第二十六 値遇密教章
(人身受けがたく仏法遇ひがたし。真言密教に遇うのは更に難しい。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるもののみが密教に触れることができている。)
夫れ人身は受けがたく仏法は遇ひがたし。真言密教に遇ふは亦更に愈々難し。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるものにあらずんばこの名字をも聞くこと能わず。大日経に「秘密主、大乗の宿習なく、未だかって真言乗の行を思惟せざる者は彼れ . . . 本文を読む
鈴木大拙「霊性的日本の建設」「・・日本文化には世界といふ高堂に出陣して他の国民をして景仰せしむべきものがなくてはならぬ。・・事事無礙法界の曼荼羅(「全ては空」という覚りの世界から見れば現実世界のすべての事柄はお互いに独立しながら融通無碍である)にありては天皇も事であり、我等も事である。事事が無礙に交渉し得るには天皇も曼荼羅の外にあることは許されぬ。どうしてもその中に没入してこなくてはならぬ。曼荼羅 . . . 本文を読む
「昇沈の差別は心にありて、行にあらず」
「往生要集」に「問ふ。 凡夫は勤修するに堪へず。 なんぞ虚しく弘願を発さんや。
答ふ。 たとひ勤修に堪へずとも、なほすべからく悲願を発すべし。 その益、無量なり。 前後に明かすがごとし。 調達(提婆達多)は六万蔵の経を誦せしも、なほ那落を免れず。 慈童は一念の悲願を発して、たちまちに兜率に生るることを得たり(注)。 すなはち知りぬ。 昇沈の差別は心にあり . . . 本文を読む