三代実録 / 元慶四年(880)六月廿六日戊申条「廿六日戊申。七十五僧を延て、紫震殿に於いて 三日を限り大般若経を転読す 請雨也」(天皇は陽成天皇。藤原基経との確執や、奇矯なふるまいが多いとか言われる天皇ですが、このように民の為に請雨を行っているのは当時の天皇の心根の深さが推し量られます。紫震殿は内裏の正殿。天皇元服や立太子礼、譲国の儀、節会などの儀式が行われ、のちには即位礼の舞台ともなった。まさ . . . 本文を読む
明治16年1883、6月26日真盛(天台宗)に慈摂大師号を勅諡(「皇室 の 神 仏 分 離 と そ の 後 の 仏 教、辻岡健志」より)真盛は室町時代の僧。天台真盛宗の開祖。比叡山西塔・慶秀のもとで 20年あまり修行。天台の伝灯法師位。その後源信の旧跡,西教寺を再興して説戒念仏の道場とし大衆を教化した。また後土御門天皇に円頓戒を授け,足利義政らを指導。諡号は円戒国師(永正三年1605),慈摂大師( . . . 本文を読む
後花園天皇も室町時代の飢饉で足利義政を指導されています。第百二代後花園天皇は室町時代・応永二十六年(1419年)~文明二年(1470年)。北朝・崇光天皇の曾孫。長禄三年(1459年)旧暦8月に台風が直撃し、賀茂川が氾濫して多数の家屋が流出し、数え切れないほどの死者が出たほか、飢饉がより深刻化した寛正二年(1461年)には、大量の流民が市中に流れ込み事態はより悪化した。同年正月の京都にはすでに乞食が . . . 本文を読む
今日は東洋学の泰斗内藤湖南の命日です。
湖南は昭和九年1934六月二十六日67歳で没し京都東山の法然院に葬られています。
「弘法大師の文藝」や「慈雲尊者の学問について」を著すなど仏教にも相当造詣が深い方でした。当方も学生時代秋田出身の哲学者の先輩から学問の深さを教わりましたがその時初めて湖南の名前を聞きました。 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の6/16
六、夢想を蒙る
上総の守藤原時重當國を拝任せらる時、國の政を改め前代の慕虐の事悉く變じて仁厚を以て一國を愛し申されければ當國は云ふに及ばず隣國の民も此の民たらんことを慕ひ商賈も彼の國の市に立たまくぞ思ひける。政治三十年の間如是なれば人皆末世の奇特とぞ申し合へり。斯に本願ありて一萬部の法華經を讀誦せんと思ひ立ちけれども、事大営に及びければ聴宣を飛ばして助 . . . 本文を読む