福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大乗起信論・・その26、

2023-08-26 | 諸経


此の體と用の熏習を分別すれば復た二種あり。云何爲二。一は未相應。謂く凡夫と二乘と初發意の菩薩等は、意・意識の熏習を以て、信力によるが故に而かも能く修行するも、未だ無分別の心が體と相應することを得ざるが故なると、未だ自在業の修行が用と相應することを得ざるが故なり。
二は已相應。謂く、法身の菩薩は無分別の心を得て、諸佛の智の用に相應し、唯だ法の力に依るのみにして自然に修行し、眞如に熏習して無明を滅するが故なり。
この真実の在り方そのものに備わる力と、その働きには2種ある。1は真実の在り方と一致してないもの。凡夫、二乘、初めて發意した菩薩等は、意・意識の働きかけの力を以て、修業してみたが、未だ無分別の心が真理と一致するところまではいっていない。2つは、すでに覚ったもの。すなわち仏の真実の姿を体得した菩薩が判断を超える智慧の心を得て、仏の智慧に合致しひたすら仏の教えに随って自然に修行ができていき、真理に働きかけて無明を滅することができる。)

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