福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仁王護國般若波羅蜜多經・・4

2022-03-04 | 諸経

仁王護國般若波羅蜜多經・菩薩行品第三(十地行の次第を説く)
爾時、波斯匿王佛に白して言さく、「世尊、十地行を護する菩薩摩訶薩は應に云何が修行し、云何が衆生を化せん。復た何の相を以てか而も觀察に住すべきや」。
佛、大王に告げたまはく、「諸菩薩摩訶薩は五忍法(伏、信、順、無生、寂滅)に依って以って修行をなすべし。所謂伏忍・信忍・順忍・無生忍、皆上中下あり。
寂滅忍において而も上下あり。名て菩薩の般若波羅蜜多を修行す、となす。善男子よ、初の伏忍位は習種性(空觀を修ししかもこれを破る。六種性に一、習種性(十住)二、性種性(十行)三、道種性(十廻向)四、聖種性 (十地)五、等覚性(等覚)六、妙覚性(妙覚))を起こし十住行を修す。初發心の相に恒河沙衆生ありて、佛法僧を見て十信を発す。所謂、信心・念心・精進心・慧心・定心・不退心・戒心・願心・護法心・迴向心なり。此十心を具して而も能く少分の諸衆生を化す。二乘と一切善地を超過す。是を菩薩の初の長養心となす。聖胎となるが故なり。
復次に性種性の菩薩(習種性の次の位。六種性とは一、習種性(十住)二、性種性(十行)三、道種性(十廻向)四、聖種性 (十地)五、等覚性(等覚)六、妙覚性(妙覚))は、十種波羅蜜多(六波羅蜜に、方便・願・力・智の四波羅蜜を加えたもの)を修行し、十對治を起こす。所謂身受・心法は不淨・諸苦・無常・無我なりと観察して、貪瞋癡の三不善根を治し、施・慈・慧の三種善根を起こし、三世を觀察す。過去の因忍・現在の因果忍・未來の果忍となり。此の位の菩薩は廣く衆生を利して我見・人見・衆生等の想を超過す。外道の倒想は壞すること不能の所なり。
復次に、道種性の菩薩は十回向を修し十忍の心を起こす。謂く、五蘊の色受想行識を観じて、戒忍・定忍・慧忍・解脱忍・解脱知見忍を得、三界の因果を観じて空忍・無想忍・無願忍を得る。二諦の假實を観じて諸法無常なれば無常忍を得、一切法空なれば無生忍を得る。此の位の菩薩は轉輪王となりて能く廣く一切衆生を化利す。
復次に信忍菩薩とは、謂く歡喜地離垢地發光地なり。能く三障色煩惱縛を断じ、四攝法を行ず。布施・愛語・利行・同事なり。四無量を修す、慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心なり。四弘願を具し、諸纒蓋を断じて常に衆生を化して佛知見を修し、無上覺を成じ、三脱門に住す。空解脱門・無相解脱門・無願解脱門なり。此是の菩薩摩訶薩は初發心より一切智に至るまで諸行の根本なり。一切衆生を利益安樂す。
復次に順忍菩薩(五忍法とは伏忍、信忍、順忍、無生忍、寂滅忍)とは、謂く焔慧地・難勝地・現前地なり。能く三障心の煩惱縛を断ず。能く一身において遍く十方億佛刹土に往き、不可説の神通變化を現じ衆生を利樂す。
復次に無生忍菩薩とは、謂く遠行地・不動地・善慧地なり。能く三障色心の習氣を断じ、而も能く不可説身を示現し、隨類の一切衆生を饒益す。
復次に寂滅忍とは、佛・菩薩同じく此の忍により金剛喩定(長い修行の最後まで残った微細な煩悩を断じて次の瞬間に仏陀になる禅定)にして下忍位に住す。名て菩薩となす。上忍に到るを一切智と名く。
