・二者時赦ノ不同ヲ鑒(かん)ス
根機は一順ナラ不。時教ハ各―不同ナリ。差別ハ輪廻ノ業、一に入レハ解脱ヲ得、今略シテ三、五ヲ示メシテ諸師ノ異解ヲ鑒(かん)ス。
一ニハ南天ノ祖師、仏法ヲ分テニト為ス。謂ク教内教外是ナリ。即ち如来ノ正法、口二望ルヲ教卜為シ、心二望ルヲ禅ト名ク。
二には南方ノ慧観師、一代聖教ヲ分ッテ五時となす。
三には光宅寺ノ雲法師、四教ヲ立テ聖教ヲ判ス。
四には斉朝ノ曇鸞法師、二教ヲ立テ仏教ヲ摂ス。
是の如ノ三師は本大聖文殊ノ門人、無相円宗ノ人、法華経ノ学者ナリ。然二赦ヲ判スルコト各々異ナリト雖モ、正に是二蔵赦、三法輪、此レ等ノ教相は大に好シ。
・三者法ノ縁起ヲ叙ス
萬法は本卜物無シ エ巧は形相ヲ造ス 縁二随ヒテ真俗二有り
還テ本一乗二帰ス 大海に本浪無シ 風動二依テ浪ヲ起ス
本、吹風ノ縁無レハ 劫ヲ歴テ水に浪無シ 五色ハ縁二随テ現ス
水に是の如ノ色無シ 萬像は縁二随テ起り諸像は縁二随テ滅ス
屋舎ハ匠二依テ立ス 巧匠無レハ舎無シ 一乗ハ巧縁ニ従ッテ真俗ノ諸法ヲ現ズ。
法二善悪ノ相無シ 縁二随テ善悪起り
今、智ノ匠縁二随テ ー乗ノ屋舎立ス
・四者三性ノ義ヲ談ス
一乗に三性ヲ分ツ 根二随ヒテ見不同ナリ
迷人八二性ヲ見、覚者ハ円成ヲ見ル
流転六道ノ苦は 即ち偏計ノ性二因ル
偏計に真実無シ 皆虚妄ノ見二依ル ーノ大海水二於テ
而モ浪ノ大小ヲ見テ 温水ノ体ヲ知らズ ー向に波浪ヲ見ル
ーノ仏性の理二於テ 而モ煩悩ノ事ヲ見テ自ら生死ノ苦ヲ受テ
皆偏計ノ縄二縛セラル ーノー乗ノ法二於テ縁二依テ生死ヲ見テ
生死は涅槃に及ヒ ニ見各々不同ナリ ーノ大海水二於テ
風二依テ起浪ヲ見テ ーノ湿性体二於テ 水波ノニ見ヲ成ス
生死ノ苦ヲ厭捨シテ 菩提ノ道ヲ得ンコトヲ求テ ー乗に二相ヲ見ル
皆是れ依他ノ性ナリ 清濁動静ノ相 悉く是れ一水ノ相ナリ
水二本是ノ相無シ 水二依テ諸相有り 此ノ相は水上二起り
是の相は水上二滅ス波生スレトモ水増セズ 波滅スレトモ水滅セズ
起滅は悉く是レ水なり 動寂は湿ヲ出でズ 生死は菩提ノ道なり
悉く是れ一乗ノ性ナリ 萬法二生滅ヲ見ル 皆是れ普賢門ナリ
諸法は本ヨリ寂滅にして 即ち是れ圓成ノ性ナリ
・五者無相ノ理ヲ義ス
相ハ即ち随縁ノ相なり 相ハ自性ノ相二非ス 是ノ故に理ハ無相ナリ
事二随ヒテ諸相ヲ成ス 有相は即ち無相なり 無相ノ外に相無し
波浪ヲ有相卜名ケ 水性ヲ無相卜為ス 煩悩は即ち菩提なり
