息子(鈴木康弘取締役執行役員)が社長になるなんていうのは、まるっきり嘘で、誰もそんなこと言ってない。まるきりそんなことはありえない。と『週刊誌』などによる情報戦で敗れ追われることになったカリスマは『嘘つきは絶対許さない』と不満をぶつけた。自分は「客の心理がわかる」とイトーヨーカ堂創業者伊藤雅俊氏の下でカリスマ性を発揮し続けた鈴木敏文氏でしたが、後継者問題で最後の最後に創業伊藤家を疑心暗鬼にさせ、見放された❓乗っ取りを企てるサード・ポイントのような外資系ファンドや年に数千億円規模の取引があった大企業三井物産を昨年突然、変えたことで逆恨みを買ったのかもしれません。その鈴木氏は「伊藤さんに信用されていたから、ここまでやってこられた」と実直に感謝し続けていた。伊藤氏も高齢により判断力が鈍るまでは常に判断を鈴木氏に任せ、鈴木氏もその期待以上の働きをし、創業家の資産を増やし続けた。しかし、そのカリスマを結果、退陣に追いやり、代わりに天才に否定された凡庸な社長を担いだツケを今後払わされることになりそうです。それにしても潔い引き際です。
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潔い「引き際」
愚直なまでに率直な物言い、顧客視線を貫いた商品へのこだわり、ときに強引にも見えた経営手法――カリスマともワンマンとも評されたが、これほど凄い経営者はもう二度と現れないかもしれない。
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勝見明: ジャーナリスト。構成書に『働く力を君に』(鈴木敏文著/講談社刊)。鈴木氏に「私以上に私を知っている男」と評される
信田洋二: 小売り・物流コンサルタント。「Believe Up」代表。セブンイレブン在籍時は120店舗以上の経営指導にあたる
磯山友幸: ジャーナリスト。元日経新聞記者(証券部)、チューリヒ支局長、日経ビジネス編集委員。企業のガバナンス問題に詳しい
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浅漬けひとつでクビが飛ぶ
信田: 私は'95年から'09年まで、セブンイレブンに勤めましたが、鈴木敏文会長(83歳)の経営スタイルには、驚かされることばかりでした。正直ついていけないな、と思うことも日常茶飯事……。とにかく次に何を言い出すかわからない経営者なのです。
勝見: 凡人とは全く違う発想法の人でしたからね。
信田: 例えば、こんな話があります。セブンイレブンでは毎日のように鈴木会長をはじめとした経営陣たちがそろって商品を試食し、品評するのですが、ある日、鈴木会長が「これはうまい」といたく気に入ったキャベツの浅漬けがあった。
ところが、全国の店ではこの浅漬けがあまり発注されておらず、売り上げも少なかった。その現状に納得がいかなかった鈴木会長は「こんなに美味しい浅漬けをちゃんと売れないなんてどういうことだ!」と激怒し、何人かの責任者が飛ばされたのです。
カリカリの梅干しが入ったご飯も大変気に入って、同じようなことがありました。たった一つの商品でも、カミナリが落ちるので、周りはついていくのが大変です。一事が万事この調子でしたから、社員の離職率も高かったですよ。
勝見: 鈴木氏の発想に普通の人々がついていけないのは、彼の考え方のユニークさ故でしょう。
普通の人々は、去年の同時期の売り上げはこれくらいだったから、今年はこれくらいになるだろうというように、過去や現在の状況を分析して、ものごとを判断します。ところが、鈴木氏の発想の起点はいつも「未来」にあるんです。「現状がこうだから、未来はこうなる」ではなく、「未来がこうなっているだろうから、現状をこう変える」という発想法。
これは、何気ないことのようで、なかなかできない考え方で、事実、鈴木氏が見ている未来のビジョンを周りの人間が共有できなくて軋轢が生まれたこともありました。
営業経験も販売経験もなし
磯山: 大型スーパーが全盛の時代に、コンビニを日本に持ってくるという話から始まって、家で作るのが当たり前だったおにぎりを店で売ったり、ATMだけの銀行を作ったり、どれも最初は周囲が反対した例ですね。
それでも鈴木氏は、反対を押し切ってワンマン経営を進めて成功してきた。ただ、株主など企業の利益を共有している人たちへの「アカウンタビリティ(説明責任)」が求められる風潮が日本でも広がってきて、鈴木氏の経営手法はだんだんと時代に合わなくなってきていたのも事実です。
勝見: 彼は一対一になると口下手で人見知りなのです。自分の発案を懇々と部下たちに説明するタイプではなく、誤解を生むことも多い。誰にでもわかる一般理論から説く「形式知」の人ではなく、常識とはかけ離れたところから優れた発想をする「暗黙知」の人なんです。
信田: 伝えたいことがあるのに、口下手で説明しきれないということは、たしかにありました。だから社員も話を聞くときは、鈴木氏が何を言いたいのか、「行間」を読むのに必死でした。
