38番金剛福寺へは37番を出て町中を抜けていきます。37番岩本寺から38番金剛福寺までは90キロです。全て歩けば2泊3日の道のりです。いままでも全行程を歩けてはいません。最初の所だけ歩いています。17年の遍路の時は37番岩本寺から一時間余歩いて人気のない山中にさしかかりました。ゆるやかな峠に差し掛かり,つつじの灌木を薙ぎ払って進んでいる時、突然「おじちゃん」という声がしました。こんな人家もないところで子供の声がするわけがない、気のせいだろうと思い歩き続けると後ろでまた「ちょっと」といいます。ついに出たかと恐る恐るふりむくと金太郎のようなおかっぱ頭の10歳くらいの女の子が裸足で追いかけてきていました。
そして私にお茶が半分入ったペットボトルを「これ」といって差し出すのです。
そして私の擦り傷だらけの錫杖をみて「杖すごいね」とか「何回ぐらい回っているの?」とか矢継ぎ早に聞きます。
私も狐につままれたような気持ちで「2回目だよ」と答えながら、「お遍路は接待を頂くとこういうお札を返すことになっているんだよ」といって納札を渡しました。
初めて見たのでしょう、目をパチクリさせました。
それにしてもこんな人里離れた山中でどこから現れたのだろうと不思議です。
別れるときは「いってらっしゃい」と言いました。なかなかおしゃまな子です。しかし後ろを振り向くのもなにか憚られて前を向いて一目散に歩きました。途中、 ちょうどのどが渇いてきたので歩きながらこのお茶を飲みました。なま暖かいものでした。私が通るのをみて急いで湯冷ましのお茶をペットボトルに注いで走ってきてくれたのかもしれません。可愛いおしゃまなそして不思議な子でした。こういう山中で出会うというのも前世でなにか因縁があった子なのでしょう。 その後何度も歩き遍路をしていますがこのような不思議な体験はもうありません。
遍路宿に次々と泊まり四万十川を渡り足摺岬近くまできました。
ここあたりの国道は大きなトラックや観光バスが猛スピードで行き交います。その巻き起こす風圧で笠などすぐ飛ばされてしまいます。何度も笠に手をかけて押さえます。まるで昔テレビで見た木枯し紋次郎のようで自分でもおかしくなります。しかし車の風圧は深刻です、小柄な女性は風の渦で車輪に巻き込まれることもあると聞きます。 そしてなにより可愛そうなのが蝶です。無数の蝶が風圧に煽られてアスファルトに叩きつけられていました。中には失速して道に横たわっているだけの蝶もいて、それらは羽をそっと持って離れた叢に置いてやりました。数え切れない数です。キリがありません。
また蝸牛やだんごむし・バッタなども轢かれてアスファルトのうえで干からびています。生きている虫たちはできる限りもとの叢に戻し、車に轢かれた蛇も何匹か道端の叢に安置してやりました。ロードキルというそうです。最近では動物横断のためのエコロードというものも作られはじめていると聞きますがそんなものは焼け石に水です。
◇
それにしてもこうして無数の生き物が人間にとって「便利だから」ということだけのために毎日犠牲になっていることなど東京や大阪で生活している人々には想像もできないでしょう。それどころか無数の動植物のいのちを更に娯楽の対象として奪って平気でいます。無限の過去から続いている我々の命はそれぞれの生で計り知れない生命を犠牲にして今日まで続いてきています。累計すると天文学的数になるでしょう。 24年の区切り打ちで60番横峯寺から降りてくるときも無数のミミズがお遍路の車に轢かれて千切れて悶えていました。お遍路に来てまで殺生をしなければならないというなんともいえない人間の業の底知れない深さをこのときも思い知らされました。こういう現象をどう考えていいのかわかりませんでした。
