Q,神仏一体というが以前は神社には必ず寺があったのか?
A,必ず神社には寺がありました。
神道大辞典の「神宮寺」の項には以下のように書かれています。
神宮寺とは神社に付属する寺院の称。神宮院、宮寺、神願寺、神護寺、神供寺等とも呼んだ。多くは神社の境内に建立したがまれには遠隔地に設置したこともあった。この寺に住する僧を社僧といい、常に仏事を修して神につかえた。その起源は詳らかでないが、夙に奈良時代神仏習合説の起こるに及んで神を権現と称し、寺内に祀りて守護神とし、あるいは神社に本地堂・神宮寺を建てることとなった。神仏習合の歴史上にあらわれたのは文武天皇2年伊勢の大神宮寺を多度より度会郡に遷したといふことが初見で(続日本紀、文武二年十二月二十九日のところに「 多気大神宮を渡合郡に遷した」とある)。 、ついで霊亀元年に藤原武智麿が夢告により越前の気比神社に神宮寺を建てた(注)。これよりのち諸国の神社おおむねこれを設けないものはなく、たとへ設けないものでも旧来の寺院を以てこれにあてた。・・
(注、『藤氏家伝』下・武智麻呂伝(715)【神身離脱・神宮寺】
改二和銅八年一為二霊亀元年一。公嘗夢遭二一奇人一。容貌非レ常。語曰。公愛二-慕仏法一。人神共知。幸為レ吾造レ寺。助二-済吾願一。吾因二宿業一。為レ神固久。今欲下帰二-依仏道一修中-行福業上。不レ得二因縁一。故来告之。公疑二是気比神一。欲レ答不レ能而覚也。仍祈曰。人神道別。隠顕不レ同。未レ知二昨夜夢中奇人是誰者一。神若示レ験必為レ樹レ寺。於レ是神取二優婆塞久米勝足一置二高木末一。因称二其験一。公乃知レ実。遂樹二一寺一。今在二越前国一神宮寺是也。)
A,必ず神社には寺がありました。
神道大辞典の「神宮寺」の項には以下のように書かれています。
神宮寺とは神社に付属する寺院の称。神宮院、宮寺、神願寺、神護寺、神供寺等とも呼んだ。多くは神社の境内に建立したがまれには遠隔地に設置したこともあった。この寺に住する僧を社僧といい、常に仏事を修して神につかえた。その起源は詳らかでないが、夙に奈良時代神仏習合説の起こるに及んで神を権現と称し、寺内に祀りて守護神とし、あるいは神社に本地堂・神宮寺を建てることとなった。神仏習合の歴史上にあらわれたのは文武天皇2年伊勢の大神宮寺を多度より度会郡に遷したといふことが初見で(続日本紀、文武二年十二月二十九日のところに「 多気大神宮を渡合郡に遷した」とある)。 、ついで霊亀元年に藤原武智麿が夢告により越前の気比神社に神宮寺を建てた(注)。これよりのち諸国の神社おおむねこれを設けないものはなく、たとへ設けないものでも旧来の寺院を以てこれにあてた。・・
(注、『藤氏家伝』下・武智麻呂伝(715)【神身離脱・神宮寺】
改二和銅八年一為二霊亀元年一。公嘗夢遭二一奇人一。容貌非レ常。語曰。公愛二-慕仏法一。人神共知。幸為レ吾造レ寺。助二-済吾願一。吾因二宿業一。為レ神固久。今欲下帰二-依仏道一修中-行福業上。不レ得二因縁一。故来告之。公疑二是気比神一。欲レ答不レ能而覚也。仍祈曰。人神道別。隠顕不レ同。未レ知二昨夜夢中奇人是誰者一。神若示レ験必為レ樹レ寺。於レ是神取二優婆塞久米勝足一置二高木末一。因称二其験一。公乃知レ実。遂樹二一寺一。今在二越前国一神宮寺是也。)