「座禅することは成仏することである。あるひとは『座禅しに来ておりますが成仏はしておりません』という。それは違う。盗人は人の者を取った瞬間に盗人じゃ。盗人じゃから人の者を取るのじゃ。是と同じで、成仏せぬと座禅はせぬものじゃ。座禅が成仏である。だからここで座禅しているとそのままそれが成仏である。」
「まだ永平寺の小僧にもならぬ頃、一人薄暗い本堂のなかで威儀を正して坐禅しておる私の姿を見て、いつも私をこき使っていた飯炊きの婆さんがびっくり、思わずべったり坐って合掌し、仏さまより丁寧に拝んだ。これが私の一生を支配している。・・・坐禅には無条件に婆さんを拝ませるものがひそんでいるに違いない。それほどの尊い処がある不思議なものじゃと。」
(沢木興道老師)
この伝ではお経を読んだり拝んだりしている瞬間はまさに仏さまになっている、ということになります。
「まだ永平寺の小僧にもならぬ頃、一人薄暗い本堂のなかで威儀を正して坐禅しておる私の姿を見て、いつも私をこき使っていた飯炊きの婆さんがびっくり、思わずべったり坐って合掌し、仏さまより丁寧に拝んだ。これが私の一生を支配している。・・・坐禅には無条件に婆さんを拝ませるものがひそんでいるに違いない。それほどの尊い処がある不思議なものじゃと。」
(沢木興道老師)
この伝ではお経を読んだり拝んだりしている瞬間はまさに仏さまになっている、ということになります。