史料綜覧 巻五 / 弘安元年(1278)六月十八日条「十八日 興福寺食堂ニ 薬師仏ヲ造立シテ 疾疫ヲ祈禳ス」此のころは疫病が流行り、そのため建治四年二月二十九日、弘安に改元しています。天皇は後宇多天皇。大覚寺統。中世日本最高の賢帝の一人で、対立する持明院統の花園天皇からも「末代の英主」と称えられた。後宇多天皇は深く仏教に帰依し、ご出家後は大覚寺に住み密教僧としてすごされた。金光明経を書写され、諸国 . . . 本文を読む
日本紀略 / 正暦二年(991)六月十八日乙酉条「十八日乙酉 室生龍穴に於いて 三箇日間 仁王経を転読す」天皇は一条天皇。室生龍穴神社は室生寺よりも古い歴史をもち、水の神「龍神」を祀る。奈良時代から平安時代にかけて朝廷からの勅使により雨乞いの神事が営まれ、室生寺は龍穴神社の神宮寺であった時代もある。 当社の上流には龍神が住むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」がある。 . . . 本文を読む
三代実録 / 仁和二年(886)六月十八日丙寅条「十八日丙寅 使者を九箇寺に分遣し大般若経を転読す 其供料 東大寺 元興寺 興福寺 薬師寺 延暦寺各新銭五貫文 西大寺 法華寺 大安寺各四貫文 法隆寺三貫文 毎寺に名香を供す 多少数あり 左右衛門府生・左右馬寮史生を以て使に充つ 是より先 天文博士従八位下中臣志斐連広守、奏言し 「近く天変を窺ふに 天皇の奉為に 不祥之気を見る」と。 是故に此の善を修 . . . 本文を読む
三代実録 / 仁和二年(886)六月十八日丙寅条「十八日丙寅 使者を九箇寺に分遣し大般若経を転読せしむ。 其の供料 東大寺 元興寺 興福寺 薬師寺 延暦寺に各新銭五貫文、 西大寺 法華寺 大安寺に各四貫文、 法隆寺三貫文 、毎寺に名香を供ふ、多少数あり。 左右衛門府生、左右馬寮史生を使に充つ 先れ是に 天文博士従八位下中臣志斐連広守奏して言く 『近く天変を窺ふに 天皇の奉為に 不祥之気を見る』と。 . . . 本文を読む
今日は小栗栖常暁に法琳寺が賜許された日です。高野春秋に「(承和七年)六月十八日、請益僧常暁,山科国宇治郡小栗栖法琳寺を賜ふ。太元師修法院の為なり。国史類従にいふ「常暁奏す、山科国宇治郡法琳寺は地勢閑燥、大法を修するに足る。今請求する所の太元師霊像を此のところに安置し以て修法院となさん。天之を許さんことを」是本朝太元師法修することの権興なり。」(続日本紀に「卷九承和七年(八四〇)六月丁未【三】》○丁 . . . 本文を読む
今日は400日の功徳日です。 6年ほど前に「『一人ひとりが地元に [ミニ地元神仏霊場]をつくり、身近な神社仏閣・祠・道祖神等をもれなくお参りするようにし、日本の[土地神]の力を復活させよ、それが日本各地を救い地元の人々を救う道だ』とお告げを頂いた気がしました。」と書きました。思い出すと、当方は昔公用旅券を地元で落としたことがありますが、地元駅に届いていたということがありました。またつい一か月ほど前 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の7/9
七、仁康法師示現に依り地蔵講式を行ふ事。(今昔物語巻十七僧仁康祈念地蔵遁疫癘難語 第十にあり)
天台山横川に慈恵大師の門人仁康坊と白すは今の祇陀林寺(京都中御門京極の東にあった天台宗の寺。 長保二年(1000)良源の弟子仁康創建と伝えられる)の住侶なり。後一条院の御宇治安三年(1023年)の比(ころ)天下に疫癘行はれて貴賤此の災に罹らざるはなし。戸々家々 . . . 本文を読む
天正十五年1587六月十八日「伴天連追放令」(秀吉が肉食を理由として追放令を出している)「伴天連門徒之儀ハ、其者之可為心次第事、国郡在所を御扶持に被遣候を、其知行中之寺庵百姓已下を心ざしも無之所、押而給人伴天連門徒可成由申、理不尽成候段曲事候事、其国郡知行之義、給人被下候事ハ当座之義ニ候、給人ハかはり候といへ共、百姓ハ不替ものニ候條、理不尽之義何かに付て於有之ハ、給人を曲事可被仰出候間、可成其意候 . . . 本文を読む