「日本書紀推古天皇」「元年593春正月壬寅朔丙辰(15日)佛の舎利を以て、法興寺の刹の柱の礎の中に置く」
(以下ウキぺデアを引用。『日本書紀』によると、法興寺(現在の飛鳥寺)は用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が建立を発願したもの。1956年、飛鳥寺周辺の発掘調査により、法興寺の遺構が現れた。そして今は失われた仏塔の芯礎から、木箱に収められた舎利容器が発見された。舎利は593年に芯礎に安置されたが、完成した仏塔は1196年に落雷のため焼失した。舎利は翌年いったん掘り出され、新しい舎利容器と木箱に入れて、ふたたび芯礎部分に埋めたものという。飛鳥時代には法興寺、斑鳩寺(現在の法隆寺)、現在の四天王寺など、立派な仏塔を備えた寺院が建立されているが、これらの仏塔は仏舎利を祭るもの。)