観音霊験記真鈔7/33
西國六番和州壷阪寺丈六千手像、御身長一丈六尺(約4・85メートル)亦法華寺と號す。
釈して云く、従来千手の像に付て委しく解すと雖も未だ千手の呪術を釈せず。是に就いて大呪、小呪あり。謂く、大呪は千手經に説り。一本には都て七十八句あり。今の本は八十句とす。又宋朝の呪の終りに合わせて八十四句とする也。称え難き故之を略し此に挙げず。(以下に在り)
其の小呪は同じく經に説き玉はく、「おんばざら たらまきりく そわか(梵字)」と。
問、諸經の中に何んが呪を翻せざるや。
荅、呪の語は多含なり。此の間、唐土には物として以て是に擬すべきなし。若し是を翻ぜんと欲せば義に於いて盡さず。又其の勢用を失す。此の間の禁呪の法の如し。要ず呪語の法に由りて而も是を誦すべし。即ち神験あり。正語をなして而も説くことを得ずと。法華義疏に見へたり。(法華義疏・陀羅尼品第二十六「問諸經中何故不翻呪耶。答呪語多含。此間無物以擬之。若欲翻之於義不盡。又失其勢用。如此間禁呪之法。要須依呪語法而誦之。則有神驗不得作正語而説。」)。
爰に言ふ處の禁呪の法とは世間の例証なり。世に蜾蠃 (から・じがばち)と云ひて腰の細き蜂あり。此の蜂、青蟲と云ふ虫を取りて己が巣の中に入れて、己が子となし呪願すれば即ち變じて己が子となれば、世に是を似我蜂と云ふ。世間有為の蟲類すら已に尒(しか)なり。況や諸佛の呪願をや。されば陀羅尼を呪と云也。呪は字書の中に願なりと注して順義なり。謂く其の理を知らざれども悪を變じて善と成し、凡夫を轉じて賢聖に叶はんと願ひて陀羅尼を誦すれば其の徳を得る也。又法華経陀羅尼品下の文句に云、親を無くして他国に遊び一切の人を欺誑す。麁食是常の事、何ぞ煩はしく又瞋を作す已上(妙法蓮華經文句卷第十下「或云呪者。密默治惡惡自休息。譬如微賤從此國逃彼國。訛稱王子。彼國以公主妻之。多瞋難事。有一明人從其國來。主往説之。其人語主。若當瞋時説偈。偈云。無親遊他國。欺誑一切人。麁食是常事。何勞復作瞋。説是偈時默然瞋歇後不復瞋。」)。此の頌の意は、野人遠島に至る。是に於いて帝王となり奢りて諸民を悩ます。故に島の戎、各各前の頌を造って謡ふ故に吾本国の俗姓賤しき者なるが知れたると思ひて嶋を逃げ去りぬと已上。今呪誦の功徳も亦復如是也。其の理を知らずと雖も誦すれば自から其の功徳を含むこと思て知るべし。
西國六番大和の國高市郡壺阪寺、又は法華寺と號す。丈六千手の像は道基上人の開基なり。然るにこの道基上人千手の呪を誦すること毎日千遍餘に及ぶ。昼夜不臥にして生身の観世音を拝まんと誓ひて或旹山靄に添て瑞光あり。怪しみて光の本を尋ね上れば一の霊壺ありて光を放つ。道基上人此の壺向ひ益々千手の呪を誦して生身の千手大悲の像を拝せんと祈りしに、忽ちに丈六の千手の像、大光明を放ちて此の巷に出現し玉ひて云く、汝年来の信仰厚きに依りて此の壺の内より出現す。我が像をよく刻みて此の巷に留めて安置せば遐邇の男婦を安楽世界に引導すべしと告勅有りて化し去んぬ。道基上人信心歓喜を眉を開きここに於いて千手の像を彫り玉へば嵯峨帝皇願主となり玉ひて精舎を建立在す。今壷阪寺と云是也。或が云く、桓武天皇の願主、報恩大師(生年未詳 - 795年(延暦14年)、奈良時代の僧。孝謙天皇の勅許を得て備前四十八ヶ寺を整備、多数の寺院を開創した)の開基ともいへり。二事少しく異なると雖も、並記して疑しきを傳ふる者也。予、和字の三十三所の霊験記を輯るなか第六番目の縁起に報恩大師の開基を挙ぐ。
歌に
「岩をたて 水を湛へて 壺坂の 庭の砂も 浄土成梟」
私に云、歌の意は「岩をたて」等の上の句はさながら此の寺の景気を詠じ出す也。「庭の砂」等の下の句は又是寺を極楽に準じて詠ずる也。裏の意は「岩をたて」等は極楽の八功徳池と観ずる也。「庭の砂」等亦是極楽浄土の依地と観ずる意なり。無量壽經に極楽の八功徳池の水底には金砂を敷く等と説けり。今繁きを恐れて之を略す(佛説無量壽經卷上「復以眞珠明月摩尼衆寶。以爲交露覆蓋其上。内外左右有諸浴池。或十由旬。或二十三十。乃至百千由旬。縱廣深淺各皆一等。八功徳水湛然盈滿。清淨香潔味如甘露。黄金池者底白銀沙。白銀池者底黄金沙。水精池者底琉璃沙」)。往て見るべし。「庭の砂も浄土」とは極楽浄土には金銀等を以て地形と為すこと又壽經等の説なり。謂く所詮歌の意は此の観世音菩薩と念じ奉って 此の御寺に参詣すれば外に浄土は無し。全く此れが安養界なる意なり。故に観經に説き玉ふ。當に道場に坐して諸佛家に生ず、と(佛説觀無量壽佛經 「大勢至菩薩爲其勝友當坐道場生諸佛家」)。蓋し此れ等の意なるべし已上。空也上人の歌に「極楽は近き程と聞きしかど つとめて至る所成梟」又新古の歌に「しるべある ときにだに往け 極楽の道に迷へる 世の中の人」(新古今・巻第二十 釈教歌。よみ人知らず。せめて道しるべのある時にだけでも行けばよいのに。極楽に行く道に迷っている世の中の人よ)已上。右の二首、西國の歌に引き合わせて見つべし。