大法輪平成16年2月号に形山睡峰師の「臨済禅の座禅の仕方」と題する一文がありました。このなかにいい文章がありましたので紹介します。
「修業者はまず深い慈悲心を起こし、自分がすくわれるよりも先に他の苦しみ悩むものを救わずにはおかぬぞとの強い願心をもって臨む必要がある。
決してわが身一人の安心だけを願って修業してはならない。
もし努力しても道が成就せぬというならかならずこの願心が欠けているか . . . 本文を読む
修証義より「・・今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡おおよそ因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち修善の者は陞のぼる、毫釐ごうりんも忒たがわざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。 善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するに . . . 本文を読む
「慧の荘厳を以ってのゆえに能く一切の分別の妄見を断ず」ここで慧というは般若の智慧のこと。般若の智慧は人間の智慧でなくて真理のことである。真理というても人間の哲学や科学にいう真理ではない。人間以上の真理である。・・無我無相の清浄の心を指して慧という。かかる般若の慧に依って三界六道の生死の海を離れて涅槃の岸に至る。
「妄見」・・妄というのはみだりでまちがったこと、人間が思うのはみな間違っておる。それ . . . 本文を読む
華嚴經金剛幢菩薩迴向品第二十一の一「(菩薩は)一切の諸仏滅度しおわりては、舎利を供養して厭きたることなく、悉く無量なる妙雑の宝を以て、恒沙の諸の塔廟を建立す。無数の尊形像を造作して、寶蔵浄金をもって荘厳し、巍巍として高大なること山王の如く、その数無量にして不思議なり。」
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