勝義諦を觀じ、無明相を斷ず、是を等覺と為す。一相無相平等無二なり。第十一一切智地と為す。非有・非無、湛然清淨として無來・無去・常住不變。眞際に同じく、法性に等し。無縁の大悲、常に衆生を化し、一切智に乗じ来って三界を化す。善男子よ、諸衆生の類、一切の煩惱・業・異熟果、二十二根は三界を出ず。諸佛の應化法身を示導したまうも亦た此れに離れず。若し説いて三界の外に於いて別に更に一衆生界ありと言う者あらば、即ち是れ外道の大有經の説なり。大王よ、我れ常に諸衆生に語る。但だ三界の無明を断じ盡せる者は即ち名けて佛と為す。自性清淨なるを名て本覺性となす。即ち是れ諸佛の一切智智なり。此によりて衆生の本となすことを得。亦た是れ諸佛菩薩の行の本なり。是を菩薩の本、修行するところの五忍法中の十四忍(住、行、廻向、歡喜、離垢、發光、焰慧、難勝、現前、遠行、不動、善慧、法雲、正覺忍)と為す也。
佛言はく、「大王よ、汝先に問うて言く、『菩薩云何が衆生を化せむ』とは、菩薩摩訶薩は應に如是に化すべし。初の一地より後の一地に至る。自所行の處と及び佛行處なり。一切知見の故に。若し菩薩摩訶薩、百の佛刹に住して、贍部洲轉輪聖王となり、百法明門を修し、檀波羅蜜多を以て平等心に住し、四天下一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、千佛刹に住し、忉利天王となりて、千法明門を修し、十善道を説いて一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、萬佛刹に住し、夜摩天王となりて、萬法明門を修し、四禪定によって一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、億佛刹に住し、覩史多天王となりて、億法明門を修し、菩提分法を行じ、一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、百億佛刹に住し、化樂天王となりて、百億法明門を修し、二諦四諦をもて一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、千億佛刹に住し、他化自在天王となりて、千億法明門を修し、十二因縁智を以て一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、萬億佛刹に住し、初禪梵王となりて、萬億法明門を修し、方便善巧智を以て一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、百萬微塵數佛刹に住し、二禪梵王となりて、百萬微塵數法明門を修し、雙照平等にして神通願智により一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、百萬億阿僧祇微塵數佛刹に住し、三禪梵王となり、百萬億阿僧祇微塵數法明門を修し、四無礙智を以て一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、不可説不可説の佛刹に住し、第四禪大梵天王となりて、三界の主となり、不可説不可説法明門を修し、理盡三昧を得て、佛行處に同じ、三界の源を尽くして衆生を普利すること佛境界の如し。是を菩薩摩訶薩、諸王身を現ずる化導之事となす。十方如來亦復た如是なり。無上覺を証して
常に法界に遍じて衆生利樂す。
爾時、一切大衆は即ち座より起ち、不可説の花を散じ、不可説の香を焚き、如來を供養恭敬稱讃す。時に波斯匿王は即ち佛前において偈を以て讃じて曰く
世尊導師は金剛の体なり、心行寂滅にして法輪を転じ、
八弁の洪音をもって、衆のために説き給う、時に衆の道を得たもの百億萬なり。
天・人ともに出離の行を修し、能く一切菩薩道を習う。
