深覚 「東寺長者、禅林寺大僧正または石山大僧正と称し右大臣藤原師輔の第十一子。天歴九年生まる。幼にして池上寛忠の室に入りて得度、永祚元年十二月二日寛朝国師に伝法灌頂を受く。常に苦修怠らず悉地を得、呪験に長じ、洛東禅林寺に住して密綱を皇張し、勸修・勝算とともに瑜伽三傑の称あり。正暦三年七月東大寺別当に任じ以来斯職に復任すること四度に及ぶ。長保四年二月左大臣道長の病を加持し同七月少僧都に任ぜらる。同五年八月東寺三長者となり、寛弘八年四月権大僧都に転じ、・・同五年六月神泉苑に雨を祈りて霊験を著し寛仁三年春大相国道長東大寺に受戒するやその羯磨師をつとめ同十月権僧正、四年十二月正に転ず。‥治安三年十二月二十九日東寺第二十一代長者法務に補し大僧正。万寿三年五月如意輪の神呪を以て後一条天皇の御悩を祈り法験顕焉にして輦車の宣下を賜ふ。(高野春秋には「夏五月六日座主大僧正深覚、御悩加持に参内、速効あり、勅錠に応じるなり。此般勧賞により輦車の宣旨を賜る」)翌四年二月皇太后彰子の屈請により春宮の虐病を祈り法験を旌して御衣綾服念珠珠駿馬を賜ふ。長元二年十二月高野山に隠遁し無量寿院を創めて専ら西方往生を欣求。長久四年九月十四日禅林寺にて寂す。壽八十九。付法に深観・朝源・修仁・覚源・深助・信覚あり。」)(密教大辞典および高野春秋)