福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q,戒名など不要ではないか。その1

2013-10-25 | Q&A
Q,戒名など不要ではないか。

A―1、戒名は戒を授かってつけるものですからまず戒そのものの必要性についてのべます。結論は「戒を受けざる者をば、名ずけて外道邪見の人輩となす。畜生にもおとることなし」「衆生、佛戒を受ければすなわち諸仏の位に入る」(「授菩薩戒儀」)ということです。
「授菩薩戒儀」の次第を引用していきます。

「現前同会の清浄の衆生、すでに共に伸請して、菩薩戒を受けんと欲す。まずすべからく信心を発すべし。もし信心を発せば、必ず戒を納得す。今受けるところの菩薩の戒は、すなわちこれ、三世の諸仏、成道の根本。十方の菩薩、修業の規範。もしこの戒を受けず、生死の苦を脱せんと欲せばこのことわりあることなし。菩提を成さんとねがわばこのことわりあることなし。華厳経にいわく「戒はこれ無上菩提の本なり。まさに具足して浄戒を持すべし。もしよく禁戒を堅持すればこれ如来の賛嘆したまふところなり。

涅槃経にいわく「佛性を見、大涅槃を証せんと欲はば必ずすべからく深心に浄戒を修持すべし。梵網経にいわく「衆生、佛戒を受ければすなわち諸仏の位に入ると。また曰く、この戒を受けざる者をば、名ずけて外道邪見の人輩となす。畜生にもおとることなし。蓮遮乾子経に曰「如来功徳の身は、戒を受けるをもって本となす。戒を持するをもって始となす」と。
ゆえに知んぬ、菩薩戒を受けざる者はたとえ仏法を学び、勤求修業して千万劫を経るとも、ただ衆生と名ずく。これをもって西天には国王、位を受け、位に上がるに、並びにまず、この菩薩戒を受く。けだし、境邑の人民を饒益せんと欲するゆえなり。」

蛇足ですが『正法眼蔵』「出家」にも「あきらかにしるべし、諸仏諸祖の成道、ただこれ出家受戒のみなり、諸仏諸祖の命脈、たたこれ出家受戒のみなり。いまだかつて出家せざるものは、ならびに仏祖にあらざるなり。仏をみ、祖をみるとは、出家受戒するなり。 」とあり、受戒なくして成仏はありえないと道元禅師も厳しくおしゃっています。

 A-2戒を授かって戒名を付けることについて・・・古来、戒を授かると戒名を付けることとされてきました。

戒名には三つの起源説があるとされます。釈尊帰一説、中国習俗帰源説、印度発展説です。

ア、まず釈尊帰一説です。お釈迦様の時代、出家して戒律をうけるとみな釈という姓にしたというのです。
『増一阿含経巻二十一』に「たとえばもろもろの大河あり。いわくガンガー、ヤムナー、アチラヴァテー、サラブー、ミヒーなり。これらは大河に至らば前の名姓を棄ててただ大河とのみ号す。かくのごとく、バハーラーダよ、クシャトリア、バラモン、ヴァイシャ、シュードラの四姓あり。彼等、如来の説くところの法と律とにおいて出家せば前の名姓を棄ててただ沙門釈子とのみ号す」、また『高僧伝巻五道安伝』には「初め、魏晋の沙門は師によりて姓となす。故におのおの同じからず。道安もって大師の本釈迦より貴きはなしとし、すなわち釈をもって氏に命ず。後に増一阿含を得るに果たして称せり。四海に入りてまた河名なし。四姓沙門となり皆釈種を称すべしと。すでにはるかに経て符す。ついに永式となす」とあります。

イ、 次に中国習俗帰源説です。中国では古来名のほかに字(あざな)ももっていてこれが戒名になったとするもの。湛然は荊渓に住んでいたので其の居場所をさして「荊渓」といわれました。他にも「南嶽」「青原」「百丈」「黄檗」「天台」「慈恩」などおおくの例があります。

ウ、3番目の印度発展説は、戒名は経典の「授記」の思想から発展したと見る説です。これは将来、佛号、法号を授けられて佛になることを保障することをいいます。教団にはいり仏弟子となれば階級差別の激しいインドでも平等に佛号をさずけられたのです。法華経法師品に「仏前において妙法蓮華経の一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我また阿耨多羅三藐三菩提(正覚)の記(佛号、法号)を与え授く」と法号授与の資格まで示されています。日本史上最初に聖武天皇 が「勝満」という戒名をつけられたのもこのためかと思われます。
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