四国27番 神峰寺(本尊十一面観音)の奥の院は神峰神社(主祭神, 大山祇命)神峯寺の約400m奥に位置する。インターネットに依れば「神峯寺の前身である観音寺として神仏一体であったが、明治初期の神仏分離令により神峰神社のみが残った。明治20年(1887年)に神峯寺が再興され、現在は神峯寺の奥の院という位置づけとなっている。神峯神社日記によれば、神武天皇が東征の際、この山を神の峯とし石を積み神籬を立てて祀ったことが起源と伝えられている。
神峰神社本殿の向かって右奥上方には燈明巌(とうみょういわ)と呼ばれる岩がある。この岩は太古から夜が更けると青白く光っていたと言われている。天変地異などの異変が起こる前兆として光ると言われており、日清戦争、日露戦争、関東大震災、太平洋戦争、南海地震の前に光ったと伝えられている。」
真念「四国徧禮指南」(講談社学術文庫)では「二十七番神峰寺」の注釈に「江戸時代は現在の神峰神社が札所であった、いったん廃されたが1912年大正元年すぐ下の土地に再興した」とあります。ここは岩崎弥太郎の母も江戸時代弥太郎の大成を願って麓から21日間の祈願をしたところですがこのころは神社へお参りしたのでしょう。
神峰神社本殿の向かって右奥上方には燈明巌(とうみょういわ)と呼ばれる岩がある。この岩は太古から夜が更けると青白く光っていたと言われている。天変地異などの異変が起こる前兆として光ると言われており、日清戦争、日露戦争、関東大震災、太平洋戦争、南海地震の前に光ったと伝えられている。」
真念「四国徧禮指南」(講談社学術文庫)では「二十七番神峰寺」の注釈に「江戸時代は現在の神峰神社が札所であった、いったん廃されたが1912年大正元年すぐ下の土地に再興した」とあります。ここは岩崎弥太郎の母も江戸時代弥太郎の大成を願って麓から21日間の祈願をしたところですがこのころは神社へお参りしたのでしょう。