「高山に登るのは笠もいれば草鞋も用意せねばならぬ。この種々の品物を揃えるは目的ではないが富士山へ登るという目的をはたさんがために杖笠等を揃える。これを万便助道という。今もその如く涅槃という高山に登り真如の月をながめんとするには弁当杖笠の用意をせねばならぬ。ところが世間と違って涅槃へ行く道を助けるものは弁当ではない、金でない。ただ三十七の道品である。
(三十七道品とは
・四念住(四念処、四種の観想) . . . 本文を読む
華厳経巻二十四十地品第二十二の二
「是の菩薩は復た是の思惟をなす。此の十不善道は、上は地獄の因縁、中は畜生の因縁、下は餓鬼の因縁である。中において
・殺生の罪は能く衆生を地獄・畜生・餓鬼に堕さしむ。若し人に生じても二種の果報を得る。一は短命。二は多病。
・劫盜の罪もまた衆生を三惡道に落す。若し人に生じても二種の果報を得る。一は貧窮。二は共財において自在ならず。
・邪婬の罪もまた衆生を三惡道に堕す . . . 本文を読む
われわれは素粒子を、測定機器との、あるいは観測者の意識との相互作用の働きによって、はじめて物質化される潜在性と考えるべきです。完全に独立した現実とか、元来は対象に帰属するような測定とかを想定して、それを観測のプロセスから切り離すことはどうしてもできませんね。だから現実を主体と客体に分断することは不可能です。-(天体物理学者、チン・スアン・トゥアン「掌の中の宇宙」) . . . 本文を読む