第七に多は親愛の聲じゃ。たまさかに恚怒の聲を出すは。音聲の變じゃ。賢人君子には一生恚怒の聲を出さぬ者も有る。又多は歡樂の音聲じゃ。たまさかに悲哀の聲を出すは。音聲の變と云ふものじゃ。又徳人長者には一生悲哀の聲なき者もある。不兩舌戒の影は先こうしたものじゃ。
畜生は多く恚害の聲。悲哀の聲じゃ。兩舌業道その影かくの如くじゃ。經中に。水鳥和雅の聲を出し。又念仏念法念僧の音を出すとあるは。別途のことじゃ。(阿弥陀経に「彼國常有種種奇妙雜色之鳥。白鵠孔雀鸚鵡舍利迦陵頻伽共命之鳥。是諸衆鳥。晝夜六時出和雅音。其音演暢。五根五力七菩提分八聖道分如是等法。其土衆生聞是音已。皆悉念佛念法念僧」とある)
畜生は多く恚害の聲。悲哀の聲じゃ。兩舌業道その影かくの如くじゃ。經中に。水鳥和雅の聲を出し。又念仏念法念僧の音を出すとあるは。別途のことじゃ。(阿弥陀経に「彼國常有種種奇妙雜色之鳥。白鵠孔雀鸚鵡舍利迦陵頻伽共命之鳥。是諸衆鳥。晝夜六時出和雅音。其音演暢。五根五力七菩提分八聖道分如是等法。其土衆生聞是音已。皆悉念佛念法念僧」とある)