一 このすでに実在する行為主体は、すでに実在する行為をなさない。未だ実在していない行為主体もまた、未だ実在していない行為をなそうとは思わない。
二 すでに実在するものにははたらき(作用)が存在しない。
そうして行為は行為主体を有しないものとなるであろう。すでに実在する行為にははたらきが存在しない。そうして行為主体は行為を有しないものとなろう。
三 もしも、未だ実在しない行為主体がまだ実在していない行為をなすのであるならば、行為(業)は原因を有しないものとなるであろう。そうして行為主体も原因をもたぬものとなるであろう。
四 原因(例えば泥土)が存在しないから、結果も存在しないし、また能動因(たとえば輪など)も存在しない。それ(原因と結果)が存在しないから、はたらきも行為主体も、また能動因も存在しない。
五 はたらき等が存在しないから、法にかなった行ないも、非法の行いも存在しない。法にかなった行ないも存在しないし、非法の行ないも存在しないから、それから生ずる報いも存在しない。
六 果報が存在しないから、解脱に至る道も天界に至る道も成立しない。そうして一切の行為は無意味となってしまう。
七 すでに有であってまた無であるところの行為主体は、有にして無であるところの行為をなすことがない。何となれば、互いに矛盾している有と無とがどうして一つのものでありえようか。
八 有である行為主体によっては無はつくられない。また無である行動主体によっては有はつくられない。何となれば、汝はその説においては一切の誤謬が付随して起こるからである。
九 すでに実在する行為主体は、未だ実在しない行為をなすことがない。またすでに実在し、かつ未だ実在しない行為をなすこともない。それは、すでに述べたもろもろの理由(第八章・第二詩など)による。
一〇 未だ実在しない行為主体もまた、すでに実在する行為をなすこともない。またすでに実在し、かつ未だ実在しない行為をなすこともない。それはすでに述べたもろもろの理由(第八章・第七詩など)による。
一一 すでに実在し、かつ未だ実在しない行為主体は、有である行為をなすことはない。また無である行為をなすこともない。ところでそのことは、すでに述べたもろもろの理由(第八章・第七詩など)によって知るべきである。
一二 行為によって行為主体がある。またその行為主体によって行為がはたらく。その他の成立の原因をわれわれは見ない。
一三 このように(実在する)行為と行為主体とを排斥することによって執着(取)のことをも知るべきである。行為と行為主体とを考察したことによって、そのほかのことがらをも考えるべきである。
二 すでに実在するものにははたらき(作用)が存在しない。
そうして行為は行為主体を有しないものとなるであろう。すでに実在する行為にははたらきが存在しない。そうして行為主体は行為を有しないものとなろう。
三 もしも、未だ実在しない行為主体がまだ実在していない行為をなすのであるならば、行為(業)は原因を有しないものとなるであろう。そうして行為主体も原因をもたぬものとなるであろう。
四 原因(例えば泥土)が存在しないから、結果も存在しないし、また能動因(たとえば輪など)も存在しない。それ(原因と結果)が存在しないから、はたらきも行為主体も、また能動因も存在しない。
五 はたらき等が存在しないから、法にかなった行ないも、非法の行いも存在しない。法にかなった行ないも存在しないし、非法の行ないも存在しないから、それから生ずる報いも存在しない。
六 果報が存在しないから、解脱に至る道も天界に至る道も成立しない。そうして一切の行為は無意味となってしまう。
七 すでに有であってまた無であるところの行為主体は、有にして無であるところの行為をなすことがない。何となれば、互いに矛盾している有と無とがどうして一つのものでありえようか。
八 有である行為主体によっては無はつくられない。また無である行動主体によっては有はつくられない。何となれば、汝はその説においては一切の誤謬が付随して起こるからである。
九 すでに実在する行為主体は、未だ実在しない行為をなすことがない。またすでに実在し、かつ未だ実在しない行為をなすこともない。それは、すでに述べたもろもろの理由(第八章・第二詩など)による。
一〇 未だ実在しない行為主体もまた、すでに実在する行為をなすこともない。またすでに実在し、かつ未だ実在しない行為をなすこともない。それはすでに述べたもろもろの理由(第八章・第七詩など)による。
一一 すでに実在し、かつ未だ実在しない行為主体は、有である行為をなすことはない。また無である行為をなすこともない。ところでそのことは、すでに述べたもろもろの理由(第八章・第七詩など)によって知るべきである。
一二 行為によって行為主体がある。またその行為主体によって行為がはたらく。その他の成立の原因をわれわれは見ない。
一三 このように(実在する)行為と行為主体とを排斥することによって執着(取)のことをも知るべきである。行為と行為主体とを考察したことによって、そのほかのことがらをも考えるべきである。