五忍(伏忍・信忍・順忍・無生忍・寂滅忍)の功徳は妙法門にして、十四菩薩は能く諦了したまう
                  
三賢十聖(菩薩の修行階位のうち、聖位である十地(十聖)と、それ以前の十住・十行・十回向(三賢)のこと)は忍中行にして、惟だ仏一人のみ能く源を尽くしたまふ
佛法衆海は三寶の藏にして 無量の功徳その中に攝在す
十善の菩薩は大心をおこして  長く三界苦輪海を別れる
中下品の善は粟散王となり 上品の十善は鐵輪王となる
習種性のひとは銅輪王として二天下に王となり
銀輪は三天にして性種性なり
道種性の堅徳は轉輪王となり 七寶の金輪は四天下なり。
伏忍(五忍(伏忍・信忍・順忍・無生忍・寂滅忍)の最初が伏忍)の聖胎は三十人 即ち十住と十行と十廻向となり
三世の諸佛は中において行じ 此の伏忍によって生ぜざるなし
これ一切の菩薩行の本原なり 是故に發心信心を難しとなす
若し信心を得れば必ず不退なり 進んで無生の初地道に至る
自他を利化して悉く平等なり 是を名けて菩薩初發心とす
歓喜菩薩はこれ転輪王なり、はじめて二諦平等の道を照す
權に衆生を教化して百國に遊び 檀施清浄にして群生を利す
理の般若に入るを名ずけて住となし 住して徳行を生ずるを地と為す
初住の一心に徳行を具足すれば 勝義の中において而も不動なり
離垢の菩薩は忉利王なり、 形を六道の千國土に現じ
無縁無相にして真実性なり、 無体・無生・無二照なり
発光の菩薩は夜摩王なり、 形に応じて万諸の仏刹に往き
善能く三摩地に通達して、穏健自在にして三明を具す。
歡喜と離垢と發光と(十地の一者歡喜地、二者離垢地、三者發光地、四者燄慧地、五者難勝地、六者現前地、七者遠行地、八者不動地、九者善慧地、十者法雲地)能く色縛諸煩惱を滅して
具に一切身口業を観じ 法性清淨に照して皆圓なり
焔慧の菩薩は大精進なり 覩史天王億刹に遊ぶ
實智の寂滅と方便智と無生の理に達して空有を照らす
(十地の下から5番目)難勝の菩薩は平等を得る 化樂天王として百億國なり
空空諦觀して無二相なり 形を六趣に垂れて周かざることなし
( 十地の下から六番目)現前の菩薩は自在王なり、縁生相無二と照見し
勝義の智光は能く遍滿し 千億土に往きて衆生を化す
焔慧・難勝・現前地(十地の上位から法雲・善慧・不動・遠行・現前・難勝・焔慧・発光・離垢・歓喜地)
とは 能く三障(煩悩障、業障、報障)迷心惑を断じ、
空慧(空の道理をさとる智慧)は寂然として縁觀無く 還って心空無量境を照らす
十地の上から四番目の) 遠行の菩薩は初禪王なり 無相・無生忍に住す
方便善巧悉く平等なり 常に萬億土にして群生を化す
(十地の上から三番目の) 不動法流地に進入して永く分段なくして諸有を超ゆ
常に勝義を観じて照すこと無二なり 二十一生の空寂行
順道法愛(法に対する執着)無明習 遠行の大士獨り能く斷ず
十地の上から三番目の)不動の菩薩は二禪(欲界を離れた色界での4種の段階・四禅(初禅・第二禅・第三禅・第四禅)の下から二番目)の王なり
變易身(阿羅漢や菩薩の生死)を得て常に自在なり
能く百萬微塵刹において 其形類に随って衆生を化す
悉く三世無量劫を知り 第一義に於いて不動なり
十地の上から二番目)善慧の菩薩は三禪王なり 能く千恒に於いて一時に現ず
常に無爲空寂行にありて 恒沙の佛藏一念に了ず
十地の一番上)法雲の菩薩は四禪王なり 億恒土において群生を化す
始めて金剛に入りて一切了なり 二十九生永く已に度す(初果の須陀洹果を得たものは、人間界に七生、天上界に七生、またそれぞれ生の終りから次の生を得るまでの中有の十四生、合せて二十八生を経れば、さらに二十九回目の生をうけず、完全な涅槃に入ることができるとされる。
