福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶『大日経綱要』より要点その2

2013-10-02 | 諸経
第二、本経の法体
(本経の法体について)最も根本的な見方は衆生の一心を本経の体とするものである。本経のはじめには『実の如く自心を知る』と説かれ、大日経疏には『衆生の自心品は即ちこれ一切智智なり、実の如く了知するを名けて一切智智と為す。』と釈している。・・この自心の自覚が一経の大宗であり・・一心は空でも無でもなく寂にして照、法界に周辺し、霊活自在の妙用を表わすのである。・この一心を浄菩提心とも理智不二の一心ともいう。たとえば明朗な珠の体には珠自らを照らす光があるように,妄分別を絶した浄菩提心には自ら遍照法界の霊用がある。この一心法爾の霊体を理といい、遍照法界の霊用を智という。一心の自体は珠と光とのように理智不二、寂照一如の体である。・・大日経の一心は理を体とするもの、金剛頂經の方は智を体とするものともいえる。・・一心の体は分別をこえている。だから無分別智によって一心の自体に契合すればそこに如来真実の生活が開けることを説いている。即ち凡夫の身をもって如来に帰命し、凡聖不二の妙境にいたればもはや自もなく他もない絶対法爾の法身の世界が開ける。
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