乃木希典将軍は日露戦争のあと全国津々浦々に日露戦争の「忠魂碑」を建立されていますがこれは千葉県山武郡にある、乃木希典篆額、森鴎外撰の「日露戦役忠魂碑」です。鷗外は乃木将軍に私淑していたようですが共に忠魂碑を建立したのは初めてでしょう。
「陸軍大将正三位勲一等功一級男爵乃木希典篆額忠魂碑
明治三十七八年之役千葉県山武郡片貝村之民従軍于満州者一百五十有三人中、死傷者六人あり。而して三十九年王師凱旋 . . . 本文を読む
伝教大師最澄様は弘仁13年6月4日(822年6月26日)、比叡山中道院に入滅されています。本朝高僧傳に「(弘仁十三年六月四日の)翼四日右脇、中道院に寂す。春秋五十有六、夏座三十有七。叡峯に奇雲有り。湖津通俗相共に之を見る」とあります。
弘法大師様と同時に渡唐されていたり、高雄山で御大師様に灌頂を受けられていたり、弟子の泰範の問題、「理趣釈経」の借用の問題等、弘法大師様とは深い仏縁を感じさせられる . . . 本文を読む