こういうどうしようもない業にたいして、我々はいくら懺悔しても足りないのですが、遍路でのお参りの時も、お経を読む前には必ず懺悔文「我昔(がしゃく)所造(しょぞう)諸悪業(しょあくごう) 皆由(かいゆ)無始(むし)貧瞋痴(とんじんち) 従身(じゅうしん)語意(ごい)之(し)所生(しょしょう) 一切(いっさい)我(が)今皆(こんかい)懺悔(さんげ)」
(私が昔から作ってきた諸々の悪業は、皆無始以来の貧瞋痴により、身と口と心でこれをつくりだしてきました。 今一切を仏様に懺悔いたします。)を唱えます。
更に密教僧は護身法といって行の前に印を結びますがその最初が「浄三業」という印です。また「三密観」という印も結ぶことがあります。これらは自分の身口意で犯してきた罪を徹底的に一つ一つ思い出して懺悔するものです。これが徹底してできれば行は成就すると言われていますが、いままでの罪業をすべて思い出すのも大変なことです。いつも傷口に塩を自分で塗りこめているような気がします。更に過去世の罪まで遡って懺悔するとなると相当想像力を要しますし行の時間も懸かります。わたしも遍路途中で思い出したくもない過去の罪業をかなり毎回懺悔できるようにはなりましたが無意識の裡に犯している罪は全く自覚出来ていません。
最初の時は途中電車を利用し、以布利港の遍路宿『旅路』にとまりました。名前が洒落ていると思ったからです。案の定、宿の夫婦は一生懸命もてなしてくれましたが如何せん生臭い魚の料理攻めには閉口しました。部屋でお線香を何度も焚いて魚の匂いを消しました。
遍路宿には色々な本が置いてあります。ここにも印象に残る2冊の本がありました。
一冊目は「お遍路に咲く花 通る風」で、若い女性が筆者です。
この中には「歩き始めて三十九日目の78番郷照寺の付近で国道沿いに歩いている時、挨拶をしても返事をしない老夫婦にすれ違い、悲しい寂しいと気持ちを抱いたときに、稲妻に打たれた感じがしてお大師様に会ったと思った」と書いてあります。
「大師と一緒だという一瞬の悟りめいた確信、胸のうちに光を抱えたような安堵感、幸福感・・・小理屈こねの不信人者であったこの私でさえお大師様にお会いできたのだ。」とありました。多くの人が大師にお会いできているのだと私自身も感じ、嬉しくなりました。 わたしも同じように66番雲辺寺で同じ筆舌に尽くし難い有難い経験をしました。後で書きます。
二冊目は「聖地足摺崎物語」で、鎮守の神様が修行者に与える言葉という設定で書かれている不思議な本でした。「足摺岬は弘法大師の昔から日本の補陀落といわれる観音さまの聖地で、人それぞれにいろいろな形で観音様を拝することができる場所なのだ。」
「観音様のお慈悲というものはそうしたわしら(鎮守の神)の仕事よりも一段高いところから降りそそがれておりそうしたより高い道に仕える者には単なる啓示や当てものというよりもう一段深い知恵というものが必要なのだ・・・おまえはもっと高いもっと深い仕事のために働くのだ。
その仕事は啓示や神通力を頼るのでなくおまえ自身がおまえの人生の中で仏様のお助けも得て体得した深い知恵に基ずいておこなっていくのだ。」とありました。 仏様のお仕事は天部や明王部の諸仏、神様たちが仏様の指示を受けて請け負っておられ、具体的な救済活動も行っておられるということはなにか納得させられます。霊界の多重構造とでもいうのでしょうか、我々行者が修法するときも、最初に色々な神仏に般若心経を捧げます。
1、 胎蔵曼荼羅の外金剛部の五類諸天(最外院に位置する色界・無色界天、欲界の夜摩天・兜率天・他化自在天、四天王、日月星宿、龍、阿修羅、閻魔天等)、
2、 三界九居の天王天衆(欲界色界無色界に住む九種類の生物、つまり色界・無色界の各四天に人間を足したもの、)
3、 当年星(行者の今年の守星)、本命星(行者の一生を主る星)、元辰星(一生の貧富盛衰を主る星)、
4、 七曜二八宿、
5、 三十日を毎日守護する三十社(東西南北で百二十社)、
6、 その年の疫病神等。
