「成實論・十不善道品第一百一十六」
經中に佛、十不善業道を説く。謂ゆる殺生等なり。五陰和合せるを名て衆生と為す。此の命を斷ずるが故に名て殺生と為す。
問曰。若し此の五陰は念念に常滅す。何を以てか殺と爲すや。
答曰。五陰は念念に滅すと雖も還って相續して生ず。相續を斷ずるが故に名て殺生と為す。又是の人、殺心あるを以ての故に殺罪を得る。
問曰。現在の五陰を斷ずるが為の故に殺生と名くるや。
答曰。五陰相續中に衆生の名あり。此の相續を壞するが故に殺生と名く。念念滅中に衆生の名あるを以てせず。
問曰。有人、官の舊法に依って衆生を殺害し、或は強力の為に逼られ強ひて衆生を殺さば、自ら無罪と謂ふ。是の事云何。
答曰。亦た應に罪を得る。所以は何ん。是の人、殺罪因縁を具足す。四因縁を以て殺生罪を得る。一には衆生あり。二には是れ衆生なりと知る。三には殺さんと欲する心あり。四には其の命を斷ず。是の人、此の四因を備ふ。云何が無罪ならんや。盜は此のごとき物、實に此人に屬するを而も劫盜取するに名く。是を名けて盜と為す。是の中に亦た四種の因縁あり。一は是の物は實に他に屬す。二には屬するを知る他。三には劫盜の心有。四には
劫盜し取り已る。
問曰。有人言く、伏藏は王に屬す。若し此の物を取らば則ち王に於いて罪を得、と。是の事云何ん。
答曰。地中の物を論ぜず。但し地上の物は王に應に屬すべし。所以は何ん。給孤獨等の
聖人亦た此の物を取る。故に知りぬ無罪と。又た若し自然に物を得るをば劫盜と名けず。
問曰。一切萬物は皆な共業所生なり。劫盜するに何故に罪を得るや。
答曰。共業の因に依って生ずると雖も、因に強弱あり。若し人、業因の力強く、又勤めて功を加れば此の物は則ち屬ず。
問曰。若し人、塔寺衆僧の所に於いて田宅等の物を奪取せば、誰による罪を得るや。
答曰。佛及び僧、此の物中に於いて我所の心無しと雖も、亦從って罪を得る。是の物、定んで佛僧に屬す。中に於いて惡心を生じ若しは劫、若しは盜すれば、是の故に罪を得る。邪婬は若し衆生、非妻に之に婬を行ずる、是を名けて邪婬と名く。又是其妻と雖も非道に於いて婬を行ずる、亦た名て邪婬となす。又一切女人は皆な守護有り。若しは父母兄弟夫主兒息等、出家女人は王等の為に守護せらる。
問曰。婬女は婦に非ず、之と婬を行ずるは云何んが邪婬に非ざるや。
答曰。少時を婦と為す。毘尼中に、是れ少時の婦は乃至一鬘を以て遮すと説くが如きの故に。問曰。若し主無き女人、自ら來りて妻とならんことを求めば是事云何。
答曰。若し實に主なく衆人の前において如法に來らば邪婬と名けず。
問曰。若し出家の人は婦を取らば邪婬を免るるやいなや。
答曰。免れず。所以は何ん。此の法なきが故なり。出家の法は常に婬欲を離る。但し罪は
犯他人の婦を犯すよりも輕し。
妄語とは、若し身口意に他衆生を誑たぶらかし、虚妄に解せしむ、是を妄語と名く。佛、重罪の為の故に説く。衆中に定んで問ふを名けて妄語と為す、乃至一人に問ふ時を亦た妄語と名く。豈に衆人を須またんや。又た誑かさんと欲する所の人に随って、此人に於いて罪を得。若し人、他人に語って、我、某甲に如是の事を語ると言ふは、事は不實と雖も妄語と名けず。又た妄語は想に随う。若し見たるも見たる想無きに問へば不見と言へば、妄語の罪なし。毘尼中に説くが如し。
問曰。若し、人、事倒し見ざるを見ると言はば、云何んが妄語に非ざらん耶。
答曰。一切の罪福は皆な心に由って生ず。是の人、見ざる事の中に於いて而も見想を生ず。是故に無罪なり。實の衆生に於いて衆生想無きが如きは、衆生中に衆生の想を生ずるにあらざれば殺罪を得ず。
問曰。實有の衆生に衆生の想を生ずるが如きは乃ち殺罪を得る。如是に若し見たるに見たる想を生ずるは則ち應に無罪なり。見ざるに見たる想の而も罪無きことを得るに非ず。
