先祖供養の経典・・4
・地藏菩薩本願經卷下 利益存亡品第七に「地藏答言。「若し男子女人有りて、在生に善因を修せず多く衆罪を造らんに、命終之後、眷屬、小大爲めに福利一切の聖事を造らば七分之中而も乃ち一を獲ん。六分の功徳は生者自ら利せん。是を以ての故に未來現在善男女等よ聞け、健なるとき自ら修せば、分分に已に獲ん。無常大鬼は期せずして到る、冥冥たる遊神は未だ罪福を知らず。七七日の内は癡の如く聾の如し、或 . . . 本文を読む
先祖供養の経典・・3
・父母恩重経には「・・・もし親、志を遷して、仏の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて淫せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、すなわち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦し、婢僕忠順に、六畜虫魚まで、あまねく恩沢を被りて、十方の諸仏、天竜鬼神、有道の君、忠良の臣より、庶民万姓にいたるまで、敬愛せざるはなく、暴悪の主も、佞嬖の輩も、兇児妖 . . . 本文を読む
先祖供養の経典・・2
こ以下のようにあの世の先祖や衆生を救うためのお経が種々に説かれています。以下思いつくままに紹介します。
・中陰経は仏が大光明を放ち自ら中陰にお入りになり中陰の衆生を集めて法をお説きになるというお経です。
・中阿含経にも「祠祀諸天。祭餟先祖。及布施沙門梵志。爲後生天而得長壽得樂果報」とあります。
・「仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経」には「佛告阿難。有陀羅尼名曰一切徳光無量威力。若有 . . . 本文を読む
先祖供養の経典・・1
先祖供養に関する経典はあまり注目されてきませんでした。
仏教は理論的には自業自得の世界。なのになぜ善行などの回向で先祖や他者を助けることが出来るのか、という疑問があるからでしょう。
しかし「大乗義章」では「廻とは転なり。向とは趣なり。自の万行を転じて三所に趣向するが故に。一門に三を説く、一には菩提廻向(悟りに向かって回向するもの)、二には衆生廻向(自らの功徳を他者に転じてとも . . . 本文を読む
現代人の霊体験・・3
・最近の映画にも霊の存在が前提に作られているものが出てきました。「岸辺の旅(2015)」では残された妻の前に亡夫が出てきますし、「母と暮らせば」でも原爆で死んだ息子が残された母と暮らします。
・「・・靖国神社で昭和52年に職員が通路の隅でクシャクシャになった戦闘帽を発見して展示ケースに入れたところ翌日早速老婆が現れ、「夢に息子が出てきて靖国神社に来てくれというのできたら展示ケ . . . 本文を読む
現代人の霊体験・・2
・東日本大震災で被災者は無数の霊体験をしています。河北新報では「魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く」(新潮社、奥野修司著)を紹介しています。
「「どこにも行かないよ」とほほ笑む39歳の妻と1歳の娘。「56歳の兄から届いた「ありがとう」のメール。」「仮設住宅の天井に響く8歳の息子の足音。」「ハグしてくれる57歳の夫」。「「イチゴが食べたい」とねだる3歳の孫。 . . . 本文を読む
現代人の霊体験・・1
先祖供養の必要性を様々な角度からここで書いてきていますが、供養の前提となるのが霊の存在です。
現代人も霊の存在を認識していることを何回かに分けて書いていきます。
・キュブラー・ロスは無数の臨死体験を分析して有名な「死ぬ瞬間(1969)」を著しましたがそこで多くの臨死体験を分析して「私は死後の生を知っている」「肉体は繭に過ぎず、内なる本当の自己は不死であり・・」といっています。 . . . 本文を読む
昔から国民精神の基盤をなしていた先祖供養・・5
