福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

浅田選手の演技に感ずるところありました

2014-02-21 | 法話
今回ソチのスケートで浅田選手が前日の転倒によるダメージから回復して完璧な演技をして世界中を感動の渦に巻き込みました。ほとんどの人が涙を流したのではないでしょうか。今回の試合で浅田選手は他の成績上位者のだれよりもフィギイヤスケートの歴史に残る選手となったのではないかと思いました。
「史記 南越伝」に「禍によりて福となす、成敗の転ずること、譬ば糾える纆のごとし」という一文があります。我々の人生でも悪い時の後にはいいことが待っていて、いいことで有頂天になっていると悪いことが起こるということはいつも経験していることです。

最近、この意味が分かってきました。自分の経験からですが、自分も60余年の人生で吉凶禍福を繰り返してきましたが、振り返るといいことが起こった後に悪いことが起こったのは、神仏や恩人に対する恩返しを十分にしてなかったためであることに気が付きました。人間苦しい時の神頼みと云いますが、苦しい時、願い事がある時は必至で藁をもつかむ思いで祈ったりして、同時につましい気持ちになり、派手な生活は控えます。しかし一旦望みがかなうとともすれば自分の力で幸運をつかみ取ったかのごとき錯覚に陥り、神仏への報恩、恩人への報恩をおろそかにしがちです。瞬間的にお礼はしてもすぐに苦しかった時の緊張感を過去のものとして自堕落な生活に浸りたがります。そうすると必ずしばらくして次に試練がやってくることになるのです。俗人の人生はこの繰り返しです。我々誰もにご先祖がつていてくれています。このことを本当に毎日深く感じてご先祖に喜んでもらえるような日々をいかに継続して送れるかどうかが我々の今後の人生の禍福を決めるのではないかと思うこのごろです。
修証義には「今の見仏聞法は仏祖面面の行持より来れる慈恩なり、仏祖若し単伝せずば、奈何にしてか今日に至らん、(今日仏法を聞くことができるのは歴代のみ仏さまお祖師さま方が、 身を以って行じ心を以って伝え給うことによって可能となっていることであるから、)
一句の恩尚お報謝すべし、一法の恩尚お報謝すべし、(一句一法の教えの恩をも報謝すべきである)
況や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや、(いわんや宇宙がすべてひとつであることを教えていただいた御恩は何よりもありがたいものでありなんとしてもその御恩に報いなければならない)」とあります。
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