菩提二煩悩無シ 性外二煩悩無シ 性上二煩悩ヲ起ス
心外に生死無シ 心上に生死ヲ見ル 仏界ハ衆生に及ヒ
大海は諸山に及ぶ 皆差別ノ法無シ 唯是レ相無ノ相ナリ
・六者無生ノ蔵ヲ疏ス
生前二即ち生ヲ成シ滅家二是れ滅ヲ唱フ 生ハ即ち無生ノ生なり
滅ハ是レ無滅ノ滅ナリ 水ヲ即ち無生卜名ケ 波浪ヲ亦生ト為ス
水は本浪ノ生スル無シ 風二依テ波浪生ス 法性ハ即ち無生なり
生二自性ノ生無シ 無生ノ外二生無シ 生ハ唯是れ無生なり
包含ヲ名テ蔵卜為す 水は波浪ヲ包含ス 仏性ハ生死ヲ包ヌ
是ノ故に性ヲ蔵卜為ス
・七者文殊ノ智ヲ註ス
理智は恒に周遍す 無性及び有性 妙智は縁に随ひテ起テ苦楽ノ事ヲ分別ス
有性は分に随ひテ悟ル悉く是れ文殊ノ智ナリ
智念ハ即ち風勢なり 風ハ是れ文殊ノ智ナリ
今将二文殊ノ妙体ヲ釈スルニ即ち其ノニ有リ。イチニハ惣、二
二八別、一惣ノ文殊参問テ曰く。 文殊ノ妙智は諸法二遍ク
シテ差別無シ。云何ソ有性ノ智は一順ナラ不や。或ハ塵妙
有リ。或ハ賢愚乃至四聖四生六道有ルヤ。
答へて曰く。此れハ是れ妙慧ノ差別有る二非ス。但是れ器二随ひテ差別有リ。
替ハ虚空ノ長短方圓之別有ルコト無レトモ或ハ竹筒ノ中、或ハ屋舎ノ内、或ハ鼻ロノ中、或八五蔵ノ内、各各不同テンテ皆差別有ルカ如ク、
亦風ノ諸器二従フ時、或ハ甲聾ヲ出シ、或ハ乙響ヲ出スカ如し。地獄ハ苦ヲ知り鬼ハ飲食ヲ念シ、畜生ハ水草ヲ念ス。乃至十界は麤(そ、あらいこと)ヲ知リ、妙ヲ知ル。皆是れ文殊なり。悉く是れ風性なり。
四大ノ体性は本是れ文殊なり。始覚、本覚元是れ風性なり。一切ノ覚知は是レ自寛二非ス。苦楽ノ諸念には私念有ルコト無シ。親ヲ知り子ヲ知ル。即ち是れ文殊なり。夫ヲ念ヒ妻ヲ想フ。文殊二非ト云コト無シ。故に仏、説テ三世ノ覚母ト為テ十方ヲ渡脱シ下フ。文殊ノ恩徳ナリ。
已上惣シテ文殊ノ妙慧ヲ釈シおわんヌ。
ニに別レテ文殊ノ徳ヲ釈スとは、或ハ浄瑠璃浄土二於テハ大菩薩ノ其ノート為テ、
行者を摂シテ極楽世界二送り、或ハ極楽世界二有テ衆智根本之智ヲ開発シ、或ハ霊山会上二於テ法華ノ瑞相ヲ告ケ、或ハ寂滅道場二有テ微塵説法ノ深義ヲ演へ、或ハー乗一実ノ妙義ヲ伝テ無相円宗ノ祖師ト成り、或ハ獅子上二乗テ妙智無畏之相ヲ顕シ、或ハ世尊ノ右辺二坐シテ無上ノ大智ヲ補助シ、或ハー行三昧ノ発起ト為テ、弥陀ノ願意ヲ顕シ、或は五台山二住シテ諸教ノ奥義ヲ説ク。已上別シテ文殊ノ徳ヲ釈シおわんヌ。