こうしてみると神仏の世界は相当重層的であることがわかります。この最後に各人の御先祖様が連なるという構造でしょう。
こうした神々もご先祖も我々の近くにいらっしゃって我々が拝むときはその法味を味わっておられるということです。いい加減に拝むことはできません。逆に真剣に拝めば必ずお蔭がでることはこういう霊界の多重構造に支えられているのです。
そして私にお茶が半分入ったペットボトルを「これ」といって差し出すのです。
そして私の擦り傷だらけの錫杖をみて「杖すごいね」とか「何回ぐらい回っているの?」とか矢継ぎ早に聞きます。
私も狐につままれたような気持ちで「2回目だよ」と答えながら、「お遍路は接待を頂くとこういうお札を返すことになっているんだよ」といって納札を渡しました。
初めて見たのでしょう、目をパチクリさせました。
それにしてもこんな人里離れた山中でどこから現れたのだろうと不思議です。
別れるときは「いってらっしゃい」と言いました。なかなかおしゃまな子です。しかし後ろを振り向くのもなにか憚られて前を向いて一目散に歩きました。途中、 ちょうどのどが渇いてきたので歩きながらこのお茶を飲みました。なま暖かいものでした。私が通るのをみて急いで湯冷ましのお茶をペットボトルに注いで走ってきてくれたのかもしれません。可愛いおしゃまなそして不思議な子でした。こういう山中で出会うというのも前世でなにか因縁があった子なのでしょう。 その後何度も歩き遍路をしていますがこのような不思議な体験はもうありません。
遍路宿に次々と泊まり四万十川を渡り足摺岬近くまできました。
ここあたりの国道は大きなトラックや観光バスが猛スピードで行き交います。その巻き起こす風圧で笠などすぐ飛ばされてしまいます。何度も笠に手をかけて押さえます。まるで昔テレビで見た木枯し紋次郎のようで自分でもおかしくなります。しかし車の風圧は深刻です、小柄な女性は風の渦で車輪に巻き込まれることもあると聞きます。 そしてなにより可愛そうなのが蝶です。無数の蝶が風圧に煽られてアスファルトに叩きつけられていました。中には失速して道に横たわっているだけの蝶もいて、それらは羽をそっと持って離れた叢に置いてやりました。数え切れない数です。キリがありません。
また蝸牛やだんごむし・バッタなども轢かれてアスファルトのうえで干からびています。生きている虫たちはできる限りもとの叢に戻し、車に轢かれた蛇も何匹か道端の叢に安置してやりました。ロードキルというそうです。最近では動物横断のためのエコロードというものも作られはじめていると聞きますがそんなものは焼け石に水です。
◇
それにしてもこうして無数の生き物が人間にとって「便利だから」ということだけのために毎日犠牲になっていることなど東京や大阪で生活している人々には想像もできないでしょう。それどころか無数の動植物のいのちを更に娯楽の対象として奪って平気でいます。無限の過去から続いている我々の命はそれぞれの生で計り知れない生命を犠牲にして今日まで続いてきています。累計すると天文学的数になるでしょう。 24年の区切り打ちで60番横峯寺から降りてくるときも無数のミミズがお遍路の車に轢かれて千切れて悶えていました。お遍路に来てまで殺生をしなければならないというなんともいえない人間の業の底知れない深さをこのときも思い知らされました。こういう現象をどう考えていいのかわかりませんでした。
こういうどうしようもない業にたいして、我々はいくら懺悔しても足りないのですが、遍路でのお参りの時も、お経を読む前には必ず懺悔文「我昔(がしゃく)所造(しょぞう)諸悪業(しょあくごう) 皆由(かいゆ)無始(むし)貧瞋痴(とんじんち) 従身(じゅうしん)語意(ごい)之(し)所生(しょしょう) 一切(いっさい)我(が)今皆(こんかい)懺悔(さんげ)」
(私が昔から作ってきた諸々の悪業は、皆無始以来の貧瞋痴により、身と口と心でこれをつくりだしてきました。 今一切を仏様に懺悔いたします。)を唱えます。