答曰。是の罪は心により、衆生に因って生ず。是の故に衆生ありと雖も、衆生想なければ則ち罪を得ず。心無きを以ての故なり。若し衆生無きに衆生想あるは衆生無きを以ての故に亦た罪を得ず。若し衆生ありて衆生想あれば、因縁具するが故に殺生罪を得る。若し見たる事の中に不見の想を生ずるに問へば不見と言はば、是の人の想は倒せず、故に衆生を欺かず。事は倒と為すと雖も亦た名けて實と為す。若し不見の事の中に而も見想を生ずるに、問へば不見といはば是人の想は倒し衆生を詐誑す。事は倒せずと雖も亦た名けて妄語と為す。
兩舌とは若し人、他を別離せんと欲して口業を起こすに名く。是れを兩舌と名く。若し別離心なきに他聞きて自ら壞するは則ち罪を得ず。若し善心に教化して惡人を離れしむるは別離せしむることを為すと雖も亦た罪を得ず。若し結使濁心を以てせざれば復た口に言ふとも亦た罪を得ず。
惡口とは若し人、苦言して利益する所なし、但だ他を惱まさんと欲するに名く。是れを
惡口と名く。若し憐愍心にして利益せんが為の故に苦言するは罪なし。事なきに惱を加ふるが如きは是れ則ち罪あり。方に依り針灸せば苦しむと雖も罪に非ず。苦言も亦た爾なり。諸佛賢聖も亦た此事を為す。癡人等と言ふが如し。又た若し結使濁心無くして爲す苦言は名ずけて罪となさず。離欲の人等の如し。若し善心を以て苦語する中、煩惱を起こさば即時に罪を得る。
綺語とは若し實語に非ず、義正しからざるに名く。故に名けて綺語と為す。又た是れ實語なりと雖も、非時を以ての故に亦た綺語と名く。又た實なりと雖も而も時、衰惱に隨順し無利益なるを以ての故に亦た綺語と名く。又た言は實にして而も時に亦た利益ありと雖も、言に本末無く、義理は次せざるを以て亦た綺語と名く。又た癡等の煩惱散心を以ての故に語するを名けて綺語と為す。身意の不正なるを亦た綺業と名く。但だ多く口を以て作す、亦た俗に随ふが故に名て綺語と曰ふ。餘の三の口業は皆な綺語を雜へて相ひ離ることを得ず。若し妄語して而も苦言に非ず亦た別離せざるに則ち二種あり、妄語と綺語なり。若し是れ妄語にして亦た別離せんと欲して而も苦言せざるに則ち三種あり、妄語・兩舌・綺語なり。
若し妄語にして苦言し別離を欲せざれば亦た三種あり、妄語・惡口・綺語なり。若し妄語にして苦言し亦た別離せんと欲するに則ち四種あり。若し妄語なくして苦言し亦た別離せず、但し非時の語・無益語・無義語は則ち但だ是れ綺語なり。是の綺語は微細にして捨離すべきこと難し。但し諸佛ありて能く其根を斷つ。是の故に諸佛を獨り世尊と称し、言まへば則ち信受す。餘に及ぶ者無し。
問曰。已に七種の業道を説く。何ぞ復た三意業を説くことを用ん耶。
答曰。或は言はく、罪福は要じ身口に由る。但だ心のみに従ふに非ず。是故に心も亦た是れ業道なりと説く。是の三種の意業力の故に身口の惡業を起こす。是の三種は重しと雖も意業は微細なるを以ての故に後に在りて説く。一切の煩惱は能く惡業を起こすと雖も、此の三但し衆生を悩ますがための故に不善業道と名く。若し中下の貪は業道と名けず。是の貪、増上して深く他有に著し、方便を以て惱まさんと欲し、能く身口業を起す。故に貪嫉を以て業道と為す。恚癡も亦た爾なり。又た若し癡を説けば即ち一切煩惱を説く。此の中に但だ、能く身口に衆生を侵惱することを起こすが為の故に三種を説く。
問曰。何故に癡を名けて邪見と為す耶。
答曰。癡に差別あり。所以は何ん。一切の癡、盡く是れ不善なるに非ず。若し癡増上し轉た邪見を成すれば則ち不善業道と名く。一切の不善は皆な此の三門に由る。若し人、財利の為の故に不善業を起こすは、金錢の為に衆生を殘殺するが如し。或は瞋の故を以ってするは。怨賊を殺すが如し。或は財利の為にせず、亦た瞋恚ならざるあり、但だ癡力好醜を知らざるを以ての故に衆生を殺す。
問曰。經の惡道の因縁を説くに四あり。貧に隨ひ、恚に随ひ、怖に隨ひ、癡に随って行ず。故に諸惡道に堕す。今此中に何故に怖に隨ひ惡業を起こすことを説かざる耶。
