20、大師四十二歳、弘仁六年(八一五)
・神光院(旧瓦屋寺、京都府京都市北区西賀茂神光院町120)・・山号は放光山。東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三弘法の一つ。大師四十二歳の御時、当院で九十日間修行をされ修行を終えて自刻像を作られたとされそれが本尊「厄除け大師」として信仰されています。幕末には大田垣蓮月尼が住み、茶室(蓮月庵)が残されています。明治初年和田智満猊下がここの興隆に尽力されたとのことです。
・石山寺(西国第十三番札所、滋賀県大津市石山寺1丁目1-1)
大師は弘仁六年四十二歳の御時、ここに留錫され厄除け祈願のため不動明王をまつられ以後当寺は華厳宗から真言密教の寺になったとされます。(弘法大師空海の御足跡)
・安養寺(新西国二十番、滋賀県大津市石山南郷町奥山1231)
大師が弘仁六年四十二歳の御時、瀬田川の対岸から白鹿にのってここにわたられ、一本の立木に等身大の観音像を刻み建立されたとされます。厄除け観音として広く信仰されています。
・神光院(旧瓦屋寺、京都府京都市北区西賀茂神光院町120)・・山号は放光山。東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三弘法の一つ。大師四十二歳の御時、当院で九十日間修行をされ修行を終えて自刻像を作られたとされそれが本尊「厄除け大師」として信仰されています。幕末には大田垣蓮月尼が住み、茶室(蓮月庵)が残されています。明治初年和田智満猊下がここの興隆に尽力されたとのことです。
・石山寺(西国第十三番札所、滋賀県大津市石山寺1丁目1-1)
大師は弘仁六年四十二歳の御時、ここに留錫され厄除け祈願のため不動明王をまつられ以後当寺は華厳宗から真言密教の寺になったとされます。(弘法大師空海の御足跡)
・安養寺(新西国二十番、滋賀県大津市石山南郷町奥山1231)
大師が弘仁六年四十二歳の御時、瀬田川の対岸から白鹿にのってここにわたられ、一本の立木に等身大の観音像を刻み建立されたとされます。厄除け観音として広く信仰されています。