福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神仏一体資料、21

2020-01-21 | 護国仏教
•四国66番 雲辺寺、鎮守社は五社大権現
•67番 大興寺-熊野三所権現
•68番札所神恵院(本尊、阿弥陀如来)69番 観音寺(本尊正観音)は昔は琴弾八幡宮(祭神、応神天皇・神功皇后・玉依姫命)が札所。真念「四国徧禮道指南」には「六十八番琴弾八幡宮・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」には観音寺と共に書いており、「承応二年十月九日観音寺、本堂南向、本尊正観音、 大師の開基、桓武天皇の御願、大同年中の造営也、 寺は神恵寺六坊在り、 二町北の坂を上て琴引宮に至る、
瑟引八幡宮、南向、本地阿弥陀如来、 大宝三年(癸卯)、豊前国宇佐ノ宮より此国に来臨し玉ふ、 海上にて瑟を弾し玉ふ、其音妙にして国の人々耳をすませり、 此所に権者と呼し人、此山に宮を作て安し奉しと也、 其後大師観音寺と云也 」とあります。
四国八十八所ホームページによると「六十八番・神恵院も六十九番・観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にあります。2つの札所が同じ境内に存在する、とても珍しい霊場です。開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれています。大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀りました。このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされています。大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、寺の名を「神恵院」にとし、六十八番霊場としました。その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移されました。以降、「神恵院」は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として今に至っています。」とあります。私もいつも琴弾八幡宮をお参りしてから、二つの札所をお参りします。ここは遍路道の途中にあるのでお参りしやすいのです。
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