今日は上賀茂神社「みあれ祭」です。
以下ウキぺデアと五來重「宗教歳時記」に依ります。
「みあれ祭」は毎年5月12日の夜(本来は旧暦4月の中の午の日)上賀茂神社で行われる古来の神迎えの神事。御阿礼祭ともいう。〈みあれ〉は出現・誕生を意味する。神社の北西約880mの御生野(みあれの)という所に祭場を設け,ここで割幣をつけた榊に神を移す神事を行い,これを本社に迎える祭りである。祭場には,特殊の神籬を設け,その前には円錐形の立砂一対を盛る(注)。この旧祭地(御生野)は柳田国男の「山宮考」の記述を参考にすると実はかっての葬地であったのではないか、という。
(注、上加茂神社境内にも立砂はあり、この案内板には
「立砂・盛砂とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある、円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので一種の神籬(ひもろぎ)即ち神様が降りられる憑代(よりしろ:依代)である。鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清めるのは此の立砂の信仰が起源で「清めのお砂」の始まりである。」とありますが実は「御生野」の立砂を模したものであることは明らかです。)
以下ウキぺデアと五來重「宗教歳時記」に依ります。
「みあれ祭」は毎年5月12日の夜(本来は旧暦4月の中の午の日)上賀茂神社で行われる古来の神迎えの神事。御阿礼祭ともいう。〈みあれ〉は出現・誕生を意味する。神社の北西約880mの御生野(みあれの)という所に祭場を設け,ここで割幣をつけた榊に神を移す神事を行い,これを本社に迎える祭りである。祭場には,特殊の神籬を設け,その前には円錐形の立砂一対を盛る(注)。この旧祭地(御生野)は柳田国男の「山宮考」の記述を参考にすると実はかっての葬地であったのではないか、という。
(注、上加茂神社境内にも立砂はあり、この案内板には
「立砂・盛砂とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある、円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので一種の神籬(ひもろぎ)即ち神様が降りられる憑代(よりしろ:依代)である。鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清めるのは此の立砂の信仰が起源で「清めのお砂」の始まりである。」とありますが実は「御生野」の立砂を模したものであることは明らかです。)