福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・33/34

2023-11-02 | 先祖供養

 

第三十三番 小坂下 延命山菊水寺。御堂七間半六間南向。

本尊聖觀音 立像御長三尺三寸(1m) 行基菩薩御作

 

當寺は其昔八人峠と云所にありき。彼峠の麓に菊水の井とて古き井有、今の御堂より辰巳(東南)に當て、細路五町(500m)計分入て菊水寺と稱する處有、其邊の田畠ともに、なべて此處悉く菊水寺と名付て呼こと久し。今も彼地に苔むせる礎の跡残り、疇昔此峠に賊住て往來の人を悩しける、始の程は唯一人住りと聞へしが、 いつの頃よりか白浪の行衛しらぬが打かさなりて、後は八人迄住て横逆の挙動至らずと云事なし。是より郡中の人怖れて往來も絶果、所の名も八人峠と呼びならはせり。有時旅僧一人此所に來る。盗賊どもうちえみて、此程は往來もとだへて得物なかりつるに、和僧の到來にて少心なぐさみぬ。いでや御僧によき布施まいらせんと、八人の賊の中に取込、手に白刃を閃し、已に衣をはぎ取とせしに、僧は泰然としていさゝかも怖れず、手に秘印を結給へば、賊徒身體すくんで動く事不能、時に旅僧賊に向て曰く、盗罪業果極て重、障道尤深し、故佛祖具さに説て戒給へり。落穂を拾ても露命は繫べし、汝等愚昧にして 當來の業果を不知、現には王法を犯す、佗の物を盗取、人の命を取て己が一身の養とするは、酒色を恣まゝにする夢計の樂を求て也、其罪の報は未來永劫限りなき苦ぞかし、愚成身にしあれば少しの栄花を 欲して、後の世は有やなしやと心にもかけず、見よ見よ汝等後の世の苦痛を百千に別ち、今其一分の苦を與ふべし、未來の苦痛是にて思やるべしと曰ふ。其時八人の賊徒、七顚八倒して足を空にして手を握て 叫聲天地に響計、其苦痛たとへ難し。其時旅僧亦秘印を結び加持し給へば、賊は夢の覺たる如く唯曼然 たり。旅僧の曰く、汝等扨こりよ、冥途の苦の百千の一つを得てだに今の如し、永劫の苦患如何思ると示し給へば、賊等首を地につけて願くば貴僧の御弟子とならんと乞ふ。僧の曰、汝等往時の罪を悔、後世の苦を恐る、則今より是善人也、屠刀をなげうちて立地に成佛とは是此謂也(續傳燈録 「颺下屠刀立地成佛」)、善哉汝早く出家すべし、 但し前に地獄の萬分か一の苦を見せしと雖、痛骨髄に徹しつれば、たやすく其身合期しがたるべし、 此麓に福壽延命の菊水と號す霊泉有、未だ里人其徳も其號も知らで、埋井の汲人もなきは時の至らざるなり、急ぎ此水を以て浴せば必ず身體健に壽命亦永久成べし、吾は是行基成と給へば、賊等たなごゝ ろを合て拜し、吾々此麓に草庵を結、佛門に入て罪障を懺悔し一生を終るべし、願ば師の形見と存じ奉 れば、佛像一體彫刻して給わり侍はゞやと、餘儀なく願ければ、行基いかゞ思ひ給ひけん、觀自在の聖像三體迄きざませ給ひ、此者共に與へ給ひ、戒を授け髪そりこぼち、汝等つゝしめや制戒に背く事なか れと、出家の作法悉く教諭ましまし、別を告て去り給ふ。賊徒御跡を拜して本尊を見奉れば、三體の面容毫厘も違ず、誠に凡人にてはをはせざりけると、信心倍勇猛にして、草庵を結で本尊を安置し奉り、 恭敬禮拜し奉り、此處を今杭伐峠と云は八人の賊僧と成仮に御堂を造り杭ち伐たる所なりとぞ、亦菊水の井を以て浴しければ、教にたがわず無病堅固の身と成、行すまして各目出度終を取けるとぞ。其後亦一人の僧、此草庵を移して今の御堂の地に住し、 朝夕此菊水を以て薬を服するに、身體堅固にして其容常に壮年の人の如し。其來り住りし甲子より計るにさへ、今は八十年にも及なん、いかさま不思議の人にておはせりと、里人來て其故を問に、吾に他の術なし、唯朝夕此本尊を念じ、是也菊水を以薬を調へ服するのみと。是より此菊水の奇特を知、本尊の霊験をも知て歩を運び、恭敬し奉ける。此僧後年此處を去て、其行處を不知、定て神仙なるべしと云へり。詠歌に曰、

「春や夏 冬も盛の菊水寺 秋の眺に送る年月」

按ずるに、此詠歌も古より傳来り年久しければいつの頃か、誤りて下句を、秋をなのめに送ると詠ず。抑此歌の意は菊は萬花の後獨貴、春夏を經て秋に至て秀るは尋常成に、當山菊水寺は本尊の靈威に依て、四時長へに佛法の昌とともに、此花の香馥郁として人に逼る。故に春や夏冬もさながら菊の盛の穐の詠に異ならずと、表には斯く詠じて、裡には如来は常住不滅にして、春夏秋冬の分ちもなく、唯信心無二の籬の内に、済度利生の英とこしなへに昌て、何の日か秋の詠ならざるべきと詠たる歌也。秋をなのめにと詠じて、其理に叶がたくや侍らん。されば此菊水寺より、彼靈泉を汲で調合せし良薬を出すも、本尊の霊験に依て屡不思議の効有に依て也。理成哉普門品は菊水延命經と號し(月庵酔醒記「観音経ヲ菊水延命経ト名ヅケ、亦当途王経ト名ヅクル事」)定業亦能轉の霊験、福壽無量の應用有、妙法の良薬、實相の甘露、此品に過たるはなし。長生不死と説事さらに虚語ならず、常念恭敬の輩は必ず三毒を除く、故に常住佛性の恵明を保て災害犯事不能、信じて服用すべき者也。已上。

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