福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q,「意味不明で唱えるお経と意味を明らかにして唱えるお経の功徳如何」

2013-11-03 | お大師様のお言葉
1、お経には[念經、看經、誦經、書經、受經、持經あり]
と正法眼蔵第三十「 看經」にでています。

正法眼蔵第三十 「看經」です。「阿耨多羅三藐三菩提の修證、あるいは知識をもちゐ、あるいは經卷をもちゐる。知識といふは、全自己の佛 なり。經卷といふは、全自己の經卷なり。全佛 の自己、全經卷の自己なるがゆゑにかくのごとくなり。自己と稱ずといへども我 の拘牽にあらず。これ活眼睛なり、活拳頭なり。
しかあれども念經、看經、誦經、書經、受經、持經あり。ともに佛 の修證なり。しかあるに、佛經にあふことたやすきにあらず。於無量國中、乃至名字不可得聞(無量國の中に於て、乃至名字だも聞くこと得べからず)なり、於佛 中、乃至名字不可得聞なり、於命脈中、乃至名字不可得聞なり。佛 にあらざれば、經卷を見聞讀誦解義せず。佛 參學より、かつかつ經卷を參學するなり。このとき、耳處、眼處、舌處、鼻處、身心塵處、到處、聞處、話處の聞、持、受、 經等の現成あり。爲求名聞故 外道論議(名聞を求めんが爲の故に、外道の論議を く)のともがら、佛經を修行すべからず。そのゆゑは、經卷は若樹若石の傳持あり、若田若里の流布あり。塵刹の演出あり、 空の開講あり。・・・」とあります。ここで念経とは声を出して読むこと、看経とは黙読または低い声で読むこと、誦経とは抑揚をつけて読誦すること、書経とは写経のこと、受経とは経をさずかり教えを受けること、持経とは経を常に護持して教えを離れないことであり、これらはみな仏祖の修行してきたところだ、とおっしやっています。

2、諸経にはそれぞれ読経の功徳が書かれていますが思惟することとセットの場合が多いようです。
般若経系統についていえば、

お大師様の「般若心経秘鍵」には「誦持講供すれば則ち苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあります。(即ち読経により現世利益をいただけ、意味を考えれば覚りもともにいただけるということです。)


『八千頌般若経』には
「良家の男子にせよ女子にせよ、この知恵の完成を書きしるして、みずからも唱え、他人のためにも書きしるして与えるとしよう。彼は、(無数の有情を禅や神通に定着させる)良家の男子や女子よりも、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。さらにまた、良家の男子や女子が、意味に通暁してこの知恵の完成を唱え、前の(人と同じ)ように、他人のためにも書きしるして与え、その意味文字とともに説明し、解釈してやるならば、カウシカよ、その良家の男子や女子は、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。」

『金剛般若経』」には「さて、スブーティよ、女子にせよ、男子にせよ、朝のあいだにガンガー河の砂の数に等しい(自己の)身体を喜捨し、同様に、間にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨し、夕刻にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨するとしよう。このようにして、百・千のコーティ・ニユタという多くの劫のあいだ、身体を喜捨しつづけるとしよう。他方、この法門を聞いて、(それを)謗らないものがいるとしよう。(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より多くのはかりしれない無数の功徳を集積するであろう。まして(の法門を)書写して把握し、記憶し、読誦し、理解して、さらに他の人々にくわしく説明するものはいうまでもない。」


宝亀4(773)年には疫病が蔓延したので朝廷の告示が出されました。「それ摩訶般若といっぱ諸仏の母なり。天下これを念ずれば兵戈災害も国中におこらず、庶民これを念ずればすなわち疾疫霊癘鬼も家内に入らず。この善利によって・・よろしく天下に告ぐべし摩訶般若を念ぜよ。」(般若心経を念ずれば国には平和が訪れ、庶民は病気や不祥事から逃れることが出来る。般若心経を念じなさい。)というものです。その後疫病はたちまち止んだといいます。

またお大師様の「般若心経秘鍵」にも「ここに帝王、自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って、般若心経一巻を書写し 奉りたもう。 予、講読の選にのっとって、経旨の宗をつづる。いまだけ結願の言葉を吐かざるに、 蘇生の族、途に佇む。夜 変じて、日光赫赫たり。これ愚身が戒徳にあらず。金輪 御信力の 所為なり。(弘仁9(818)年の大疫にも嵯峨天皇が般若心経を写経されたので病気が治ったひとびとが道に佇んだ。)」とあります。
嵯峨天皇を始め、後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格天皇などは宸筆写経をされ、現在でもこれらは京都大覚寺内の勅封般若心経殿に納められています。


当麻寺の中将姫は1000巻の写経の功徳によって、極楽浄土を感得され国宝・綴織當麻曼荼羅を刺繍されたとされます。

塙保己一は34才で『群書類従』の出版を決心した時、北野天満宮に『般若心経』100巻を千日間あげて完成を祈願しました。そして41年かけて見事、文政2年(1819)74才で『群書類従』全670冊を刊行しています。

妙極堂教戒(浄厳)は「なぜに般若をもって法楽となすや、かの如来などはみな般若の威力によって生ずるが故に、諸天などはみな般若の威力によって生ずるがゆえに、般若を聞くときに往恩を報ぜんがための故にきたりて護持をなすなり。」といって読経の功徳を説いています。
仁王護国般若波羅蜜経には「・・大王、過去に復た五千の國王あり、常に此經を誦して現生に報を獲たり。汝等十六の諸大國王。護國法を修せば應當に是の如く受持讀誦して此經を解説すべし。若し未來世諸の國王等、護國護自身を欲するためには、亦應に是の如く此經を受持讀誦解説すべし・・・」と受持讀誦解説の功徳をあわせて説いています。


3、理趣経では「若能受持 日日 讀誦 作意思惟 即於現生證
一切法平等 金剛三摩地 於一切法 皆得自在  
受於無量 適歡喜 以十六大 菩薩生
獲得如來 執金剛位(ただ聞くだけに止まらず
良く身に保ち 日々唱え、
さらに心に 思惟(おも)いなば、
父母の生み出す この身もて、ものの本性なる 平等と、変わることなき 金剛の、
安けき 心地に 入りぬらん。入りなん後の そのときは、 (何に縛られることも無く)自由となりて 測りなき、快楽(けらく)歓喜(かんぎ)に 満ちぬらん。十六尊の大菩薩、 それぞれ示す 十六生、 その道すべてを 進み行き、 それらすべての 果てにある、 金剛不壊なる 大日の、遍照の境地に入りぬらん。)」とあり、誦えることと思惟することをセットで述べています。

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