根機は一順ナラ不。時教ハ各―不同ナリ。差別ハ輪廻ノ業、一に入レハ解脱ヲ得、今略シテ三、五ヲ示メシテ諸師ノ異解ヲ鑒(かん)ス。
一ニハ南天ノ祖師、仏法ヲ分テニト為ス。謂ク教内教外是ナリ。即ち如来ノ正法、口二望ルヲ教卜為シ、心二望ルヲ禅ト名ク。
二には南方ノ慧観師、一代聖教ヲ分ッテ五時となす。
三には光宅寺ノ雲法師、四教ヲ立テ聖教ヲ判ス。
四には斉朝ノ曇鸞法師、二教ヲ立テ仏教ヲ摂ス。
是の如ノ三師は本大聖文殊ノ門人、無相円宗ノ人、法華経ノ学者ナリ。然二赦ヲ判スルコト各々異ナリト雖モ、正に是二蔵赦、三法輪、此レ等ノ教相は大に好シ。
・三者法ノ縁起ヲ叙ス
萬法は本卜物無シ エ巧は形相ヲ造ス 縁二随ヒテ真俗二有り
還テ本一乗二帰ス 大海に本浪無シ 風動二依テ浪ヲ起ス
本、吹風ノ縁無レハ 劫ヲ歴テ水に浪無シ 五色ハ縁二随テ現ス
水に是の如ノ色無シ 萬像は縁二随テ起り諸像は縁二随テ滅ス
屋舎ハ匠二依テ立ス 巧匠無レハ舎無シ 一乗ハ巧縁ニ従ッテ真俗ノ諸法ヲ現ズ。
法二善悪ノ相無シ 縁二随テ善悪起り
今、智ノ匠縁二随テ ー乗ノ屋舎立ス
・四者三性ノ義ヲ談ス
一乗に三性ヲ分ツ 根二随ヒテ見不同ナリ
迷人八二性ヲ見、覚者ハ円成ヲ見ル
流転六道ノ苦は 即ち偏計ノ性二因ル
偏計に真実無シ 皆虚妄ノ見二依ル ーノ大海水二於テ
而モ浪ノ大小ヲ見テ 温水ノ体ヲ知らズ ー向に波浪ヲ見ル
ーノ仏性の理二於テ 而モ煩悩ノ事ヲ見テ自ら生死ノ苦ヲ受テ
皆偏計ノ縄二縛セラル ーノー乗ノ法二於テ縁二依テ生死ヲ見テ
生死は涅槃に及ヒ ニ見各々不同ナリ ーノ大海水二於テ
風二依テ起浪ヲ見テ ーノ湿性体二於テ 水波ノニ見ヲ成ス
生死ノ苦ヲ厭捨シテ 菩提ノ道ヲ得ンコトヲ求テ ー乗に二相ヲ見ル
皆是れ依他ノ性ナリ 清濁動静ノ相 悉く是れ一水ノ相ナリ
水二本是ノ相無シ 水二依テ諸相有り 此ノ相は水上二起り
是の相は水上二滅ス波生スレトモ水増セズ 波滅スレトモ水滅セズ
起滅は悉く是レ水なり 動寂は湿ヲ出でズ 生死は菩提ノ道なり
悉く是れ一乗ノ性ナリ 萬法二生滅ヲ見ル 皆是れ普賢門ナリ
諸法は本ヨリ寂滅にして 即ち是れ圓成ノ性ナリ
・五者無相ノ理ヲ義ス
相ハ即ち随縁ノ相なり 相ハ自性ノ相二非ス 是ノ故に理ハ無相ナリ
事二随ヒテ諸相ヲ成ス 有相は即ち無相なり 無相ノ外に相無し
波浪ヲ有相卜名ケ 水性ヲ無相卜為ス 煩悩は即ち菩提なり
