「苦」は「空」なり・・・1
我々は般若心経を毎日読みますが、その中には「度一切苦厄」「能除一切苦」とか「苦」を救ってやるぞというお言葉が何度も出てきます。般若心経は「苦は空なのだ」と衆生を教えて救おうとしているのでした。
「大乗仏教 中村元」より、
「・・般若経典で用いられている術語は伝統的なものであるが示されている思想は新しい。これらの経典(大般若波羅密多経・金剛般若経・般若心経・八千頌般若経・二万五千頌般若経・一万頌般若経・・)の中心主題は、人間存在の真理を覚ること、すなわち「智慧の完成」であった。一切の事象はそれ自体では存在せず、あたかも夢のようなもの或いは幻のようなものであると悟ることによって、この境地に達することができるとされた。之は大乗仏教を支えた思想の中でも最も洗練された奥深い微妙な概念である。「空」を理解するためには一切の事象はさまざまな因縁によって成立しており、その意味ではそれらはなんら「自性(それ自体の固定された本質)」をもたない、という自覚を必要とする。
実践的な意味では我々の概念的な要素が強いる二元的把握を伴わない事象のあるがままの姿を「法性」とか「真如」とか呼ぶが、「智慧の完成」にはこの根源的に無自性なる世の事象に対して、観察者と対象とが不二一体となる洞察力を必要とされる。「空」の同義語として「法界」「法身」「仏性」がある。・・一連の般若経典では・・救済の目的はもはや「涅槃」ではなく、「苦(輪廻)が『空』であることを理解する事」とされた。
我々は般若心経を毎日読みますが、その中には「度一切苦厄」「能除一切苦」とか「苦」を救ってやるぞというお言葉が何度も出てきます。般若心経は「苦は空なのだ」と衆生を教えて救おうとしているのでした。
「大乗仏教 中村元」より、
「・・般若経典で用いられている術語は伝統的なものであるが示されている思想は新しい。これらの経典(大般若波羅密多経・金剛般若経・般若心経・八千頌般若経・二万五千頌般若経・一万頌般若経・・)の中心主題は、人間存在の真理を覚ること、すなわち「智慧の完成」であった。一切の事象はそれ自体では存在せず、あたかも夢のようなもの或いは幻のようなものであると悟ることによって、この境地に達することができるとされた。之は大乗仏教を支えた思想の中でも最も洗練された奥深い微妙な概念である。「空」を理解するためには一切の事象はさまざまな因縁によって成立しており、その意味ではそれらはなんら「自性(それ自体の固定された本質)」をもたない、という自覚を必要とする。
実践的な意味では我々の概念的な要素が強いる二元的把握を伴わない事象のあるがままの姿を「法性」とか「真如」とか呼ぶが、「智慧の完成」にはこの根源的に無自性なる世の事象に対して、観察者と対象とが不二一体となる洞察力を必要とされる。「空」の同義語として「法界」「法身」「仏性」がある。・・一連の般若経典では・・救済の目的はもはや「涅槃」ではなく、「苦(輪廻)が『空』であることを理解する事」とされた。