寂滅の忍中下忍觀なり 一轉すれば妙覺無等等なり
(十地の上位から法雲・善慧・不動・遠行・現前・難勝・焔慧・発光・離垢・歓喜地のうち)不動・善慧・法雲地とは 前の所有の無明習を除き
無明の習相は識ともに轉ず 二諦理は圓かにして盡きることなし
正覺は無相にして法界に遍ず 三十生(十地の菩薩は猶三十生を受けるがその上の妙覚の位では生を盡きるという・仁王護國般若經疏)盡きて智圓明なり
寂照無爲眞解脱、大悲應現して與に等しきものなし(仏の大悲利他願力に由りて大小種種類身を応現す。)
湛然不動にして常に安隱なり 光明遍照して無所照なり
三賢十聖は果報に住し 唯佛一人、淨土に居したまう
一切有情は皆な暫住なり 金剛原に登りて常に不動なり
如來の三業は徳無量なり 諸衆生に随って等しく
憐憫す

法王は無上人中の樹なり 普く大衆を蔽いて無量光なり
口に常に説法して無義にあらず 心智寂滅して無縁の照なり
人中の師子爲に演説したまう 甚深句義未曾有なり
塵沙の刹土は悉く震動し 大衆は歡喜して皆な益を蒙る
世尊は善く十四王を説きたまう 是故に我今頭面をもて禮したてまつる(仁王般若經疏に十四王とは「一、粟散王十善下品。二、習種菩薩銅輪王。三、性種菩薩銀輪王。四、道種菩薩金輪王亦名轉輪王。五、初地菩薩四天王。六、二地菩薩忉利天王。七、三地菩薩焔魔天王。八、四地菩薩兜率天王。九、五地菩薩化樂天王。十、六地菩薩他化自在天王。十一、七地菩薩初禪王。十二、八地菩薩二禪王。十三、九地菩薩三禪王。十四、十地菩薩四禪王。」)
爾時、百萬億恒河沙の大衆は佛・世尊及び波斯
匿王の十四忍無量功徳を説きたまうを聞きて、大法利を獲て悟解し、無生忍(一切のものが不生不滅であると覚ること)を得て正位に入る
爾時、世尊は大衆に告げて言はく、「是の波斯匿王は、已に過去十千劫、龍光王佛法中において、四地の菩薩たり。我れは八地の菩薩なり。今我前において大に師子吼す。如是如是に汝が所説の如し。眞實義を得ること不可思義なり。唯だ佛と佛とのみ乃ち斯の事を知りたまう。
善男子よ、此の十四忍は、諸佛の法身、諸菩薩の行なり。不可思議不可稱量なり。何以っての故に。一切諸佛は皆な般若波羅蜜多中において生じ、般若波羅蜜多中に化し、般若波羅蜜多中に滅す。而も實に諸佛は生に所生なく、化に所化なく、滅に所滅なし。第一無二なり。非相・非無相なり。無自・無他・無來・無去なり。虚空の如くなるが故なり。善男子よ、一切衆生は性・生滅なし。諸法集なるがゆえに。幻と化にして而も有り。蘊處界相は無合・無散なり。法は法性に同じ。寂然として空なるが故なり。一切衆生は自性清淨なり。
所作の諸行は無縛無解なり。非因・非果・非不因果なり。諸苦受行・煩惱所知・我相・人相・知見・受者は一切空なるが故に。法の境界は空なり。空は無相・無作なれば、不順顛倒・不順幻化なり。六趣(六道)相無く、四生(胎生・卵生・湿生・化生)相無く、聖人相無く、三寶相無し。虚空の如くなるが故に。
善男子よ、甚深般若は無知・無見・不行・不縁・不捨・不受なり。正しく觀察に住して照相無し。斯の道を行ずる者は虚空の如くなるが故に。法相如是なり。有所得の心、無所得の心、皆不可得なり。是を以って般若は非即五蘊・非離五蘊・非即衆生・非離衆生・非即境界・非離境界・非即行解・非離行解なり。如是等の相は不可思量なり。是故に一切の菩薩摩訶薩の所修の諸行は未だ究竟に至らずして中において行じ、一切諸佛は如幻化を知り、無住相を得て而も中において化す。故に十四忍は不可思量なり。