菩提二煩悩無シ 性外二煩悩無シ 性上二煩悩ヲ起ス
心外に生死無シ 心上に生死ヲ見ル 仏界ハ衆生に及ヒ
大海は諸山に及ぶ 皆差別ノ法無シ 唯是レ相無ノ相ナリ
・六者無生ノ蔵ヲ疏ス
生前二即ち生ヲ成シ滅家二是れ滅ヲ唱フ 生ハ即ち無生ノ生なり
滅ハ是レ無滅ノ滅ナリ 水ヲ即ち無生卜名ケ 波浪ヲ亦生ト為ス
水は本浪ノ生スル無シ 風二依テ波浪生ス 法性ハ即ち無生なり
生二自性ノ生無シ 無生ノ外二生無シ 生ハ唯是れ無生なり
包含ヲ名テ蔵卜為す 水は波浪ヲ包含ス 仏性ハ生死ヲ包ヌ
是ノ故に性ヲ蔵卜為ス
・七者文殊ノ智ヲ註ス
理智は恒に周遍す 無性及び有性 妙智は縁に随ひテ起テ苦楽ノ事ヲ分別ス
有性は分に随ひテ悟ル悉く是れ文殊ノ智ナリ
智念ハ即ち風勢なり 風ハ是れ文殊ノ智ナリ
今将二文殊ノ妙体ヲ釈スルニ即ち其ノニ有リ。イチニハ惣、二
二八別、一惣ノ文殊参問テ曰く。 文殊ノ妙智は諸法二遍ク
シテ差別無シ。云何ソ有性ノ智は一順ナラ不や。或ハ塵妙
有リ。或ハ賢愚乃至四聖四生六道有ルヤ。
答へて曰く。此れハ是れ妙慧ノ差別有る二非ス。但是れ器二随ひテ差別有リ。
替ハ虚空ノ長短方圓之別有ルコト無レトモ或ハ竹筒ノ中、或ハ屋舎ノ内、或ハ鼻ロノ中、或八五蔵ノ内、各各不同テンテ皆差別有ルカ如ク、
亦風ノ諸器二従フ時、或ハ甲聾ヲ出シ、或ハ乙響ヲ出スカ如し。地獄ハ苦ヲ知り鬼ハ飲食ヲ念シ、畜生ハ水草ヲ念ス。乃至十界は麤(そ、あらいこと)ヲ知リ、妙ヲ知ル。皆是れ文殊なり。悉く是れ風性なり。
四大ノ体性は本是れ文殊なり。始覚、本覚元是れ風性なり。一切ノ覚知は是レ自寛二非ス。苦楽ノ諸念には私念有ルコト無シ。親ヲ知り子ヲ知ル。即ち是れ文殊なり。夫ヲ念ヒ妻ヲ想フ。文殊二非ト云コト無シ。故に仏、説テ三世ノ覚母ト為テ十方ヲ渡脱シ下フ。文殊ノ恩徳ナリ。
已上惣シテ文殊ノ妙慧ヲ釈シおわんヌ。
ニに別レテ文殊ノ徳ヲ釈スとは、或ハ浄瑠璃浄土二於テハ大菩薩ノ其ノート為テ、
行者を摂シテ極楽世界二送り、或ハ極楽世界二有テ衆智根本之智ヲ開発シ、或ハ霊山会上二於テ法華ノ瑞相ヲ告ケ、或ハ寂滅道場二有テ微塵説法ノ深義ヲ演へ、或ハー乗一実ノ妙義ヲ伝テ無相円宗ノ祖師ト成り、或ハ獅子上二乗テ妙智無畏之相ヲ顕シ、或ハ世尊ノ右辺二坐シテ無上ノ大智ヲ補助シ、或ハー行三昧ノ発起ト為テ、弥陀ノ願意ヲ顕シ、或は五台山二住シテ諸教ノ奥義ヲ説ク。已上別シテ文殊ノ徳ヲ釈シおわんヌ。