福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お蔭は厳然としてあります

2015-05-18 | 法話
さきほどたまたま『ぶっちゃけ寺』というテレビを見ていたら、歌舞伎役者がお坊さん方に「お蔭はあるとほんとうに信じているのですか?」という趣旨の質問をしました。「まさにすばらしい本質を突いた質問だ」、と喜んでみていましたらなかの僧侶の方が「個々人にお蔭はないかもしれないが、努力することが大切・・」という趣旨だったと思いますがまったく当方の期待していたとは遥かに離れた高踏な答えをされていました。
対機説法ですからこういう答え方もこの場ではふさわしかったのかもしれませんが、私としては「お蔭は厳然としてあります。」「おかげがあるから今日まで日本仏教が何千年も続いてきたのです」と答えるでしょう。毎日各宗派で読んでいる般若心経にも「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦役」とあり、観音経にも「念彼観音力」ととなえればあらゆる苦悩から救ってくださるとあります。法華経もおかげの話でいっぱいです。その他ほとんどのお経に「「お蔭」はある、拝めば諸仏が困苦する衆生を救ってくださる」、と書かれています。僧侶である以上こういうお経は毎日読んでいるはずです。誰しもこれらのお経の内容を否定することはできません。
また由緒ある寺寺にはかならず多くの霊験談が残っています。霊場にも霊験談は無数にあります。今でも四国遍路などで多くの人がお蔭を頂いています。
じっさいこの福聚講も「この世はおかげで溢れている、お蔭はある」、ということを広めるために開設しているのです。このブログでもお蔭の実例は無数に書いてきました。
あまりの本日の僧侶の方の回答が自分の信念とかけ離れているので憮然としてこの記事を書いた次第です。
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