一 見るはたらき・聞くはたらきなど、また感受作用(受)などはあるもの(主体)に所属しており【主体または霊魂】はこれらの視覚聴覚などのはたらきよりも先に存在している、とある人は主張する。
二 【何となれば】どうして存在しないものに実に<見るはたらき>などがあるであろうか。それ故に、それらのはたらきより先に、かのものが存在するはずである、と。
三 見るはたらき・聞くはたらきなどよりも、また感受作用などよりも、先に存在しているそのものは何によって知られるのであろうか。
四 もしも<見るはたらき>などが無くても、かの定住せる者が存在しているのであるならば、その定住せる者がいなくても、かの<見るはたらき>などが存在するであろうことは、疑いない。
五 或る物によって或る者が表示され、或る者によって或る物が表示される。或る物がないのに、どうして或る者があろうか。或る者がいないのに、どうして或る物があるだろうか。
六 一切の見るはたらき等よりも先にある何物も存在しない。
また見るはたらき等の互いに異なることによって時を異にし表される。
七 もし一切の見るはたらき等よりも先なるものが存在しないならば、どうして見るはたらき等の一つ一つよりも先なるものが存在しようか。
八 もしもかれがすなわち見る主体であり、聞く主体であり、感受する主体であって、一つ一つの【はたらき】より以前に存在するというのであるならば、しからば、このようなことは理に合わない。
九 またもしも、見る主体と聞く主体と感受する主体とが、それぞれに異なったものであるならば、見る主体があるときに【別の】聞く主体があるということになるであろう。そうだとするとアートマン(主体)は多数あるということになってしまうだろう。
十、もしもまた<見るはたらき><聞くはたらき>など、および感受作用などが諸元素から生じてくるのだと【若干の論者たちが】主張するとしても、それらの諸元素のうちにも、【アートマンは】存在しない。
十一、 もしもそれらの<見るはたらき><聞くはたらき>など、および感受作用などがそのもの(アートマン)にとって存在しないのであるならば、そのもの(アートマン)は存在しない。
十二、 しかも<見るはたらき>などより以前にある者は、現在にも、また未来にも存在しない。<有る>とか<無い>とかいう設定は、ここにおいては休止している。
二 【何となれば】どうして存在しないものに実に<見るはたらき>などがあるであろうか。それ故に、それらのはたらきより先に、かのものが存在するはずである、と。
三 見るはたらき・聞くはたらきなどよりも、また感受作用などよりも、先に存在しているそのものは何によって知られるのであろうか。
四 もしも<見るはたらき>などが無くても、かの定住せる者が存在しているのであるならば、その定住せる者がいなくても、かの<見るはたらき>などが存在するであろうことは、疑いない。
五 或る物によって或る者が表示され、或る者によって或る物が表示される。或る物がないのに、どうして或る者があろうか。或る者がいないのに、どうして或る物があるだろうか。
六 一切の見るはたらき等よりも先にある何物も存在しない。
また見るはたらき等の互いに異なることによって時を異にし表される。
七 もし一切の見るはたらき等よりも先なるものが存在しないならば、どうして見るはたらき等の一つ一つよりも先なるものが存在しようか。
八 もしもかれがすなわち見る主体であり、聞く主体であり、感受する主体であって、一つ一つの【はたらき】より以前に存在するというのであるならば、しからば、このようなことは理に合わない。
九 またもしも、見る主体と聞く主体と感受する主体とが、それぞれに異なったものであるならば、見る主体があるときに【別の】聞く主体があるということになるであろう。そうだとするとアートマン(主体)は多数あるということになってしまうだろう。
十、もしもまた<見るはたらき><聞くはたらき>など、および感受作用などが諸元素から生じてくるのだと【若干の論者たちが】主張するとしても、それらの諸元素のうちにも、【アートマンは】存在しない。
十一、 もしもそれらの<見るはたらき><聞くはたらき>など、および感受作用などがそのもの(アートマン)にとって存在しないのであるならば、そのもの(アートマン)は存在しない。
十二、 しかも<見るはたらき>などより以前にある者は、現在にも、また未来にも存在しない。<有る>とか<無い>とかいう設定は、ここにおいては休止している。