華厳経巻十五金剛憧菩薩品第二十一の一
「衆生は常に愛網の為に纒われ、無明に覆蔽せられ有愛に染著して、之がために走使せられて自在を得ず。
苦獄に縛在し、諸魔の業に随い、諸佛の所において心に疑惑を生じ、出世道を得ず、安隱の處を見ず、常に無量生死の曠野に馳せて無量苦を受く。菩薩摩訶薩は彼の衆生の生死の泥に没して衆の楚毒を受けるを見て、大悲心を起こし、衆生を饒益して善利を得、苦難を免度せんとて、善根を迴向 . . . 本文を読む
十善が船の体のようなもの、六度(六波羅蜜)は船を渡すところの水夫のようなもの、なんぼよい水夫があっても,なんぼよい航海者があってもなんぼよい船衆があっても船(つまり十善戒)がなければ渡れぬ。・・だから六波羅蜜は十善の体があってしかして後、六波羅蜜がなければならぬ。これについてこれまで施のことを述べた。殺生の心を離れて施をする。邪淫の心を離れて施をする、物を掠め取る心を離れて施をする、妄語を離れて施 . . . 本文を読む
昨日の花祭り模様
昨日孫が護国寺の花祭り御稚児行列に参加しましたので、一緒に行きました。今までも孫は二回ほど御稚児さんに参加していたのですが福聚講と重なって行けませんでしたが今年は初めて孫の稚児姿を見ることができました。昨日もお釈迦様のお誕生日を祝うかの如く空は晴れ上がり、うららかな春光が五色の吹き流しに照り注いでいました。境内の桜はもう殆ど葉桜となっていましたが本堂横の八重桜のみは華やかに咲き誇 . . . 本文を読む