後醍醐天皇はご崩御の時に『妻子も珍宝も王位も命終のときに臨んでは身に随わず。唯[戒]と[施]と[不放逸]とが今世後世伴侶となる』という『大集経』の文を唱えておかくれになった。(大方等大集経に「妻子珍寶及王位 臨命終時無隨者 唯戒及施不放逸 今世後世爲伴侶」とある)
妻子珍宝も王位も死出の旅路の伴侶となすわけにはゆかぬ。しかしこの十善戒を護持する功徳というものは、今世も後世も始終身に付き添うて行く伴侶である。この功徳さえ身に添うておれば生々世々に栄えて楽しき生涯を送ることができる。また進みては常住不変の身をもって絶対の大安楽を受くべき菩提涅槃の二転の妙果に達することができるのである。
(大方等大集経巻十六に「汝當に善く己身を順觀すべし、 諸陰は幻の如く不堅固なり、 四大は其れ猶ほ毒蛇の如し、 六情は無實なること空聚の如し、妻子・珍寶・王位も 臨命終の時に隨う者無し、唯だ戒および施と不放逸とのみ 今世後世の伴侶となる。」とあります。
慈雲尊者『十善法語』にも「・・人間も全く不貪欲戒の姿じゃ。生ずる時も唯一人生ずる。眷属と共に生まるる者もない。衣食玩具を持って生まれるものもない。死するとき唯一人死する。眷属僕従を将いて死するものもない。・・思えば面白き事じゃ。・・」とあります。
また最近相続争いが頻発しています。自分の子孫に残すべきはお金でなくて「徳」であるはずですが、最近の高齢者もその子孫も昔の日本人の常識だったこういうことも分らなくなっています。
慈雲尊者『十善法語』にも「・・功無くして禄ある、徳薄うして位高き、不意に財利を得る、分に過ぎて称誉を得る、皆智者の慎む所じゃ。この禄位は寿命の減ずるか、或は眷属を奪ふじゃ、此の財利は必ず禍の伏するところ、此の称誉これ毀謗の兆じゃ。」とあります。ただ貪欲に財をむさぼってもそれは却って不祥事のもととなるといっているのです。毎日のニュースでもこういう例をいやというほど見てきました。)
妻子珍宝も王位も死出の旅路の伴侶となすわけにはゆかぬ。しかしこの十善戒を護持する功徳というものは、今世も後世も始終身に付き添うて行く伴侶である。この功徳さえ身に添うておれば生々世々に栄えて楽しき生涯を送ることができる。また進みては常住不変の身をもって絶対の大安楽を受くべき菩提涅槃の二転の妙果に達することができるのである。
(大方等大集経巻十六に「汝當に善く己身を順觀すべし、 諸陰は幻の如く不堅固なり、 四大は其れ猶ほ毒蛇の如し、 六情は無實なること空聚の如し、妻子・珍寶・王位も 臨命終の時に隨う者無し、唯だ戒および施と不放逸とのみ 今世後世の伴侶となる。」とあります。
慈雲尊者『十善法語』にも「・・人間も全く不貪欲戒の姿じゃ。生ずる時も唯一人生ずる。眷属と共に生まるる者もない。衣食玩具を持って生まれるものもない。死するとき唯一人死する。眷属僕従を将いて死するものもない。・・思えば面白き事じゃ。・・」とあります。
また最近相続争いが頻発しています。自分の子孫に残すべきはお金でなくて「徳」であるはずですが、最近の高齢者もその子孫も昔の日本人の常識だったこういうことも分らなくなっています。
慈雲尊者『十善法語』にも「・・功無くして禄ある、徳薄うして位高き、不意に財利を得る、分に過ぎて称誉を得る、皆智者の慎む所じゃ。この禄位は寿命の減ずるか、或は眷属を奪ふじゃ、此の財利は必ず禍の伏するところ、此の称誉これ毀謗の兆じゃ。」とあります。ただ貪欲に財をむさぼってもそれは却って不祥事のもととなるといっているのです。毎日のニュースでもこういう例をいやというほど見てきました。)