「世間の仕事にいそしむことが仏法に通ずる」こと。
「法華経法師功徳品」には「・・俗世の経書、治世の語言、資生の業等は、皆正法に順ぜん。」とあり、
「華厳経」には「仏の法は世間の法に異ならず、世間の法は仏の法に異ならず。」「仏法は即ち世間の法なり、世間の法は即ち仏法なりと知ると雖も、しかも仏法の中に於いて世間の法を分別せず、世間の法の中に於いて仏法を分別せず。一切の諸法は悉く法界に入る。」「仏の境涯は即ち世間の境涯なり、世間の境涯は即ち仏の境涯なり」等とあります。世間の仕事にいそしむことが仏法に通ずるといっているのです。鈴木正三も「万民徳用」の中で「商人日用(あきひとにちよう)売買せん人は、まず得利の増すべき心づかいを修行すべし。その心づかいと言うは他の事にあらず。身命を天道になげうって、一筋に正直の道を学ぶべし。正直の人には、諸天のめぐみふかく、仏陀神明の加護あって、災難を除き、自然に福をまし、衆人愛敬、浅からずして万事心にかなうべし。一筋に国土のため万民のためとおもい入りて、自国の物を他国に移し、他国の物をわが国に持ち来たって、遠国遠里に入り渡し、諸人の心にかなうべしと誓願をなして、国々をめぐる事は,業障を尽くすべき修行なりと、心を着けて、山々を越えて、身心を責め、大河小河を渡って心を清め、漫々たる海上に船をうかぶる時は、この身を捨てて念仏し、一生はただ浮世の旅なる事を観じて、一切執着を捨て、欲をはなれ商いせんには、諸天これを守護し、神明利生を施して、得利もすぐれ、福徳充満の人となる。」と言っています。・・そうはいっても毎日の世俗の仕事は切羽詰まって仏法など構っていられまいことが多くあることも事実です。しかしそんなときこそ心の奥底に仏法を持っていれば必ず成功します。
「法華経法師功徳品」には「・・俗世の経書、治世の語言、資生の業等は、皆正法に順ぜん。」とあり、
「華厳経」には「仏の法は世間の法に異ならず、世間の法は仏の法に異ならず。」「仏法は即ち世間の法なり、世間の法は即ち仏法なりと知ると雖も、しかも仏法の中に於いて世間の法を分別せず、世間の法の中に於いて仏法を分別せず。一切の諸法は悉く法界に入る。」「仏の境涯は即ち世間の境涯なり、世間の境涯は即ち仏の境涯なり」等とあります。世間の仕事にいそしむことが仏法に通ずるといっているのです。鈴木正三も「万民徳用」の中で「商人日用(あきひとにちよう)売買せん人は、まず得利の増すべき心づかいを修行すべし。その心づかいと言うは他の事にあらず。身命を天道になげうって、一筋に正直の道を学ぶべし。正直の人には、諸天のめぐみふかく、仏陀神明の加護あって、災難を除き、自然に福をまし、衆人愛敬、浅からずして万事心にかなうべし。一筋に国土のため万民のためとおもい入りて、自国の物を他国に移し、他国の物をわが国に持ち来たって、遠国遠里に入り渡し、諸人の心にかなうべしと誓願をなして、国々をめぐる事は,業障を尽くすべき修行なりと、心を着けて、山々を越えて、身心を責め、大河小河を渡って心を清め、漫々たる海上に船をうかぶる時は、この身を捨てて念仏し、一生はただ浮世の旅なる事を観じて、一切執着を捨て、欲をはなれ商いせんには、諸天これを守護し、神明利生を施して、得利もすぐれ、福徳充満の人となる。」と言っています。・・そうはいっても毎日の世俗の仕事は切羽詰まって仏法など構っていられまいことが多くあることも事実です。しかしそんなときこそ心の奥底に仏法を持っていれば必ず成功します。