大乗経典は涅槃を如来の法身と同一視し、衆生済度の積極的意義を見出す。
・大般涅槃経巻六に「若し如来の涅槃に入ることは、薪尽きて火滅するが如くなりといえば不了義と名く。若し如来は法性に入ると言はば是を了義と名く。」
・法華経第五寿量品に「爾来無量劫、衆生を度せんが為の故に方便して涅槃を現ずるも実には滅度せず。常に此に住して説法す」
・勝鬘経に「一乗を得る者は阿耨多羅三藐三菩提を得る。阿耨多羅三藐三菩提はこれ涅槃界なり。涅槃界とは是れ如来の法身なり。」
・大般涅槃経巻四に「大涅槃とは即ちこれ諸仏の法界なり」。大般涅槃経巻十一に「是の大涅槃は即ちこれ諸仏の甚深の禅定なり」。大般涅槃経巻二十三に「涅槃は無相無量不可思議にして諸の戯論を滅す、此れ涅槃の相なり。即ちこれ般若波羅蜜なり」。
金光明最勝王経第一如来寿量品に「その十法あり。よく如来応正等覚の真実の理趣を解し、究竟の大般涅槃ありと説く。云何が十となす。一には諸仏如来は究竟じて諸の煩悩障・所知障を断盡するがゆえに名けて涅槃と為す。二には諸仏如来は善く能く有情の無性および法の無性を解するがゆえに名けて涅槃とす。三には能く身依および法依を転ずるがゆえに名けて涅槃となす。四には諸の有情に於いて任運に化の因縁を休息するが故に名けて涅槃となす。五には真実無差別相の平等法身を証得するがゆえに名けて涅槃となす。六には生死および涅槃に二性なきを了知するが故に名けて涅槃となす。七には一切法においてその根本を了し、清浄を証するがゆえに名けて涅槃となす。八には一切法無生無滅に於いて善く修行するが故に名けて涅槃と為す。九には真如法界実際平等に正智を得るが故に名けて涅槃となす。十には諸の法性および涅槃の性において無差別を得るが故に名けれ涅槃と為す。」