磯山: そうやって「空気を読む」風土は、非常に日本企業らしい。それでうまく経営が回っているときは問題ないし、社内で価値観が共有できているのは大切なことです。会社が大きくなり、ステークホルダーが多様化してくると、そうもいきませんが……。
勝見: 鈴木氏は上がり症で、昔、イトーヨーカ堂の店頭に立った時も無愛想で、「お前が立っていると喧嘩を売っているみたいだ」と言われたほどです。店頭での販売や営業の経験もほとんどない。
磯山: それで、日本の小売りの業界に革命をもたらしたのですから、すごい話ですね。
勝見: 鈴木氏は自分は「客の心理がわかる」という自信はあったし、それが小売りという商売で一番大切だということをよくわかっていた。
セブンイレブンのすごいところは、そのような鈴木氏の思考法を会社全体で共有していることです。例えば、セブンイレブンの強みのひとつに「単品管理」という手法があります。これは、商品の売れ筋について仮説を立てて発注し、POSを使って販売データをチェックし、仮説を検証することで次の発注の精度を高めていくという手法です。この仮説と検証というサイクルは、全国すべての店舗で実践されています。
私が取材していても、OFC(店舗経営相談員。フランチャイズ加盟店に対して経営コンサルティングを行う職種)や店舗オーナーたちが、みな鈴木氏と同じ話をするんですよ。まるで金太郎飴のようです。「お客のためでなく、お客の立場で考える」「最大の競争相手は、お客のニーズの変化である」といった鈴木イズムが隅々まで行きわたっている。このことがセブンイレブンの強みだと思います。
信田: 私はOFCとして、しばしば鈴木氏の謦咳に接する機会がありました。セブンイレブンでは毎週火曜日朝11時から30分ほど、全国からOFCが集まる会議が開かれて、鈴木氏のスピーチがあります。そこで鈴木イズムが徹底的に叩き込まれる。
「過去のデータに頼るな!」
磯山: 具体的には、どのような話があったのですか?
信田: 例えば、「完売すること」の問題について。普通の店だと商品が完売したら、「よく売りきった」とほめられるのが普通ですが、セブンイレブンでは、「販売の機会損失、売り逃し」として「犯罪行為」にも等しいとみなされます。コンビニに来て、商品がないと、お客が味わう失望感はとても大きいのです。欠品の罪深さについては、毎回話が出ました。
それから、先ほども話が出た「過去のデータにとらわれないこと」の大切さ。ときどき鈴木氏は「前年のデータなんて消してしまえ」と、データをすべて消去してしまうんです。本来であれば、過去の売り上げの詰まったとても大切なデータなのですが、それにとらわれすぎていては、未来から見た斬新な発想ができなくなる。
実際、データを消すと、各店舗からの発注数が大幅に増えます。店側もたくさん仕入れれば、在庫を抱えないために一生懸命に売るようになる。
磯山: すごいショック療法ですね。あれほどの大きな流通組織で、前年比という発想を否定するのは、なかなかできるものではありません。鈴木氏はセブン&アイ・ホールディングスの創業家ではありませんが、実質的には創業者に近い大胆な経営を行っていたことがよくわかるエピソードです。
信田: イトーヨーカ堂の創業家は伊藤家ですが、セブンイレブンに関しては、実質的には鈴木氏が創業者みたいなものですからね。
火曜日のFC会議も、前日の売り上げの数字が少し悪かったりすると、月曜日の夜に急遽キャンセルになり、OFCたちには担当の店を回るよう指示が出ることもしばしばあって、急な予定変更に振り回されましたね。
鈴木氏は、部下たちと一緒に飲んで、話をするというようなこともいっさいしない人でしたね。それどころか挨拶もしない。私が勤めていた頃は、本社の9階に健康相談室というのがあって、そこで顔を合わせることが多かったのですが、こちらが挨拶しても、返事が返ってきたことは一度もありませんでした。
磯山: 周囲に説明のつかない大胆な決断というのは、社内にとどまらなかった。取引先との折衝も大変だったのではないでしょうか。
昨年には三井物産との取引を急に減らして、問題になったようですね。ローソンには三菱商事、ファミリーマートには伊藤忠というメインの取引先があって、セブンイレブンにとっては三井物産が重要な役割を果たしてきた。
信田: 三菱商事や伊藤忠に比べて、三井の商品調達力が弱かったことが気に入らなかったとも言われていますが、取り立てて落ち度があったわけでもなく、切られた理由はよくわかりません。
理由はともかく、年に数千億円規模の取引があった取引先を急に変えると言っても、他に対応できる会社など簡単に見つからない。結局、食品専門商社の国分グループと取引することになりましたが、この決定には相当大きな軋轢がありました。
優秀な後継者は「潰す」
勝見: 営業成績の数字は良くても、鈴木氏からすれば、どこかマンネリ化したところが見えたのでしょう。
実はこれまでも、鈴木氏がメーカーとの取引を急に変更するようなことはしばしばありました。長年のお付き合いだからといって、取引を続けるのはあくまで会社の都合。客の都合とはまったく関係がない。鈴木氏はそういう会社の都合で経営がマンネリ化し、店舗の品ぞろえに驚きがなくなり、客に飽きられることを何よりも恐れていました。
