏とクリントン氏が正式に各党の大統領候補に指名され、副大統領候補が決まり、具体的な政策に関する論戦が始まるようになると、為替市場は米次期大統領下でのドルのリスクを意識し始めるだろう。
トランプ氏よりクリントン氏の方が影響はマイルドかもしれない。そうなると、年後半は米大統領選向けた世論調査の結果に、市場が一喜一憂し、ドルが上下動することになる可能性が高いと考えられる。
しかし、政策は両者とも保護主義的な色合いが濃くなっており、いずれにしてもドルに与える影響はマイナス方向になる可能性が高い。
佐々木融 モルガン・チェース銀行 市場調査本部長