善男子よ、汝が今所説の此の功徳藏は一切衆生を大利益す。假使ひ無量恒河沙數の十地菩薩、是の功徳を説くとも百千億分にして海の一滴の如し。三世諸佛は如實に能く知る。一切の賢聖も悉く皆な稱讃す。是故に我今所説の少分の功徳を略述す。
善男子よ、此の十四忍は、十方世界過去現在の一切
菩薩の修行する所、一切諸佛の顯示する所なり。未來の諸佛菩薩摩訶薩亦復た如是なり。若し佛菩薩、此門に由らずして、一切智を得るといはば是のことわりあることなし。何以故に、諸佛菩薩、異路無きが故なり。善男子よ、若し人、此の住忍・行忍・廻向忍・歡喜忍・難垢忍・發光忍・焔慧忍・難勝忍・現前忍・遠行忍・不動忍・善慧忍・法雲忍・正覺忍を聞きて能く一念清淨信を起こす者は是人、百劫・千劫・無量無邊恒河沙劫の一切苦難を超過して惡趣に生ぜず。久しからずして當に阿耨多羅三藐三菩提を得。是時、十億同名の虚
空藏菩薩摩訶薩と與無量無數の諸來大衆は歡喜踊躍して佛の威神を承けて、普く十方恒沙の諸佛、各道場において十四忍を説くを見るに、我が世尊の所説の如く異くことなし。各各歡喜し如説に般若波羅蜜多を修行す。
爾時、世尊、波斯匿王につげたまわく、「汝先問うて云く『復た何の相を以て而も觀察に住すや』と。菩薩摩訶薩は應に如是に觀ずべし。幻化身を以て而も幻化を見る。正住平等にして彼我あることなし。如是に觀察し衆生を化利す。然るに諸有情は久遠劫において初刹那の識、木石に異なり、生得の染淨、各の自ら能く無量無數の染淨の識本となる。初刹那より不可説の劫、乃至金剛の終の一刹那まで、不可説不可説の識ありて、諸有情の色心二法を生ず。色を色蘊と名け、心を四蘊と名く。皆な積聚の性なり。眞實を隱覆す。大王よ、
此の一の色法、無量色を生ず。眼得を色と為し、耳得を聲と為し、鼻得を香と為し、舌得を味と為し、身得を觸と為す。堅持を地と名け、津潤を水と名け、煖性を火と名け、輕動を風と名け、五識を生ずる所を五色根と名く。
如是に展轉して一色一心、不可説の無量色心を生ず。皆幻の如くなるが故に。善男子よ、有情の受は世俗に依って立す。若しは有、若しは無。但だ有情の妄想憶念より生ず。業を作り果を受くるを皆な世諦と名く。
三界六趣の一切有情、婆羅門・刹帝利(クシャトリヤ)・毘舍(バイシャ)・首陀(シュードラ)・我人・知見・色法・心法は夢の所見の如し。善男子よ、一切諸名は皆な假に施設す。佛未だ出でたまはざりし前は世諦の幻法は無明・無義亦た無體相なり。三界名なく、善惡果報無く、六趣名字無し。諸佛出現して有情の為の故に三界六趣の染淨・無量名字を説きたまう。如是に一切は呼聲の響の如し。諸法相續して念念不住なり。刹那刹那、一に非ず異に非ず。速起し速滅す。非斷非常なり。諸有爲法は陽焔の如くなるが故に。諸法相待す。所謂る色界・眼界・眼識界乃至法界・意界・意識界なり。猶電光の如く定相待(常住不変の相)に非ず。有無・一異は第二の月の如し。諸法は縁成なり。蘊處界の法は水上泡の如し。諸法は因成なり。一切有情に倶
時の因果・異時の因果あり。三世の善惡は空中雲の如し。善男子よ、菩薩摩訶薩は無分別に住して、彼此相無く、自他相無し。常に化利を行じて化利相無し。是故に應に知るべし、愚夫の垢識は虚妄に染著して相の為に縛せらる。菩薩の照見は、幻士の如く、體相あることなく、但だ空花の如しと知る。是を菩薩摩訶薩の自他を利する如實觀察に住すとなす。是の法を説く時、會中の無量の人・天・大衆は、伏忍・空無生忍・一地・二地乃至十地を得、無量菩薩、一生補處を得ることあり。




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