福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが「高尾山御本尊・御前立飯縄大権現御尊像開眼法要式」の模様を記録してくださいました。

2015-05-23 | 講員の活動等ご紹介
5月21日、真言宗智山派大本山高尾山薬王院(東京・八王子市高尾町)で、高尾山中興開山640年を記念して、御本尊・御前立飯縄大権現御尊像開眼法要式が午前10時30分から、本堂で盛大に行われました。その時の模様をお知らせしたいと思います。


この日、開眼法要を行われた飯縄大権現は、同寺・薬王院に秘仏として同寺の僧侶さえも、窺い知る機会の殆どないとされる、ご本尊・飯縄大権現の、お前立ちである、いわゆる、お前立御本尊・飯縄大権現で、これまで、護摩壇前の厨子に安置されていた自然に黒く変色、煤にくすんで、黒光りしていた御仏体に変わって、新たに目も鮮やかな朱色の火炎光背を背負い、極青色の御面(口に嘴)、胴(背に羽翼)、右手に剣、左手に懸索を持ち、白狐に乗つて、衆生救済を見守るお姿が出現されました。新しい御前立は、息を呑む美しさと、心惹かれる感動を呼び起こすに、十分なご変容でした。両脇を固める、天狗も、赤天狗と青天狗に色分けられ、衣装の色に、鮮やかな緑色が配色され、清楚にして神聖な、和様式を彩るお像でした。


これまで、お前立ちを勤めてこられた飯縄大権現は、今日まで、640年に亘って、僧侶が、毎日、朝夕、炊き上げるお護摩の火炎を翳しながら、衆生救済の勤めを続け果たしてこられました。ご自分の体が、煤で真っ黒になっても、何も言わず、御神体が、朽ちかけても、愚痴一つこぼさず、幾星霜の年月を、ただ、苦しみ悩む衆生を助けるためだけに、働いてこられたのです。時代によって替わる人間の生き方にも、じっと、生き方を見据えながら、臨機応変に救いに専念してこられました。640年の間、人間衆生の世界は、善悪苦楽様々な現実が、生起しましたが、ただ、衆生の悩み、苦しみを、救済しょうとの一念で、耐え忍んでこられたのだと思います。


ここで、高尾山薬王院・ご本尊・飯縄大権現のご紹介をしましょう。高尾山薬王院では、信者・参詣者のために、お護摩を厳修しますが、その際、お加持祈祷を受ける方の氏名を僧侶が読み挙げます。その際、「本尊飯縄大権現御縁起文」を、読み上げています。少し長いのですが、全文ご紹介してみたいと思います。


「武州高尾山 飯縄大権現本尊御縁起文」

抑々吾高尾山は人皇第四十五代聖武天皇の天平十六年行基菩薩 勅を奉してこの寺建立し本尊薬師如来を安置した玉へり。其のち物替わり星移りて今を去ること五百八十有餘年。永和年間山城國宇治の郷醍醐山より俊源大徳來つて當山の興隆を計り大聖不動明王の八千枚の護摩供秘法を勤修し飯縄大権現を感得せらる。

夫れ飯縄大権現者本地魔訶毘廬遮那如来の垂迹不動明王両部不二の化身にして往昔の大悲願力に催されて末世の福徳薄く諸病に苦しむ吾等を救わんが為に一體五相の姿を現はす。

五相と者

一には向背に火焔を負ひ左右の手に劒と索とを持てるは不動明王の御本誓を現はし悪魔を退治し慈悲の知恵を以って種々の煩悩病苦を焼き盡くし。
二には歡喜天の心を抱きて求むる所の利益を施し。
三には鴟啄(くちばし)と羽翼ある鳥の姿は迦屡樓羅天の飛行自在の徳を表し。
四には白狐に乗つて吒枳尼天の福を授く。
五には白蛇を頂くは宇賀神の寳珠と辨財天の愛嬌を與へ給ふなり。

是くの如くの五相合體の相貌を示し誓願を告げて忽然として紫雲の内に入り給へり、其翌日異人來つて尊像を彫刻まんこと希ひ一七ヶ日にして彫刻み了つて何處に去りしや知る者なし。時の人是を呼んで大権現來つて自ら作らせ玉ふならんと謂へり其彫刻みし尊像は今の本尊飯縄大権現即ち是れなり。嗚呼貴哉信心の吾等身を浄め心を正しふして本尊飯縄大権現の寶前にぬかづきて速に現當二世の利益を圓満せむ事を。(完)御真言「オンキリカクソワカ」


高尾山薬王院の歴史は、古く天平16年(744年)聖武天皇の勅命により、東国鎮護のために、行基菩薩が、開山された祈願寺といいます。南北朝時代後期の永和年間(1375~78年)には、京都・醍醐山から高尾山中興の祖である俊源大徳が、入山し、不動明王の8000枚の護摩供秘法を厳修して、飯縄大権現を感得されました。以来、高尾山は、御本尊として、飯縄大権現(不動明王・迦楼羅天・荼吉尼天・歓喜天・宇賀神・弁財天と、それぞれの徳を合わせた五相合体)が、長い間、庶民から信仰されてきました。修験道の道場霊山でもあります。

特筆することは、高尾山前代の貫主であつた山本秀順大僧正は、満州事変が勃発した昭和12年、聖戦遂行という国策に、反対し反戦の意思を唱えて、官憲の弾圧を受け、投獄されました。山本貫主は、「人生というものは人間の意志を超えた、非常に大きな存在ではなかろうかと思います。人間の意志を超えたもっと大きな力に動かされて人間は生れてくる。人の子は、生もうと思って生れてくるものではなく、生みたくないと思っても生れてしまうこともあるものです。これは、もう、文句なしに実に不思議というほかありません。」「盲亀の浮木とは、大海を遊泳している盲目の亀が、漂っている一本の流木の穴に顔を突っ込むことができた、これほど滅多にありえない僥倖をいう。人間に生れてきたことも、盲亀の浮木と同じで、不思議なことです。そうした摂理の中で、生れてきた人間の生命が、いかに尊いものであるかは、言うまでもありません。」こうした、山本大僧正の信念が、反戦思想となり、高尾山を「殺生禁断の地」として、いのちある生き物を殺すことなかれ、という生命尊重の賛歌を生涯訴え続けてきたことで知られています。


開眼の法要には、浄財を寄進した大勢の善男善女の信者や参詣者が本堂に参集して、もう、これから、幾百年後にしか、こうした奇瑞のような大権現様の開眼式には、立ち会えない事に、立ち会える喜びと感激が、渦巻くように、堂内に熱気が立ち込めていました。


大山隆玄現貫主以下、煌びやかな法衣をまとつた僧侶が、真新しい飯縄大権現の前に立ち並び、厳かに、点晴儀が催行されました。続いて、大山貫主が、表白文を読みあげ、お護摩厳修、加持祈祷をされました。こうして、無事、開眼法要は終わりました。私は、本来は、本堂の広さ等から招待者が限られ、招待者ではなかったのですが、法要で、御詠歌「密厳国土」「高尾山飯縄大権現御詠歌」の二曲を唱詠するために参加する機会を得ることができ、色鮮やかな飯縄大権現様を,真近かで拝謁することが出来ました。感激です。
権現様は、早くも、「おかげ」を下さったとしか思えません。有り難い感謝の念で胸が一杯でした。


高尾山に関する話題は、まだまだ、尽きませんが、今回は、このくらいにしておきます。合掌。(角田記)

なお、山本秀順大僧正の話は、山本秀順著「生きていること」(家の光協会、昭和49年刊)に拠りました。
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