「日本霊異記には家畜が前世の父母であったりする話が多い。輪廻などという考え方はあまりに非科学的であり今日到底みとめることはできまい。しかし今日例えば親子関係を自明の事実として親子という人間関係とはいかなる人間関係であるかという反省もなく生きつつある我々を思うとき、ここにはわれわれよりもより深い精神の営みが感じられる。われわれにおいてもわが子がわが親を . . . 本文を読む
性霊集の六・七・八巻は大師の達親文です。
ここに大師の先祖供養のお考えが凝縮されています。
つまり造佛・写経・法要等の供養は施主の先祖を救うのみでなく一切の六道四生に及ぶとおっしゃっています。
例えば「・・三界を牢籠し(三界の衆生をよく率い)四生を綿絡して(胎・卵・湿・化の衆生を摂取不捨)同じく愛獄を脱して斉しく覚道に遊ばん。(「桓武天皇の奉為に太上御書の金字の法華を講ずる達親」)」、「・・伏して . . . 本文を読む
昔から国民精神の基盤をなしていた先祖供養・・4
・柳田国男は佛教嫌いであったといいますがその柳田は「日本民俗宗教の体系化を図り、盆・正月・卯月八日及び山の神・田の神・屋敷神の諸神を氏神=先祖神との関係に於いて論じ、莫大な柳田民俗学を練った、諸信仰が先祖崇拝を軸として展開しているとの意識である。(坂本要「先祖崇拝と葬式佛教」)」と言われています。つまり日本人のバックボーンは先祖崇拝であるということで . . . 本文を読む
今日ふと、「 生きている時間はほんの一瞬に過ぎない、しかもその一瞬の生きている時間に修行し先祖供養しなければ永遠に先祖供養する時間はない、死者は肉体を持たないので修行することもその功徳を廻向することもできないのだ・・」という当たり前のことを思い出しました。御大師様はじめ歴代の祖師方が口を酸っぱくして修行に励めとおっしゃってきたのもこういう理由でした。生きているときに、肉体を与えられている一瞬の時間 . . . 本文を読む
昔から国民精神の基盤をなしていた先祖供養・・3
・五来重「先祖供養と墓」「日本の宗教は、霊魂の宗教です。日本の宗教はまず死者の霊から出発して、それが清められて祖霊になり、全く浄化されて神になるという、死霊・祖霊・神の宗教です。また、自然崇拝の宗教です。山河草木鳥虫動物は、すべて魂を持っていると考えますので、日本人はそういうものを供養するという考え方があります。虫供養や牛馬供養があったり、木を供養し . . . 本文を読む
昔から国民精神の基盤をなしていた先祖供養・・2
・杉本鉞子(すぎもと えつこ、1873年(明治6年)- 1950年(昭和25年)6月20日)『A Daughter of the Samurai(武士の娘)』はアメリカで初の日本人ベストセラー作家。コロンビア大学の初の日本人講師)が回想する長岡藩家老稲垣家の盆行事を「逝きし世の面影・渡辺京二」で引用しています。「数日前から準備が始まる。庭木生垣を刈り . . . 本文を読む
昔から国民精神の基盤をなしていた先祖供養・・1
穂積八束は「民法出でて忠孝亡ぶ」(1891年)の中で「日本は祖先教の国なり、家制の郷なり」といいましたが、確かに祖先崇拝・先祖供養は日本人の年間行事の骨格でした。
・「耶蘇会士日本通信(16世紀イエズス会士による書簡)」には「両親・妻子・兄弟の葬祭は各人殆ど一生涯これを行ひ、死後三日・七日・三十日及び毎年三年・十二年・三十年及び毎月死亡の日に祭りを行 . . . 本文を読む
あの世・霊魂の存在は古今東西の歴史的常識でした。
とりあえず思いつくままに霊魂の存在が古今東西の歴史的常識であったことの例示をメモをしておきます。
古事記では伊弉諾が黄泉の国の伊邪那美を訪ねた件がありますが、あの世の存在は古代日本でも常識でした。縄文墓の周辺にも葬送儀式を伺わせる土器類が多く発見されています。その後各地につくられた古墳と銅鏡などの副葬品も『あの世』を前提にしたものです。
ま . . . 本文を読む