更に密教僧は護身法といって行の前に印を結びますがその最初が「浄三業」という印です。また「三密観」という印も結ぶことがあります。これらは自分の身口意で犯してきた罪を徹底的に一つ一つ思い出して懺悔するものです。これが徹底してできれば行は成就すると言われていますが、いままでの罪業をすべて思い出すのも大変なことです。いつも傷口に塩を自分で塗りこめているような気がします。更に過去世の罪まで遡って懺悔するとなると相当想像力を要しますし行の時間も懸かります。わたしも遍路途中で思い出したくもない過去の罪業をかなり毎回懺悔できるようにはなりましたが無意識の裡に犯している罪は全く自覚出来ていません。
最初の時は途中電車を利用し、以布利港の遍路宿『旅路』にとまりました。名前が洒落ていると思ったからです。案の定、宿の夫婦は一生懸命もてなしてくれましたが如何せん生臭い魚の料理攻めには閉口しました。部屋でお線香を何度も焚いて魚の匂いを消しました。
遍路宿には色々な本が置いてあります。ここにも印象に残る2冊の本がありました。
一冊目は「お遍路に咲く花 通る風」で、若い女性が筆者です。
この中には「歩き始めて三十九日目の78番郷照寺の付近で国道沿いに歩いている時、挨拶をしても返事をしない老夫婦にすれ違い、悲しい寂しいと気持ちを抱いたときに、稲妻に打たれた感じがしてお大師様に会ったと思った」と書いてあります。
「大師と一緒だという一瞬の悟りめいた確信、胸のうちに光を抱えたような安堵感、幸福感・・・小理屈こねの不信人者であったこの私でさえお大師様にお会いできたのだ。」とありました。多くの人が大師にお会いできているのだと私自身も感じ、嬉しくなりました。 わたしも同じように66番雲辺寺で同じ筆舌に尽くし難い有難い経験をしました。後で書きます。
二冊目は「聖地足摺崎物語」で、鎮守の神様が修行者に与える言葉という設定で書かれている不思議な本でした。「足摺岬は弘法大師の昔から日本の補陀落といわれる観音さまの聖地で、人それぞれにいろいろな形で観音様を拝することができる場所なのだ。」
「観音様のお慈悲というものはそうしたわしら(鎮守の神)の仕事よりも一段高いところから降りそそがれておりそうしたより高い道に仕える者には単なる啓示や当てものというよりもう一段深い知恵というものが必要なのだ・・・おまえはもっと高いもっと深い仕事のために働くのだ。
その仕事は啓示や神通力を頼るのでなくおまえ自身がおまえの人生の中で仏様のお助けも得て体得した深い知恵に基ずいておこなっていくのだ。」とありました。 仏様のお仕事は天部や明王部の諸仏、神様たちが仏様の指示を受けて請け負っておられ、具体的な救済活動も行っておられるということはなにか納得させられます。霊界の多重構造とでもいうのでしょうか、我々行者が修法するときも、最初に色々な神仏に般若心経を捧げます。
1、 胎蔵曼荼羅の外金剛部の五類諸天(最外院に位置する色界・無色界天、欲界の夜摩天・兜率天・他化自在天、四天王、日月星宿、龍、阿修羅、閻魔天等)、
2、 三界九居の天王天衆(欲界色界無色界に住む九種類の生物、つまり色界・無色界の各四天に人間を足したもの、)
3、 当年星(行者の今年の守星)、本命星(行者の一生を主る星)、元辰星(一生の貧富盛衰を主る星)、
4、 七曜二八宿、
5、 三十日を毎日守護する三十社(東西南北で百二十社)、
6、 その年の疫病神等。
こうしてみると神仏の世界は相当重層的であることがわかります。この最後に各人の御先祖様が連なるという構造でしょう。
こうした神々もご先祖も我々の近くにいらっしゃって我々が拝むときはその法味を味わっておられるということです。いい加減に拝むことはできません。逆に真剣に拝めば必ずお蔭がでることはこういう霊界の多重構造に支えられているのです。