福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は善通寺の伽藍が落慶がした日

2024-06-15 | 法話
弘仁四年813六月十五日、善通寺の伽藍落慶。〈多度郡屏風浦善通寺記〉 . . . 本文を読む
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今日は真雅僧正が雨乞されて効験の出た日

2024-06-15 | 法話
今日は真雅僧正が雨乞されて効験の出た日高野春秋に「貞観十八年六月十五日。真雅僧正、神泉苑において法雩(ほうう・あまごい)す。翌日申時雨。」 . . . 本文を読む
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弘法大師和讃

2024-06-15 | 諸経
弘法大師和讃帰命頂礼遍照尊宝亀五年の水無月に 玉藻寄るちょう讃岐潟 屏風ヶ浦に誕生し(注1)御歳七つのその年に 衆生のために身を捨てて 五つの岳に立つ雲の立つる誓いぞ頼もしや(注2) ついにすなわち延暦の 末の年なる五月より藤原氏の賀能らと 唐船に乗り終えて 印を残す一本の松の光を世に広く 弘め給える宗旨をば 真言宗とぞ名付けたる真言宗の安心は 人皆すべて隔てなく 凡聖不二と定まれど(注3)煩悩ふ . . . 本文を読む
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今日は佛舎利を諸社に奉った日

2024-06-15 | 法話
扶桑略記・長暦二年(1038)六月十五日「佛舎利を諸社に奉遣す」 . . . 本文を読む
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今日は源信僧都が「横川首楞嚴院二十五三昧式」を造られた日

2024-06-15 | 諸経
「横川首楞嚴院二十五三昧式 源信撰」  「右念佛三昧。往生極樂の爲め今日より始め各の命終期に至る迄、毎月十五日を以て一夜不斷に共に念佛を修し、願くは此の一夜の白業之善根を積み、將に滿月清涼之覺蘂に攀んとす。仍ち其名を注し僉議すること件の如し。     定起請 一。毎月十五日夜を以て不斷念佛を修すべき事 右六節日(令義解雑に「凡正月一日。七日。十六日。三月三日。五月五日。七月七日 . . . 本文を読む
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今日は「国宝『後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)』」(醍醐寺蔵)が書かれた日

2024-06-15 | 法話
以下宸翰英華等に依ります。 「天長印信 両部大法師阿闍梨位毘盧遮那根本最極秘傳法密印 金剛界傳法灌頂密印事 摂一切如来大阿闍梨位印 定恵の手を以て肱を屈し上に向け合掌、肩と斉し。 各戒方忍願を屈し入掌、或は坐し或は立 皆成就 真言(略) 大悲胎蔵傳法灌頂密印 阿闍梨位大印 右手を以て左掌に置き二大指堅頭相柱 真言(略) 故和尚云義明供奉は両部大阿闍梨傳法を授くと雖も此 . . . 本文を読む
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六月十五日は後醍醐天皇が天長の印信を書写された日

2024-06-15 | 法話
六月十五日は後醍醐天皇が天長の印信を書写された日本来の『天長印信』とは、天長3年(826年)3月5日に弘法大師が高弟の真雅に授けたと伝わる印信のこと。醍醐寺座主かつ三宝院流正嫡のみが相伝できるものでした。南北朝時代に醍醐寺座主文観は報恩院流のため『天長印信』を相伝できなかったので、主君である後醍醐天皇に写しの製作を願い、醍醐寺の新たな至宝としたのが 国宝の醍醐寺蔵「後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)」 . . . 本文を読む
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地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の4/9

2024-06-15 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の4/9 四、専當法師蘇生の事、付けたり俱生神の事。(今昔物語巻十七養造地蔵仏師得活人語 第廿五及び宇治拾遺物語 三の十三 因幡国の別当地蔵造り差す事にあり) 因幡國高草郡野坂郷に古き寺あり、國隆寺と号す。因幡の前司介親が建立の寺なり。後に寺の別當、坊を去て寺に栖て佛師を請して本尊を作らしむ。爰に別當の」妻竊に他の男の為に勾引せられて跡を削り隠し了る。別當心神迷い . . . 本文を読む
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大師のご生誕

2024-06-15 | お大師様のお言葉
大師のご生誕についての記述(高野大師御廣伝)「贈大僧正法印大和尚位。諱空海。灌頂號曰遍照金剛。平生職位大僧都傳燈大法師位。謚號弘法大師。讃岐國多度屛風浦の人也。俗性佐伯直。源出天尊なり。少時の御名は眞魚。その父は田公という。・・昔倭武命、毛人を征するに随ひ、功勲世を蓋ひ讃岐國に土地を賜ふ。因って家の子孫相次いで県令と為る。母は阿刀氏也。父母は、聖人天竺より飛来して我等の懐に入ると夢み、乃ち妊胎し、 . . . 本文を読む
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今日はお大師様の御生誕の日でもあり、生まれ変わりとされる不空三蔵の入滅された日でもあります

2024-06-15 | お大師様のお言葉
不空金剛は、705(唐・中宗・神龍元)年生まれで、774(代宗・大暦9)年の6月15日に大興善寺に入滅されています。「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖。以下、大師の「秘密曼荼羅教付法伝」と「密教辞典」をあわせて書いておきます。「北インドのバラモン出身の父と康居人の母との間に西域で生まれ、長じて長安に入り金剛智に会い門下に投じる。20歳ごろ有部律により師金剛智より具足戒を授かり、以後 . . . 本文を読む
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