山 岡 瑞 円 上 人 の 略 伝(三 井 英 光)・・8
六、 遷 化
瑞円上 人は戦後 いささ か疲労老衰 の兆ありたるも、 弱った体を推して諸弟子- 学園生や伝道員の教導や信者への応接、 本部 や学園や子安中学校 の運営にも倦む ことなく、精魂を傾けてそのことに当 つて居られたが、容 態急変して、昭和廿三年の一月十一日、突如遷化された。 世寿六十七才 であ った。上人の訃報をきくや、 各地に伝道の途にありし諸弟子も馳せ帰り、 その遺骸は此れらの諸弟子や遺族、 信者等に守られて茶毘 に附され、 その遺骨は香園寺裏山の墓地に埋葬さ れた。今も尚四時香花の絶 ゆる ことが な いのである。 (完)
六、 遷 化
瑞円上 人は戦後 いささ か疲労老衰 の兆ありたるも、 弱った体を推して諸弟子- 学園生や伝道員の教導や信者への応接、 本部 や学園や子安中学校 の運営にも倦む ことなく、精魂を傾けてそのことに当 つて居られたが、容 態急変して、昭和廿三年の一月十一日、突如遷化された。 世寿六十七才 であ った。上人の訃報をきくや、 各地に伝道の途にありし諸弟子も馳せ帰り、 その遺骸は此れらの諸弟子や遺族、 信者等に守られて茶毘 に附され、 その遺骨は香園寺裏山の墓地に埋葬さ れた。今も尚四時香花の絶 ゆる ことが な いのである。 (完)