磯山: 鈴木氏のワンマン体制は'90年代から'00年代までは非常にうまく機能していたと思います。私が『日経ビジネス』にいた時代も、鈴木氏やセブンイレブンを取り上げると雑誌がよく売れたものです。
一方で、いつまでもワンマン経営ではいけない、ガバナンス体制を強化しなければいけないという話は、セブン内部でも以前からありました。鈴木氏自身、そのことをいちばんよくわかっていたと思います。しかし、そのような話が出るたびに反対して潰してきた。
勝見: ガバナンスとは要するに経営者が好き勝手しないよう監視するということ。それは株主の利益のためなのですが、逆にガバナンスが過剰になれば、スピード感のある経営は難しくなります。
磯山: 以前は創業家で大株主の伊藤雅俊氏(92歳)も、鈴木氏に全幅の信頼を置いていました。その意味で、ガバナンスもきっちりと効いた上で、鈴木氏は自由に経営手腕を振るえた。しかし、伊藤氏が高齢となり、創業家内部で世代交代が起こり、サード・ポイントのような外資系ファンドが経営に口を出すようになって事情は変わってきた。
鈴木氏の退任が決定的になった4月7日の指命報酬委員会でも、伊藤氏に信任のハンコをもらうようにこだわったのは鈴木氏だった。彼はぎりぎりまで伊藤家に信任されていると思い込んでいた。
信田: 鈴木氏の伊藤家への思いというのは複雑なものがあったと思います。
鈴木氏は、持ち株会社のセブン&アイを設立するにあたって、イトーヨーカ堂の象徴だったハトのマークを次々と消しました。また、それまで社歌は3番まであったのですが、なぜか2番までしか歌われなくなった。これは3番の歌詞に「愛を届けるハトになる」という歌詞があるからだという噂が、社内ではまことしやかに語られていました。
勝見: ただ、鈴木氏には「伊藤さんに信用されていたから、ここまでやってこられた」という気持ちは常にあったと思います。
30歳でイトーヨーカ堂に転職して、頭角を現し始めた頃、西武の堤清二氏やダイエーの中内功氏が鈴木氏のことを欲しがったそうですが、「もし彼らの下で働いていたら3日でクビになっていただろう」と話していました。
磯山: その創業家から井阪一社長を外すという人事案の賛成を得られなかったことで、鈴木氏は退任を決めたのでしょう。
鈴木氏には、「井阪ではだめだ」という未来が見えていたのかもしれませんが、彼の直感を押し通せる時代ではもうなくなっていた。
勝見: ただ、社外取締役も含め周囲から納得を得られる経営者が必ずしも正しいとは限りません。鈴木氏が周囲を納得させることばかり重視する経営者だったら、現在のような躍進はなかったと思います。
信田: 井阪氏の仕事ぶりは堅実で、社内での評判は悪くありません。鈴木会長には物足りなかったのかもしれませんが……。
いまやセブンイレブンは全国に1万8000店を展開する大企業で、成長期から安定期に入りました。お客の都合を優先することがなにより大切なのもわかりますが、会社の都合とのバランスを取っていかなければならない時代になっています。
井阪氏以前にも、有力な後継者だと見なされながら、鈴木氏に意見をして、刺し違えて社を去って行った人は何人もいます。鈴木氏は後継者を育てるタイプではなく、むしろ優秀な部下はつぶしにかかる。
その一方で、次男の康弘氏はホールディングスの取締役にまで出世しているので、社内では「なぜ、会長の次男ばかりが出世するのか」という声が出ていました。
潔い「引き際」
勝見: なるほど、結果として康弘氏が取締役になっていますが、敏文氏自身が明言しているように、息子を後継者としては見ていなかったと思います。彼は、決して嘘をつかない人ですし、私利私欲もない人。これといった趣味もなく、ゴルフもあくまで「運動のため」にやっているくらい。根っから実務に徹する仕事人間なんです。
信田: 正直なところ、私は最後まで鈴木氏の真意がどこにあるのかわからなかった。彼の指示に従って、自分がやってきたことが正しいかどうかもわかりません。
それでもFC会議で毎週のように叱られているうちに、鈴木イズムが体に染みつきましたし、それが今の仕事にもつながっています。鈴木氏が一線から退いたとしても、彼の経営方針がセブンイレブンの隅々にまで共有されているうちは、ちょっとやそっとで屋台骨は揺るがないでしょう。
磯山: 改めて言うまでもなく、鈴木氏は稀に見る偉大な経営者でした。独自の発想とスピード感で創造と破壊を繰り返し、コンビニという小売りの形態を極限にまで成長させた。しかし鈴木氏が引退した後、集団指導体制になれば、必然的に経営のスピード感はなくなっていくでしょう。やはり、後継者を育てられなかったことが経営者としての限界だった。
最後に付け加えるとすれば、鈴木氏はオーナーでなかったこともあって、スパッと辞めることができたのは会社にとっても、本人にとってもよかったと思います。今後、最高顧問といった肩書がつくかどうかわかりませんが、ダイエーの中内氏などと比べて、引き際が潔かった。特異な才能で流通の一時代を築いたカリスマにふさわしい去り方だったのではないでしょうか。
「週刊現代」2016年5月21日号