今日は曽我 量深が没した日。以下ウキぺデア等に依ります。曽我 量深は 1971年(昭和46年)6月20日に96歳で遷化。真宗大谷派僧侶、大谷大学学長。『無量寿経』に説かれる法蔵菩薩と、唯識思想の阿頼耶識(第8識)とは本質的に同じと主張。「われわれは知らなくても 仏に願いをかけられ 望みをかけられておる」「相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である」「浄土は言葉の要らぬ世界である 人間の世界は言葉の必要 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 弘安四年(1281)六月二十日甲申条「二十日甲申・・・大宰府言 自去六日至十三日与蒙古合戦 殺賊千余人 因賊少退者」六月初旬の戦いでは、蒙古の東路軍は志賀島の戦いで大敗し壱岐島へと後退しています。 . . . 本文を読む
八幡愚童訓 / 弘安四年(1281)六月二十日条「二十日 宸筆御書ヲ山陵八所ニ献ジテ 異国降伏ヲ祈ラセラル 是日 亀山上皇 石清水八幡宮ニ御幸アラセラル」天皇は後宇多天皇でこの時14歳。実際は父の亀山上皇が「宸筆御書ヲ山陵八所ニ献ジ」られたといわれます。 . . . 本文を読む
今日は国宝「灌頂暦名」が国宝「後宇多法皇宸筆御施入状」とともに神護寺に奉納された日。(神護寺では、国宝「灌頂暦名(附:後宇多天皇宸翰施入状)」として大師の「灌頂暦名」とセットで記録されている。)以下「宸翰英華」等に依る。大師が唐より帰朝された後の弘仁3年(812)には高雄山寺において弘法大師が金胎両部灌頂を傳教大師等に授けられた。是を記録されているのが大師筆の「灌頂暦名」であるが、この灌頂暦名は仁 . . . 本文を読む
今日6月20日は鞍馬の竹切の日です。鞍馬寺は京都市左京区,鞍馬山中腹にあります、もと天台宗、今は単立。本尊毘沙門天。770年鑑真和尚の高弟鑑禎が山頂に毘沙門天をまつったのが始まりとされる。平安以後,王城の北方鎮護として貴船神社とともに朝野の信仰を集め,修験道の霊地として栄えた。源義経の修学修行の地としても伝説あり。「鞍馬の竹切」は法師20名が白袈裟で集まり本堂前で大蛇に見立てた大竹を、近江座・丹波 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の9/9
九、和州吉野郡尼公地蔵尊を造る事。
大和國吉野郡に往年の化他師あり。其の名を祥蓮坊と申しける。化他門を好て是を習ひ彼を宗としけるほどに行業尤も緩怠なりけり。齢七旬に及びければ覚ず音曲滞りけるほどに化他も空しくなりぬ。餘の事に重き病を受て終に空くなりぬ。其の後三年に及びけるに後室の尼公の夢に遥かなる山路に行く更に日の光もなし。忽ち日暮て夜三 . . . 本文を読む