福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講・今日の言葉

2013-12-21 | お大師様のお言葉
『性霊集巻第三、 中寿感興の詩』 序文

「覚日なる者は本より常なり。 妄時なる者は代謝(こもごも)す。
撫塵(ぶじん)は昨なりしに、 不惑は催す。 何ぞ忍びん、 日天の矢のごとくに運めぐりて、 人の童顔を奪ふに。
不分(にくからず)や、 月殿疾く来たりて、 人をして変異せしむること。
士流(しりゅう)は是の日強占し、 羅門は是の歳勇進し、 俗家は之を賀して酒会するも、 方袍(ほうほう)何事をか是とせん。 目を閉じて端座し、 仏徳を思念するに如かず」 ( 悟りの世界には時間はなく永劫であるが、 迷妄の世界の時間は次々と消え去っていく。 砂いじりをして遊んだのは昨日なのに、 もう四十歳になり気が焦る。 どうして耐えられよう、 日が矢のように巡って、 人の童顔を奪うのだ。 腹立たしい限りだ 月が速く来りて 人を変化させてしまうことは。 役人 はこの時に智力気力旺盛で出仕し、 婆羅門は修行に邁進し、 俗人はこれを祝って酒盛りをするが、 僧侶は目を閉じて正座し、 仏の徳を思い念ずるのが一番よい。 )

「中寿感興の詩」

黄葉山野にちる。
蒼々豈に始終あらんや。
嗟、 余五八の歳。長夜に円融を念う。
浮雲何処より出る。本是れ浄虚空。
一心の趣きを談ぜんと欲すれば。
三曜、 天中に朗かなり

 (黄葉が山野に散る、蒼天には終始はない。今四十歳を迎え。秋の夜長に大曼荼羅の宇宙を思う。無明煩悩は一体どこから来るか。心は本来清らかな虚空のようなもの、我が心を語ろうとすると、それは日月星の三光が中天に輝いているようなものであり私の身口意の三密と大日如来の三密とが一致して輝き遍く宇宙を照らしているのだ。)

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