答曰。怖は是れ癡の所攝なり。若し怖に隨ふを説けば即ち是れ癡に随ふなり。所以者何。智者は乃至失命の因縁にも尚ほ惡業を起こさず。又た是の事は先に已に答ふ。謂ゆる煩惱増長して能く身口業を起こす。爾時を不善道と名く。是の三は多く不善を起こすが故に。
問曰。何故に名て業道と為すや。
答曰。意は即ち是れ業なり。此中において行ず、故に名て業道となす。先には後の三を行じ、中後に前の七を行ず。中の三業は道にして業に非ず。七業は亦たは業、亦は道なり。
問曰。亦た鞭杖及び飮酒等の諸不善業あり。何故に但だ十を説く耶。
答曰。此の十罪は重く故に説く。又た鞭杖等は皆な是れ眷屬の先後なり。飮酒は是れ實罪に非ず。亦た他を惱すことを為さず。設令へ他を惱ますも亦た但だ酒のみには非ざる也。
問曰。是の不善道は何處に在りと為すや。
答曰。悉く五道に在り。但だ欝單越(うったんおつ)には邪婬の三事を以て起し、貪欲を以て成ずる無し。餘は三事を以て起し亦た三事を以て成ず。
問曰。聖人は能く不善業を起こすや不や。
答曰。亦た意の不善業を起こす。身口を起こさず。又た意業中に亦た但だ瞋心を起こして
殺心を起こさず。
問曰。經中に學人も亦た人を呪して、滅して汝をして種を斷ぜしめんと言ふと説きたまふ。此事云何。
答曰。亦た有る經に阿羅漢祝すと説けども、是れ漏盡の人にして煩惱根斷じ尚ほ心を起こさず。況んや祝すべけんや。學人祝すと言ふは亦た應に如是なり。又た聖人は不善業に於いて不作律儀を得す。云何んぞ不善を作すべきや。又た此聖人は惡道に堕せず。若し能く不善を起こさば則ち亦た應に墮すべし。
問曰。若し諸聖人は今世に不善業を造らず、故に惡道に堕せず。過去世中に不善業有り。何故に墮せざるや。
答曰。是の聖人は心中に實智が生ずる時、諸惡道業は皆な羸劣にして猶ほ敗種の如し。復た生ずること能ず。又た三毒に二種あり。一は能く惡道を致す。一は則ち能くせず。惡道に入る者は聖人斷じ盡くす。業煩惱を以ての故に身を受くることを得。聖人は諸業ありといえども煩惱具足せず。是故に墮せず。又是人、大勢力に依る、所謂三寶は能く大惡を消す。人、王に依れば債主惱まさざるが如し。又是人、智慧明利にして能く惡業を消す。人の身中に火勢盛なるが故に消し難きも能く消すが如し。又此人は多くの方便あり。或は諸佛を念じ或は
慈悲諸善業を念ずる故に諸惡を得脱す。多方の詐賊、諸險難に依れば則ち得べからざるが如し。又た此聖人、解脱道を知得すること、牛王の行くが如く、鳥の空に依るが如し。又長夜に諸善法を修習するが故に惡道に墮せず。經中に説くが如し。若人常に身戒心慧を修する者は地獄報業を能く現に輕く受く。又偈に説くが如し。慈悲心を行ずること無量無礙なれば諸有の重業は及ぶ能はざる所なり。又た此聖人の心、不善業堅固なること能ず。一渧水を
熱鐵上に墮するが如し。又此聖人は善業深遠にして桓殊羅樹の根の如し。又此聖人、善多くして惡少し。少惡は多善中に在れば則ち勢力なし。一兩の鹽を之を恒河に投ずるが如く味を壞すること能ず。又此聖人は信等の財に富む。貧窮の人は一錢の為に罪を受け、富貴の者は百千の為と雖も亦た罪を得ざるが如し。又聖道に入るが故に尊貴と為ることを得、貴人罪ありと雖も牢獄に入らざるが如し。又、虎狼犬羊及び尊卑共に諍ふに大なる者勝を得るが如し。又此聖人は心聖道に宿すれば諸惡道の罪、復た惱ますこと能ず。王、空舍に宿すれば
餘人の能く入る者なきが如し。又此聖人の自行を行ずる處には、惡道の罪業は便を得ること能ず。鷹鵽(おうてつ)の喩の如し。又聖人は心を四念處に繋るが故に諸惡道業は便を得ること能わず。圓瓶を鈙(きん・水器)に入るが如し。又た二種の結を具す。故に惡道に堕し業に随ひて報を受く。聖人は一種を斷ずるが故に惡道に堕せず。又此人は常に善業報を受く。故に諸惡道業は便を得ること能ざること、又先の六業品中に地獄業相を説くが如し。聖人は因縁なきが故に惡道に堕せず。